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「藤花様っ!」
不意に、リリの声が聞こえた。そんなはずはない。だって、リリは魔の国に置いてきたのだから。
「籐花様っ!」
でも、やっぱりリリの声がする。
緩慢に声のする方へと顔を向けたわたしは、そこにリリの姿をとらえた。
どうやら幻聴ではなかったらしい。
「リリ、どうして……」
どうやって、ここに?
「レグナートに頼んで送ってもらいました」
わたしの疑問を正確に読み取り、リリはしれっと答えた。
おい、レグナート。お前ラグの言うことしか聞かないんじゃなかったのか。従うレグナートがおかしいのか、従えたリリがすごいのか。――たぶん後者だな。何の根拠もなくそう確信する。とうとうあの幼女はドラゴンすら従えちゃったよ。
走り寄ってくるリリを、両手を広げて迎え入れる。小さく体重の軽いリリの身体は、すぽっとわたしの胸に納まった。
同時に、お腹の辺りに変な衝撃を感じる。
……なに?
最初は、熱。次に――
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
わけのわからない痛みがわたしを襲った。
なに!? なんなの!?
思わずリリを撥ね除けお腹を見る。
「――――?」
一本のナイフが、そこから生えていた。
「リ、リ……?」
突き飛ばされ、尻餅をついたリリは、
「ざまあみろ」
実にいやらしく、にたりと嗤った。
「ほんと、藤花様って間が抜けていますよね」
「ど…して?」
ここまできてもまだ、わたしの頭は理解を拒絶する。そんなの、決まってるのに。
「どうして? どうしてですってっ!? そんなの決まってるじゃないですか! あなたが魔王に味方する魔女だからですよ! 私は人間ですよ? 笑っちゃいますよね、それなのに、魔王もあなたも簡単に信じて。――そんなんだからこんなにあっさりに騙し討ちに遭うんですよ! 魔王だって私が殺してやりました。 わざと勇者に捕まったんですよ。あの方は甘いから――実に楽でしたね」
リリは絶叫する。そこに、いつも冷静だった彼女の面影はない。常にどこか覚めた目でわたし達を小馬鹿にしていた彼女は今、憎悪を剥き出しにしてわたしを睨み付けていた。
「あんた達が戦争なんて仕掛けてくるから! 侵略なんてするから! そのしわ寄せが全部私達に来るんじゃないですか!」
先に仕掛けてきたのは、どう考えても人間の方だよ? その言葉は、怒れるリリには届かない。物静かな普段の姿が嘘のように、彼女は感情を爆発させる。
「親もいない! 力もない! 後ろ盾もない! なんの力もない私達はっ! 生きる為にはどんな汚いことだってやらなきゃならないんです! ……あなたは知っていますか? 蛆のわいた死体の臭いを。腐り溶け落ちる寸前の肉の感触を! 延々とそれを処理し続けなければならない苦痛を! そこまでしたって、もらえるのはパン一欠片なんですよ? しかも! それさえも! 仕事があるだけまだましだって現実を!!」
「…………」
そんなのは、知らない。リリがわたし達のところに来るまでにどんな生活をしていたのか。そんなの、知るわけがない。そもそもそれは、わたしが責を負うべきことなの? 戦争を始めたのも、孤児達の境遇も、それを改善しない国も、何ひとつわたしには関係ない。そもそもがこの世界の人間でさえないわたしに、それを言うのは筋違いも甚だしい。リリのそれは、ただの八つ当たりだ。
「リリ……」
だから、わたしがやるべきは。
「なんですか? 怒りました? それとも騙されて悔しいんですか? なんなら私を殺しますか? どうでもいいですけ――」
最後まで言わせず、その頬を引っぱたく。
「ナイフは、人を刺す道具じゃない」
わたしがやるべきは、保護者として叱ることだ。
「は、はは――」
打たれた頬を抑え、リリは乾いた笑い声を上げる。
「やっぱり間が抜けていますね、藤花様は。この期に及んで、お説教なんて」
煩い。これが、あんたを引き取ったわたしのけじめだ。
結局みんな、一番可愛いのは自分だ。それを否定する気はないし、わたしだってそうだ。だけど、引き取ると決めた以上、そこには責任が生じる。だからわたしは、あんたを叱ったんだよ。
躾とは愛情だ。愛があるから間違いを犯せば正し、それは悪いことなのだと教え込む。どうでもいいやつにそんな手間をかけたりしない。面倒だし、時間の無駄だから。不愉快だからぶん殴るだけだ。故に、躾とは愛情なのだ。
リリは変わらず憎悪の視線をわたしに向ける。理解する気がないのか、したくないのか。構わない。いつかわかってくれたらいいな、とは思うけど。
「リリ」
「……なんですか」
「もう、行きなさい」
だからわたしは、彼女に出て行けと促す。ここにいたら、巻き込んでしまうから。愚王は殺したし、大半の兵士は逃げ出している。でも、おじいちゃんみたいなとち狂った忠臣が残っている可能性はゼロではない。争いの場にリリがいれば、巻き込んでしまうかもしれない。わたしはもうろくに動けないし、動く気力もない。何かあっても、リリを守れない。
「嫌ですよ。私は藤花様のことが嫌いですから」
返ってきたのは、否定の言葉。
「……そう」
ならしかたない。こちらの意思は伝えた。それをどう受け取り、どう行動するかはリリの自由だ。
ああ、それにしても。
リリに刺されたおなかが痛い。痛覚なんてとっくに麻痺して痛みなんてまるで感じていなかったのに、どうしてこんなに痛いんだろう。じくじく、じくじくと、傷はまるで自己主張をするかのように痛みを発する。
刺したのがリリだからかな。いまいち集中を保てない頭でぼんやりと考える。
何度経験したって、どんなに慣れていたって、裏切られるのはやっぱり辛い。
しかも、ここまでされてもまだわたしはリリに対して本気で怒ることが出来ないでいた。裏切られたのはショックだし、刺されたお腹は痛いのに。愛情のほうが勝っているから? それとも同情? よく分からない。でも一つ言えることは、やっぱりわたしは、リリには勝てなかった。これはそういうことだろう。ああ――リリ、なんて恐ろしい子。
「リリ、逃げないんならこっちへおいで」
両手を広げ、おいでおいでとやってみる。
「嫌ですよ。私は藤花様のことが嫌いですから」
返ってきたのは、先ほどとまったく同じ文言。でもそれは、子供が駄々をこねているだけのようにも見えて。
――しょうがないなあ。
本当はもう立つことすら億劫なんだけど、よたよたと歩いてリリに近づく。
嫌だ嫌だと言う割には、リリは逃げなかった。棒立ちのまま、近づくわたしを見つめている。相変わらず目付きが怖い。
「ふう」
やっとの事でリリの元までたどり着いたわたしは、そのまま彼女を抱きしめた。
「……何のまねですか?」
胸のあたりからリリのくぐもった声が聞こえる。
「べつに」
それに適当に返事を返し、わたしは座り込んだ。正直もう立っていられない。特に抵抗することなく一緒に座ったリリは、黙ったまま間近からわたしを見上げた。菫色の双眸が、こちらの真意を測るかのように眇められる。
「刺したいんなら、刺していいよ」
ふと思いついたので言ってみる。別に刺されたい訳じゃないけど、今更刺し傷の一つや二つ増えたって大差ない。そういえば、初めて会ったときにも針で刺されたんだっけ。
「もうナイフがありませんよ」
にべもない返答。うん、いつものリリだ。先ほどの狂騒が嘘のよう。
「そっか」
赤ん坊にするように、頭をなでてリリの背中をぽんぽん叩く。
「本当に……さっきから一体何のつもりなんですか?」
「んー? ……何だろうね?」
はぐらかしているつもりはない。ただ、なんとなくこうしたかっただけだ。なんだか、リリがやけにおずおずと背中に手を回してきたのを感じる。考えてみれば、リリがこうやって甘えてきたのは初めてかもしれない。わたしのほうは散々我が儘言って甘えて振り回したのにな。
そんなことを思っているうちに、なんだか眠くなってきた。今更だけどこの傷だ。寝たら死ぬのかな? この期に及んでもそれは現実感がなく、恐怖も感じない。
ま、いいか。別に無理して生きたいわけでもない。積極的に死ぬ理由がないから生きてただけだ。やるべきことはやったし、さしあたっては他にやりたいこともない。死ぬにはいいタイミングなのかもしれない。
しかし、そうなると――
「結局、世界を救ったのは勇者でも魔王でもなく幼女になるわけか……」
勇者を利用し魔王を殺し、勇者を殺した悪い魔女をすら騙し討ちして見事に仕留めてみせた幼女。全ては幼女の小さな掌の上。ほんとにリリは、恐ろしい子だ。
なんだか笑える。この子はこの先、どんな大人になるのだろう。このままだと傾国の美姫まっしぐらじゃない? ただし、目付きが異様に怖いのが玉に瑕。でもリリなら、そんなハンデはものともせずに成り上がるんだろうなあ。
くつくつと肩を揺らしていると、わたしの呟きを聞き咎めた件の幼女が異議を申し立ててきた。
「何を莫迦なことを言っているんですか。ほんとに籐花様って――」
ん? なに、リリ。なんて言ったの? ちゃんと聞き取ろうと傾けた頭がかくんと落ちた。
あ、限界かもしれない。
「……籐花様? 籐花様っ!?」
なんだかやけに慌てているリリの声を、可愛いなあなんて思いながら聞いているうちに、わたしの意識はゆっくりと沈んでいった。
これにて本編完結となります。ご愛読ありがとうございました。
明日、リリの閑話を2話掲載します。よろしければそちらもどうぞ。




