第09話 教会の聖女
最近の従者の控室での話題は、お嬢様の悪役令嬢としての噂話だった。
そして、その噂話の内容は、雪だるまのように膨れ上がっていっていた。
「新年度の初日から、令嬢の家格を鼻で笑い、わたくしの世界を汚さないでくださると、追い払われたとか」
「わたくしは、学園にいる資格がないと仰ったと聞きました」
言っていない。
お嬢様が言われたのは、殿下のご学友が務まる家は十もないという事実だけだった。
「モンドール家の御令嬢には、二度とルイ殿下に声をかけるなと」
「わたくしは、泣いて帰られたと聞きましたけれど」
言ってもいないし、泣いていない。
お嬢様が言われたのは、挨拶は、挨拶だけで済ませるのがいちばんという嫌味。
フルール様は「行ってしまわれたわぁ」と何事もなかったかのように見送っておられた。
「そして今度はモルネー家の寄子のお家を五つ潰すと仰ったとか」
「わたくしは七つと」
増えているし、そもそも言ってもいない。
この調子でいくと、来週には十の家が潰れる予定になっているかなぁ。
……尾鰭って、こうやって付くんだよなぁ。
自分は窓際の椅子に座りながら遠くの雲を見ていた。
……お嬢様の悪役令嬢の噂話、立派に広がっていますよ。
---
そんな日の昼休み。
お食事をとられるため、お嬢様と共にサロンへ移動する。
いつもは共に中に入るところを、扉の前で用事を申し付けられた。
「帰りにメンビル伯爵家へ寄りますわ。薔薇の礼がまだですの」
「……承知いたしました。先触れを出します」
自分はサロンには入らず、馬車の待機場へと足を向けた。
近いのは中庭を抜ける道であるが、その中庭に人の輪ができていた。
その人の輪は両手で数えきれないほどの人数だった。
そして、その輪の中心に立っておられるのが、セシル様だった。
セシル・ルーメン様
大聖堂の司教の一人娘。
ルーメン家としての屋敷を持たず、大聖堂の一角を生活空間として住まわれている一家の御令嬢。
貴族ではない。
土地でもなく、財でもなく、能力でもなく、信者からの信心で支えられている家である。
「セシル様。いまこそ、教会から聖女としてお立ちになるべきです」
「わたくしどもは皆、そう願っております」
そう言っているのは生徒だけではなかった。
教師や学園の職員の姿も見える。
そんな人の輪は異様な熱気を醸し出していた。
自分はその熱気に当てられ、足が止まってしまった。
「皆様、ありがとう存じます」
セシル様が柔らかな笑顔で応じられた。
「ですが、わたくしは器ではございませんの。わたくしができるのは祈りだけ、ですから」
……上手いなぁ。
断ったのに相手がより心酔するような言葉を使っているのが上手い。
しかも、嘘は言っていない。
器ではないというのは謙遜に聞こえるが、本気で言っているなら事実の申告である。
できることが祈りだけというのも、セシル様の立場ならそう言わざるをえないものだろう。
だからこそ、ここに集まる人たちは、説得することを諦めることができないのだろう。
ふと視線をセシル様の斜め後ろに送ると、いつもの従者が立っていた。
あのお茶会でも見かける、女性の従者だ。
こんな熱気の中でもあの従者の立ち姿は変わらないなぁ。
そんなどうでもよいことを考えていた自分は、その次に耳に入ってきた一言で一気に思考が停止した。
「しかし、それでも、王子殿下の隣には、セシル様こそがもっとも相応しいと思っております」
身体の熱が一気に抜けていくのが分かった。
---
自分はどれだけ固まっていたのだろうか。
気がつくと、お嬢様が輪の中へと歩みを進めているところだった。
いや、輪の側が割れたことで、お嬢様が来られたことに気がついた。
「セシル」
「エレオノール。ごきげんよう」
ふたりの挨拶の温度は、いつもと変わらないものだった。
「ずいぶん集まっておりますのね」
「皆様がお気遣いくださって」
「お気遣い」
お嬢様はその言葉を、ゆっくり繰り返された。
「学園で、これだけの人の輪を作ってしまう方々のお気遣いですか」
輪が静かになり、醸し出されていた熱気が、一気に冷えていっていた。
「わたくしは器ではないとお伝えしているのですが、皆様がお気遣いしてくださって」
その言葉を、お嬢様は鼻で笑われた。
「断られたのに帰らない人の集まりを、お気遣いとは申しませんわ。担ぎ上げと申しますの」
言い終わってから、お嬢様は輪の方へ目を向けられた。
「あなた方、セシルのお言葉を聞いておられましたわね」
誰も答えなかった。
「聞いて、それでも残っておられる。セシルのお言葉より、ご自分のお考えが正しいということですの?」
誰からの答えがないことを確認したお嬢様は、改めてセシル様へと目を向けられた。
「セシル。あなたが器でないのなら、この方々を止めてくださいませ。もしも止められないのなら」
お嬢様は、そこで一度だけ間を置かれた。
「器でないという言葉は、ただの欺瞞ですわ」
その一言で沈黙が中庭を支配した。
しかし、その沈黙の中で、セシル様は微笑みを崩されなかった。
「……おっしゃるとおりですわ」
「そう」
「わたくしの言葉が足りませんでした。以後、気をつけますわ」
そして、お嬢様の言葉を正面から受け止められた。
正面から受け止め、頭を下げられた。
反論もせず、言い訳もせず、非を認めて詫びられた。
ここで終わればよかったが、お嬢様は一つ、釘を刺された。
「これからも同じことが続くようであれば、あなたは詐欺師でしてよ」
それが一番効いた。
「承知しておりますわ」
セシル様がそう言われようと、周りは納得していなかった。
公爵令嬢が我らの聖女を人前で詐欺師と評した。
その侮辱的な現実が、輪に再び熱を取り戻させていた。
しかし、その熱気は先ほどとは違う怒りの熱気。
……これ、明日にはひどい話になってるぞ。
一気に自分の胃が痛み始めるのを感じていた。
---
帰りの馬車で中庭の光景を思い出し、再び胃が痛み始めていた。
しかし、お嬢様ではなく、セシル様の対応を思い出すと頭痛の方が強くなっていく。
なぜ頭痛がするのか。
考えたくはないが、考えてみると、あれは周りに振り回されているものの対応のように見えたからだ。
……だからか。
そう思った時点で、もう口が開いていた。
痛みがあると抑制が効かないようだ。
「お嬢様。畏れながら」
「なんですの」
「セシル様も、殿下の隣を望んでおられないのではありませんか」
お嬢様は窓の外を見ておられた。
「根拠は?」
「器ではないというお言葉に違和感がありませんでしたので」
「あら、あなた、あの場所にいましたの」
「……はい」
「そう。で、それだけ?」
「……はい」
お嬢様がゆっくりこちらを向かれた。
「レイヴ」
「はい」
「あなたは、あなたが見たものを、あなたの推察をつけて伝えることが、あなたのお仕事だと思っていますの?」
何も答えることができなかった。
「あなたのお仕事は、見たものを、ありのままわたくしに伝えること。そして、わたくしが必要だと言った時だけ、あなたは推察を伝えればよろしいのよ」
「……失礼いたしました」
「よろしい」
お嬢様はふたたび窓の外へ視線を戻された。
……お嬢様が必要だと言った時。
それが自分の推察を伝えるべきタイミング。
それまでは自分の中で抱えたまま待て、ということだ。
……それ、待つっていうより、我慢だよなぁ。
しかし、言われていることは分かる。
お嬢様が欲しておられるものは、あくまでも現実の情報。
そこに自分の主観や推察は不要ということ。
そういうわけで、今日のこの推察も記憶に残しておかなければいけないということだ。
……あれ、これって記憶に残しておかなければいけない推察が、無限に増え続けないか。
胃薬の在庫、増やしておこうかなぁ。
二日目も5話連続掲載中で、10話目は20時に公開予定となっています。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




