第07話 金色の令嬢
「ええ、そうですわね。大事ですわね。そして、挨拶は、挨拶だけで済ませるのがいちばんですわ」
—— 挨拶で済ませる
学園が始まって数日が過ぎた。
従者は、授業のあいだは控室で待ち、終われば主の荷物を持ってその後ろを歩く。
それは学園の変わらぬ日常。
しかし、変わらぬということは慣れるということで、慣れてしまうと周りに余裕が生まれる。
余裕が生まれれば隙も生まれやすくなるのが人というもので……
……聞こえてきてしまうんだよなぁ。
日に日にお嬢様の"本気を出した"という話が、尾鰭がついて噂話として膨らんでいっていた。
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そんな日々が続いたあとの、ある日の学園の朝。
お嬢様の後ろについて歩いていると、サロンへ続く渡り廊下の先が少し混んでいた。
人が集まっているというより、人が足を緩めている。
皆、目線は前を向いているが、耳だけはその先のふたりに傾けられていた。
そのひとりは金色の髪の令嬢だった。
フルール・モンドール様。
モンドール伯爵家の御令嬢で、お嬢様の定例のお茶会に集まる三人のうちの一人。
曾祖父の代に金銭で男爵位を得て、祖父の代で貴族家の嫁を迎え貴き血を入れ、父君の代で伯爵までのし上がった家。
貴族のあいだでは新興貴族と呼ばれ、その呼び方には財への羨みと、血への侮りが半分ずつ入っている。
そしてもうひとりが……ルイ殿下だった。
「まぁ、殿下。ごきげんよう」
「……ごきげんよう、モンドール伯爵令嬢」
いつものお茶会で聞くのと同じ、のんびりした声だった。
その声は、周りが耳を傾けていることに気づいていないように見える。
殿下は足を止めて応じておられたが、言葉は最低限の挨拶だけと短いものだった。
しかしフルール様は、その言葉のあとも殿下の前で微笑んで立ち止まったままだった。
「お引き止めしてしまってごめんなさい。でも、せっかくお会いできたのですから」
「いや、よい」
「先日の夜会ではご挨拶にお応えいただき、とても嬉しく。そのことを父も喜んでおりました」
……やってるなぁ。
自分は荷物を持ち直しながら、お茶会での会話を思い出し、素直にそう思った。
しかし、周りの反応は違ったようだ。
「またモンドール家の」
「あの方は、ああいう方ですから」
扇の陰でそう言い合っている令嬢がふたり。
声を落としているが、落とし方が下手だった。
しかも口の動きを隠していない。
フルール様を侮っている。
あの口調とあの微笑みで警戒するに値しないと思っている。
しかし、だ。
三代で伯爵までのし上がった家の令嬢が、そんなに侮れる存在であるのだろうか?
否、そんなはずはない。
あの口調とあの微笑みで侮られることも計算済み。
それも一つの武器。
あらためてフルール様の周りを見てみると、斜め後ろに侍女が立っていた。
それ自体は普通なのだが、その目が冷静だった。
……あの侍女が周りを観察している。
どの家のものが耳を傾けているか、そしてどの家の令嬢がフルール様を侮ったか、それらを観察している。
そう気がつくと、自分の背中に冷たいものが走った。
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自分がそんなことを考えていると、急にお嬢様がふたりの方へと向かわれた。
「あら、フルール」
「エレオノール。ごきげんよう」
お嬢様はふたりの前で足を止め、それから殿下に軽く礼をされた。
「殿下。ごきげんよう」
「ああ、ごきげんよう、ヴァルモン公爵令嬢」
「お話の途中でしたかしら」
「いや」
殿下がそう答えられると、お嬢様は満足そうに首を傾げられた。
「そう。ではよろしいですわね」
……何がよろしいんですか。
「フルール。モンドール伯爵は、ご挨拶がお好きですのね」
「ええ。お父様、ご挨拶は大事だと申しますの」
「ええ、そうですわね。大事ですわね。そして、挨拶は、挨拶だけで済ませるのがいちばんですわ」
フルール様は、それを笑顔で受け取られた。
しかし、耳を傾けていたひとたちは、違う意味を読み取っていた。
挨拶で済ませろ。
それ以上の会話はするな。
フルール様や周りの反応に満足したのか、お嬢様は笑顔を浮かべておられた。
「殿下。あちらでお話がございますの」
「そうか」
お嬢様は殿下を連れて歩き出された。
連れて、というのは言葉が過ぎるかもしれないが、実際そう見えたのだから仕方がない。
そんなお嬢様と殿下に従いながらも、後ろを一度だけ見た。
そこにはまだ同じところに立っているフルール様が見えた。
フルール様は、お嬢様と殿下の背中を見ながら、小さくため息を吐かれた。
「行ってしまわれたわぁ」
残念そうな声だった。
熱のこもっていない、ただの残念そうな声だけだった。
その声で周りの空気が変わったのが分かった。
それまでは殿下に懸想する礼儀知らずの新興貴族の令嬢という侮った雰囲気だった。
それが公爵令嬢に横暴をされる哀れな貴族の令嬢という雰囲気に変わった。
……お嬢様、しっかり悪役令嬢になっていますよ。
少し、胃が痛い気がしてきた。
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その日のお昼過ぎ、お嬢様に従い廊下を歩いていると、その反対側から侍女を連れてフルール様が歩いてこられた。
しかし、ふたりとも足を止めて挨拶をする、そんな雰囲気はなく、視線も交わすことがなさそうだった。
そんなことを考えていると、視線の先で立ち止まっている三人の令息の会話が、ふと耳に入ってきた。
「来月の試験、去年と範囲が違うらしいぞ」
「そうなのか、外国文化の範囲が増えないことを祈りたいな」
「外国といえばヴェネアーノの船が港に入ったそうだ。今年は早いな」
何気ない普段の会話だった。
そう何も記憶に残らない、そんな会話のはずだった。
しかし、それが変わった。
フルール様の目の中の輝きが変わり、耳だけがわずかに三人の令息へ向いたからだ。
そう、ほんの一瞬。
いま、何かあったか。
話を思い出してみる。
試験、外国、船、港。
どれかに引っかかったのか、もしくは、あの令息の誰かに気になることでもあったのか。
……いや、分からないな。
分からないが、ひとつだけ分かることがあった。
朝、殿下の前に立っておられたときには、目の輝きも耳もまったく変化がなかった。
そう、あのふたりの令嬢の侮りの言葉にさえ変化がなかった、フルール様の目と耳がである。
これが逆なら、何も思わなかった。
逆だったから記憶に残ってしまった。
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帰りの馬車に乗ってからも、自分は考えていた。
熱のこもっていない、ただの残念そうな声。
そして、残ってしまった記憶。
この二つを掛け合わせると、ひとつの推測が思い浮かんでいた。
しかし、お嬢様に言うべきか、それとも言わずにおくか。
見間違いだったかもしれない。
それに、目が輝いた、耳が動いた、それだけで人の本心を推測しきることはできない。
……いや、言わないことは執事としてありえないのではないのか?
そう思った瞬間に、口が勝手に開いていた。
「お嬢様。畏れながら、ひとつ申し上げてもよろしいでしょうか」
「なんですの」
「モンドール伯爵家のフルール様は、殿下に本気ではないのではありませんか」
馬車の音だけが続いた。
お嬢様は窓の外を見ておられた。
見ておられたまま、こちらを向かれない。
「根拠は?」
「殿下のお話をされているあいだ、あの方の目の輝きに違いがありませんでした。しかし、昼に令息の雑談を聞かれたときに、一度だけ目の輝きが変わっていました」
「それだけ?」
「……それだけです」
「レイヴ」
「はい」
「フルールが何を望んでいるかは、フルールのものです。わたくしのものでも、あなたのものでもありませんわ」
「……失礼いたしました」
「よろしい」
お嬢様はまた窓の外へ視線を戻された。
胃のあたりが、じわりと重くなった。
……ですよねぇ。
フルール様が何を望んでいようと、それはあの方のものだ。
自分が横から見て、勝手に本気ではないと決めていいものではない。
執事がすべきは事実の報告で推測の報告ではない。
判断するのは主であり、執事はその補助をするものだ。
……理屈で負けてるから、余計に痛いんだよなぁ。
馬車は石畳を鳴らしながら進んでいく。
それでも、と思った。
あの引っかかりには何かある。
だからこの推測も記憶に残しておこう。
そう思いながら、自分は膝の上の荷物を持ち直した。
二日目も5話連続掲載中で、8話目は16時に公開予定となっています。
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