第04話 それから三年
三年も経てばブラックな環境でも人間は慣れる。
「レイヴ」
「はい、お嬢様」
振り返る前に返事をしていた。
声に反応をする自分の姿は、まさにパブロフの犬。
「明後日、メンビル伯爵家へ伺いますわ」
「承知いたしました。馬車の手配をいたします」
「それと、あちらの庭師が育てている白い薔薇。あれをひと株いただいてきて」
「……お嬢様」
「なにかしら」
「メンビル伯爵様には、すでにご連絡されているのでしょうか?」
「あら、していないけど」
そうか、許可は得ていないと……
無茶振りじゃないかい!
客として招かれた先から、その家の庭師が何年もかけて育てた薔薇を断りもなく持ち帰る、どう考えても非常識だ。
「畏れながら、先方に失礼にあたるかと」
「そう。では、失礼にあたらないようになさい」
「……承知いたしました」
うん、一蹴された。
三年前ならここで食い下がっていたと思う。
でも、いまは食い下がらない。
食い下がってもお嬢様は考えを変えることはないし、確かに主従の関係はあるにせよ口で勝てた試しもない。
そして、お嬢様がこの手の無理を言われるときは、たいてい無理を通せる見込みがあるからでもある。
だから、タチが悪い。
執事としては、できることをできないとは言えないし、言えない限りはお嬢様の言葉を実現しなければいけない。
……ブラックだな。
少し、胃に痛みを感じていると、お嬢様はついでのように一言、付け加えられた。
「ああ、それから。明日はいつものお茶会よ」
その一言を告げると、お嬢様は颯爽と歩いていかれた。
自分はその背中に頭を下げた。
胃の痛みは止まりそうにない。
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執事になって一年目はもっと酷かった。
夜の最後の挨拶の時に「上演されている劇の評判を明日までに集めてきなさい」と言われたこともあれば、朝食の席で「あの村の鶏が食べたいわ」と言われたこともある。
前者は情報屋を叩き起こして間に合わせ、後者は冒険者ギルドに特急依頼をかけてなんとか間に合わせた。
極めつけは真冬に「雪の降る音が聞きたいわ」と言われたときだった。
雪の降る音はない。
なので素直に「雪が降る音はありません」と申し上げたら、「では、聞こえるようになさい」と返ってきた。
結局、商業ギルドに頼んで、雪が降る音に見立てた楽器を作ってもらい、それを雪の降る中、お嬢様が眺められる窓の外で鳴らしていた。
お嬢様は半刻ほどその音を聞いてカーテンを閉められたっけなぁ……
あの時は寒さで死ぬかと思った。
まぁ、こんな感じでお嬢様の思いつきに付き合ってきたわけだ。
うん、思い出してもブラックだ。
しかし、モーリスさんの言ったとおりになったなぁ。
三年たったいまでも自分には部下がいない。
自分は頼んでばかりだった。
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雪で思い出したことがある。
一年目の冬に奥様が亡くなられた。
病だった。
唐突な体調の変化で、病と分かってからひと月ももたなかった。
葬儀の日のことはあまり覚えていない。
まだ、一年目ということもあるが、お嬢様の無理難題で手一杯で、奥様とはそれほどお会いできていなかったから、実感が湧いていなかった。
しかし、覚えていることもある。
奥様が亡くなったその翌週から、お嬢様が家の差配をなさるようになったことだ。
まだ十五歳のお嬢様。
旦那様は相変わらず王都と領地を往復していて、屋敷にいる日の方が少ない。
そして、お嬢様に兄弟や姉妹はいないし、旦那様にも兄弟はいない。
だから、誰かがやらなければならず、やれる人間がお嬢様ひとりしかいなかった。
お嬢様はそれを当たり前として受け取られ、当たり前に実行されていた。
だから自分は、お嬢様の命令を忠実に実行する執事になった。
なぜ、そんな執事になろうとしたのか、その心は自分でも分からない。
気がついたらそうしていたから。
ただ、あの瞬間、本当のお嬢様の執事になれたと、いまではそう思っている。
奥様の喪が明けると、お嬢様は学園の支度もあるため、王都のタウンハウスへと移られた。
もちろん自分も一緒だ。
以来、自分の職場はずっとこの王都となっている。
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一年ほど前の春に王城からお茶会への招きが届いた。
王子殿下の私的なお茶会への招待である。
差出人の名を見たときは、さすがに二度見して、間違いではないかと思った。
もっとも王子殿下とのお茶会は初めてということではない。
お嬢様がタウンハウスに移ってからその少し後のタイミングで、王子殿下をお招きしてお茶会を開いたことがあった。
お嬢様は何度も王子殿下とお茶会をされていたらしい。
っが、自分はこの時が初めてで、しかもお茶会の給仕に指名されてしまった。
なぜ?っと思いながらも、自分はお茶を淹れ、菓子を運び、壁際に下がって黙っていた。
だというのに殿下は、帰り際にこちらを一度見て、いい笑顔でひとつ頷き、それから何も言わずに帰っていかれた。
以来、なぜか「あの執事は問題ない」という扱いになっている。
何が気に入られたのかはいまだに分からない。
分からないまま、とうとう王城の庭に立たされるという状態まで発展してしまっていた。
白いテーブルに殿下とお嬢様が向かい合って座っている。
「よく来てくれた」
「お招きに与りまして、ありがとうございます」
それきりしばらくたわいもない会話が続いた。
茶葉の産地の話、季節の話、学園の教師の話。
そんなどうでもいい話ばかりが続いたが、こんな話のためにお茶会に招かれるわけがない。
ということは、本題が別にあるということだ。
……ちょっと胃が痛くなってきた。
殿下が庭の入口の方へ目をやった。
「そろそろ時間かな。実は君に紹介したい子がいる。もうすぐ来るころだ」
お嬢様の手が止まった。
しかし止まったのは一瞬。
その一瞬を自分は見ていた。
やがて、女官が少女と侍女を連れて庭に入ってきた。
少女の年齢は十四歳か十五歳か。
少女はテーブルの前で立ち止まると、カーテシーをしながら挨拶をした。
「アリシア・フォンテーヌと申します」
子爵家の名だった。
その挨拶を受けたお嬢様が、ピクっと反応したことに気がついた。
王子が公爵令嬢に子爵令嬢を王城でのプライベートなお茶会でわざわざ引き合わせる。
この事実が告げていることは、ひとつしかない。
しかし、王子殿下は言葉では何ひとつ明かされていない。
殿下は「紹介したい子がいる」としか言われていないし、その子は名乗っただけだ。
だがここまでの場面を準備されて気がつけないものは、高位貴族にはいない。
お嬢様は背を正され、王子殿下の方に向けた視線をほんの少しだけ細めた。
「そういうことですのね」
殿下は答えなかった。
答える代わりに笑顔を返していた。
「分かりました」
お嬢様の言葉は、それだけだった。
そのお嬢様の言葉に王子殿下は非常に満足したような、そんな雰囲気を醸し出していた。
……これが本題だったのか。
自分の胃の痛みが加速していくのが分かる。
早く帰宅して胃薬を飲みたい。
そう思ってみても、現実はそれを許してくれるわけではない。
それから四半刻ほど、三人はたわいもない会話を重ねていた。
……自分よりもアリシア様の方が緊張していないなぁ。
そうか、アリシア様は慣れているのか。
だとすれば、王城でのお茶会も、王子とのお茶会も、今日が初めてではない。
そんな嫌なことにも気がついてしまった。
胃の痛みがさらに加速していった。
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そんなお茶会の帰りの馬車で、自分はひとつ尋ねてみた。
「お嬢様」
「なにかしら」
「畏れながら、よろしいのですか」
窓の外を見ていたお嬢様が、こちらへ顔を戻された。
「何が?」
「……お嬢様が、あの席で受けられた意味を、伺っております」
しばらく車輪の音だけが続いた。
「わたくしは、王子殿下との婚姻は望んでいませんわ」
あっさりしたものだった。
「理由をお伺いしても」
「いけませんの?」
「……いえ」
三年前と同じ答えが返ってきた。
理由は言わない、ということらしい。
自分はお嬢様からは見えないように、小さくため息を吐き、それ以上訊かなかった。
訊いても言わない人だというのはこの三年で嫌というほど学んでいるから。
……面倒な人だ。
面倒な人だが、面倒を引き受ける人でもある。
公爵令嬢が王城へ呼ばれて、子爵令嬢を引き合わされた——それだけで宮廷雀たちは騒ぎ立てるだろう。
そして、矢面に立って面倒を被るのはこちらの方だ。
それを承知でお嬢様は「分かりました」と王子殿下に答えられた。
つまりは自分の得にならない話を、自分の時間を使って引き受けたということだ。
呆れるが、そういうところが嫌いにはなれない。
あの日からアリシア様は幾度かこの屋敷を訪ねてきている。
人払いをした秘密のお茶会。
そして、そこに自分も同席させられている。
……なぜだ。
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そして冒頭に戻る。
「明日のお茶会、楽しみですわね」
その言い方に、どこか含みがあった気がした。
だが、思い出に浸っていた自分は、そのことを深く考えなかった。
……考えておくべきだったと知るのは、翌日だった。
初日は5話連続掲載中で、5話目は20時に公開予定となっています。
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