第03話 公爵領へ
馬車が着いたのは、その日のうちではなかった。
ちなみに、正座をさせられていたのは初日だけだった。
宿に泊まり、身綺麗にしてからは普通に座らせてもらえたので、外も見えるようになった。
見えるようになったところで、代わり映えのしない街道が流れていくだけだったが、どこに向かっているかは分かった。
まぁ、エレオノール様の名前を聞いた時に、王都に向かうか公爵領に向かうかの途中だろうと思っていたので、驚きはないが。
あの街を出て、三日目のあたりから道が良くなった。
それにあわせてエレオノール様のお顔にも、自然な笑顔がさしていた。
……なるほど、ここからが公爵領らしい。
四日目の昼過ぎ、大きな街を抜けたところで馬車が止まった。
窓から外を見ると、大きな門とどこまでも続く塀が見えた。
……でかい。
門が開くと、馬車は再び動き出した。
っが、いつまで経っても馬車が止まる気配がない。
……門から建物までが遠い。
そんなことを考えていると、再び馬車が止まった。
扉が開いて、降りろと言われたので降りた。
降りて、顔を上げると——
……圧巻。
目の前の建物は、大きく、そして荘厳だった。
扉の装飾は重厚で、しかもその大きさは大人が四人並んで通れるくらいはある。
外壁はどこを見ても汚れがなく、それでいて古さだけが厚みになって残っていた。
そして、たくさんの窓、窓、窓。
俺は窓の数を数えようとして……途中でやめた。
数えるのが面倒になったからではない。
数えている途中で自分が何をしているのかに気がついたからだ。
……逃げ道を探している。
街道で野垂れ死にかけていた男が、飯と屋根を約束された館に来たのにもう逃げ道を探し始めていた。
職業病というやつ……いや自分の過去からくる性根というやつだ。
たぶん、もう一生治らない。
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開かれた扉の先を覗き込み、また足が止まる。
天井が高い。
吹き抜けとなっている広間の天井から、目も眩むようなシャンデリアが吊るされている。
思わず目線を下げるが、今度は大理石の床が窓の光を跳ね返してくる。
上も下も、逃げ場がない。
……さすが、公爵家の本邸だな。
そんな扉の先では、老人が待っていた。
背が高く、白髪をきれいに撫でつけ、皺の寄った顔で穏やかに笑っている。
その笑い方が、こちらを値踏みしていない笑い方だったので、少しだけ驚いた。
「モーリスと申します」
老人はそう名乗り、ゆっくりと腰を折った。
「レイヴと申します。……あの、そこまでしていただくような者では」
「いいえ。本日よりお嬢様の執事となられる方と伺っておりますので」
「……話が早いですね」
「お嬢様から連絡は受けておりましたので。『面白いモノを拾ったから、執事にするわ』と」
モノ……完全にモノ扱いである。
「そういうわけだから、モーリス、あなたの後任となるようにしっかりと調教してくださいね」
「……え、調教!?」
「承知致しました、お嬢様」
「……え、承知しちゃうの!?!?」
「では、あとはお願いね」
そう言葉を残し、悪どい笑顔で去っていくエレオノール様と、そのエレオノール様に淡々と応対するモーリスさんのやり取りを見て、背中に冷や汗が流れてきた。
エレオノール様を見送ったモーリスさんは、あらためてこちらに向き直った。
「そういうわけでございますので、引き継ぎをいたします。改めて自己紹介をいたします。エレオノールお嬢様の執事をしております、モーリスと申します」
その言葉には有無を言わせない圧力があった。
背中の冷や汗の量が増えた。
「まずは、この御屋敷を案内いたします」
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案内が始まった。
「こちらが大食堂。お客様をお迎えするときに使います」
扉を開けられたので、中を軽く覗くと、すぐに閉められた。
「日々のお食事は小食堂でございます」
次の扉を開けられ、ここは中まで案内された。
「奥に厨房がございます」
小食堂の先の厨房に案内されると、そこでは湯気の向こうで何人か働いていた。
「厨房では六人、洗い場では四人が働いております」
そういうとモーリスさんはひとりひとりの名前を紹介していった。
その後も洗濯室、控室、庭園などを案内されるが、その度に何人もの名前を紹介された。
……いきなりこの人数とは。
自分の背中が冷や汗ですでにびしょ濡れになっていた。
この案内そのものが圧力になっていて、正直、そろそろへこたれそうだった。
そんなときだ。
中庭を抜ける渡り廊下に、ひとりの若い侍女が立っていた。
その侍女は俺を睨むように見つめると、真っすぐに歩いてきて、目の前で足を止めた。
「エステルと申します。お嬢様付きでございます」
「レイヴです。本日より——」
「存じております」
食い気味だった。
「ひとつ、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「レイヴ、というのは本当のお名前ですか?」
答えなかった。
答えないことが答えになる質問だというのは分かっていたが、それでも答えなかった。
彼女はしばらく俺を見ていた。
それから、小さく息を吐いた。
「……そうですか。お嬢様にご迷惑をかけないということであれば、よいでしょうが……そうでなければ、分かっていますね」
そりゃそうだよな、と俺も思うので、苦笑いをしながらも、真摯に頷いた。
その態度にエステルも満足してくれたようだった。
「では、もうひとつ」
「どうぞ」
「お嬢様に何かあったとき、あなたはどうしますか?」
妙な質問だった……っが、答えるのに時間はいらない。
「お嬢様のところへ駆けつける、でしょうね」
「……そうですか」
それで確認は十分、そういう雰囲気をエステルはたたえながら、一礼して去っていった。
彼女の姿が見えなくなったところでモーリスさんが口を開いた。
「エステルでございます」
「……はい、伺いました」
「よい侍女です。お嬢様のことになると、少々、厳しくなりますが」
少々どころではなかったが、黙っておいた。
だが、嫌いではない。
この手の警戒の大事さは、自分も肌身に染みて理解しているから。
むしろ、素性の知れない新入りが来たというのに誰ひとり警戒しないような屋敷の方が、俺に言わせればよほど危なっかしい。
階段を上がり、絨毯の敷かれた廊下をしばらく進んで、モーリスさんが足を止めた。
「こちらが、お嬢様のお部屋でございます」
部屋の扉を叩く前に、その扉が中から開いた。
「あら、もう終わりまして?」
「ひととおりは」
「早いのね。モーリス、この人、覚えが悪かった?」
「いいえ」
……やばい、バレないように再確認をしないと、どうなるか分からん。
ふたりの会話で、身体の芯まで冷や汗をかき始めていた。
だが、そんな俺の心の中など気にすることもなく、エレオノール様は満足した様子だった。
「よろしくてよ。では行きましょう、レイヴ」
「どちらへ」
「お母様のところ。挨拶なさい」
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連れて行かれたのは廊下の突き当たりにある日当たりのいい部屋だった。
そこにはエレオノール様によく似た人がいた。
似ているが表情がひとまわり柔らかい。
「私はアリエノールよ。あなたが、あの子の拾ってきた方ね」
「レイヴと申します。このたびは——」
「ええ、いいのよ。あの子が決めたのなら」
それで終わった。
それ以外は何も言わなかった。
言わずに微笑んだだけだった。
俺は問答や審査があるものと思って身構えていたので、拍子抜けした。
エレオノール様は、母親の反応に満足したらしい。
「お父様は王都よ。手紙では知らせているけど、顔合わせはまた今度ね」
その言葉にも、どこか弾んだものがあった。
そんな娘の反応に微笑みながら、アリエノール様は俺にだけ聞こえるように小さく呟いた。
「あの子ね、人を見る目はあるのよ」
エレオノール様の方を見ずにそう言った。
「ただ、人を使うことが、まだ下手なの。あの娘を、お願いね」
俺は小さく頭を下げた。
また、大変なことをお願いされてしまったものだ。
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与えられた部屋は立派なものだった。
寝台があり、机がある。
寝台の寝具は安宿のものとは一線を画す、それなりに上等なものだった。
……さすがは公爵家、使用人の部屋も一流だ。
そんなたわいもないことを思いながら、これからのことを考えていた。
逃げようと思えば逃げ出せる。
荷物も金もないが、これだけ大きな街なら日雇いには困らないだろう。
小銭ができればこの街を出て、手の届かない街までいく。
そうすれば逃げ切れる。
そもそも、まだ何も持っていない男が出ていったところで誰も困らない。
追う理由もない。
あの国を出たときもこんな感じだったな。
誰にも言わず、最低限のものだけを持ち出して、逃げた。
そして、冒険者になって小銭を稼いで、街から街へと逃げていった。
一つの場所に長くいれば痕跡が残る。
痕跡が残れば逃げたものが追いかけてくる。
そんな想像に追われて逃げていた。
自分は逃げている、だから根を張らないのが正しい。
正しいはずだったのに、逃げる気が起きなかった。
飯を食わせてもらって、宿で休ませてもらったのに、屋敷に着いたらその晩のうちに消える。
……さすがに、やることが汚すぎるよな。
うん、逃げる気がしないのはそういうことだ。
そういうことにしておこう。
寝台に転がって、目を閉じた。
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それからの引き継ぎの日々は、まさに地獄だった。
厨房を預かる者が何にこだわり、何を言われると機嫌を損ねるか。
どの商人が公爵家に恩を感じていて、どの店が値を吹っかけてくるか。
帳簿をまとめる男は、月末の三日間だけ話しかけられたくないこと。
門番は年嵩の方が膝を悪くしていて、雨の日は交代を早めてやると助かること。
そして、それぞれがどういう人と繋がっているか。
……この屋敷の人脈を引き継がされている。
三日目にたまらず訊いた。
「モーリスさん。先ほどから、人の詳細とその人の人脈しか伺っていないのですが」
「さようでございますね」
「執事の日常の仕事についての引き継ぎはないのですか?」
モーリスさんは、そこで初めて手を止めた。
「レイヴ、あなたは執事という仕事が何をするものか、すでにご存じですね」
その一言に、自分の全てを見抜かれている、そんな感覚を受け、一気に体温が下がった。
「日々のあなたの動きを見ていれば分かります。目で盗む。あなたはすでに行っておりますよね」
図星だった。
「なので、わたくしがあなたに引き継ぐのは、仕事ではありません」
「……では何を」
「その前にひとつ、あなたに伝えておかなければいけないことがあります。今後、あなたに、部下がつくことは、ありません」
「……は?」
「この屋敷の者、そして公爵家から見れば、過去を明かさないあなたは、完全なる部外者です。そんなあなたに、部下をつけることはできない、そういうことです」
納得しかない。
「なので、あなたは頼むことしかできない」
「頼む」
「頼んで、聞いていただいて、こちらも何かを返す。あなたがお嬢様の執事としてすべきことは、頼むことです」
命令ができないから、頼むしかない。
頼むなら相手を知らないといけない。
そして、相手の人脈を知り、効率よく頼まないといけない。
非常に面倒だが、逃げなかった以上は覚悟を決めないといけない。
そう、この時、心の奥に刻まれた。
引き継ぎは数ヶ月続き、そして、モーリスさんは引退していった。
その背中を見送った時、ああ、これで本当にお嬢様の執事になったのかと強く思った。
それから、三年が経った。
初日は5話連続掲載中で、4話目は18時に公開予定となっています。
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