第37話 閉廷
審問室はまだ揺れていた。
しかし、いち早く現実を思い出した法務官が木槌を鳴らした。
「静粛に」
その言葉に傍聴席の熱も冷めていった。
審問室に静けさが少しずつ戻ってきた。
その中で、お嬢様が立たれた。
「こういうことですの、ロシュフォール侯爵」
自信に満ち溢れたその声は、この審問室の端までも響いていた。
「ご納得いただけまして?」
皆の視線が、侯爵に集まる。
侯爵はその視線をお嬢様へ送り、それから殿下へと移し、そして法務官へと戻した。
侯爵が、一度だけ手を強く握りしめた。
「…………取り下げる」
「あら、聞こえませんわ」
お嬢様がそう言われた。
自分は少しだけ苦笑いをした。
……悪い癖が出ていますよ、お嬢様。
お嬢様の言葉に侯爵が顔を上げた。
その表情には一切の感情が載っていなかった。
侯爵は堂々と、どこまでも届く声で、こう告げた。
「ヴァルモン公爵令嬢への告発を、取り下げる」
そして、片手を胸に当てて、形だけの礼をした。
感情の一切こもっていない、しかし、作法としては完璧な礼だった。
侯爵は負けを認めた。
しかし、その負けの痛手が最小限の段階で踏みとどまった。
……さすがは高位貴族の当主だ。
その清濁を飲み込む潔さに、自分の方が脱帽した。
「ロシュフォール侯爵。いまの取り下げに、条件はあるか」
「ない」
「では取り下げを受理する」
法務官が書記の方を見た。
今日この部屋で作られた書類が、これから先、この国の記録になる。
「ヴァルモン公爵令嬢エレオノール。あなたへの告発は取り下げられた」
「ありがとう存じますわ」
お嬢様は、それは綺麗なカーテシーで法務官に礼をされた。
法務官は審問室全体を見渡し、そして深い息を吐いた。
「この審問を終結する」
最後に木槌が一度だけ鳴った。
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人が動きはじめた。
殿下が退席された。
法務官と書記も退室した。
それらを見終えて、傍聴席から、ひとり、またひとりと、審問室を退室していく。
お嬢様が、被告人の席を離れて歩き出された。
だが、その方向は出口ではなく、侯爵の方へであった。
お嬢様は、侯爵の隣で足を止められた。
そして、お嬢様の口元が小さく動いた。
その声は自分のところまで届かない。
しかし、その口元の動きは何度も見ているものだ。
間違えるわけがない。
——貸しひとつよ。
お嬢様はそう侯爵に呟かれていた。
侯爵は答えなかった。
答えないまま、小さく一度だけ頷いた。
この審問で、告発の根拠は崩れた。
少なくともフォンテーヌ子爵令嬢の保護については、殿下のご指示によるものとして記録された。
だが、侯爵には、お嬢様を告発した者という記録が残る。
その記録を使えば、殿下のお考えを汲み取れず公爵家を陥れようとしたと、そう侯爵家を追及することもできるはずだ。
しかし、お嬢様はそれをなさらない、いや、なさらないことを貸しとされた。
……これが貴族の世界か。
あらためて思い出していた。
貴族に暗闘はつきものである。
そして、暗闘の結果、勝てると思った戦のみを表舞台に出す。
しかし、侯爵はその勝ち筋を読み間違えていた。
だから負けを受け入れた。
しかし、負けをそのままにはしないだろう。
それは明日以降の新たな暗闘の狼煙でもある。
……狐と狸の化かし合いか。
侯爵が歩き出した。
だが、その背中に敗者の色は一つも無かった。
お嬢様は、その背中を見送っておられた。
こちらへ視線が来ることはなかった。
そして、お嬢様も退室されていった。
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そうして、大半の人たちが審問室から退席していった。
しかし、自分はその流れに乗れなかった。
ここを出てしまえば、自分はただの平民に戻る。
戻ったあとのことを、まだ何も決めていなかった。
そんな感慨の中、自分の証言を思い出していた。
……あとで、傭兵団にアリシア様を王都ではなく、公爵領の屋敷に連れて帰るようにお願いしなくては。
咄嗟の証言だったので、いろいろと調整しなければいけないことがある。
……騎士団長を通じて、傭兵団の受け入れを頼まないと。
あと何回、この頭を下げればいいのか、そんなことを考えていると、自分の前に一つの気配が立っていた。
「レイヴさん」
エステルだった。
「お嬢様がお呼びです」
それだけだった。
刺も、皮肉も、何も付いていない。
付いていないことの方が、どうにも据わりが悪かった。
自分の答えを聞く前にエステルは先に歩き出した。
慌てて自分はその後をついていく。
そうして、自分はお嬢様の控室に連れて行かれた。
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お嬢様の控室には、屋敷の者が何人か来ていた。
自分は壁際に立たされていた。
自分から声をかけられる立場ではないので、声をかけられるまでそのまま立っている。
目の前では、年嵩の文官と、お嬢様が、話されていた。
「では、あの辞職は……」
「わたくしの、采配だったことにします」
年嵩の文官の問いに、お嬢様がそう返されていた。
「承知いたしました。犯人の探索に当たらせるため、お嬢様が暇を出された。そういう形にいたします。その方が、家のためにもなりますでしょう」
「それでよろしくてよ」
「旦那様がお戻りになるまでに、形だけは整えておきませんと。お嬢様が四年近くもそばに置かれた者を、犯人捜索のために手放したという話にしておけば、誰も掘り返しはしないでしょう」
自分の証言が覆らないように、形をあらためて整えている。
ただの平民であることと、公爵家から指示を受けて平民となっていたものでは、同じ平民でもその意味合いが違う。
正しいことがすべてではない。
時に権力は正しさを覆させる。
それをさせないように、こうやって形を整えているのだ。
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年嵩の文官との話が終わると、屋敷の者たちは控室から立ち去っていった。
最後の一人が退室すると、お嬢様とエステル、そして自分の三人だけとなった。
そして、扉が閉まると、部屋の空気が変わった。
お嬢様の視線が自分の方へと向けられた。
「あなた、わたくしに失望したのではなくて?」
「……しました」
正直に答えた。
「あら、正直ね」
お嬢様は少しだけ目を細められた。
怒っておられるのか、面白がっておられるのか、この距離でも分からない。
「嘘は、先ほど法廷で使い切りましたので」
お嬢様は笑われなかった。
笑わずに、こちらをまっすぐに見ておられた。
「……それで。いまはどうなのかしら?」
変わらずに正直に答える。
「今日の審問のお嬢様を見て、その失望はなくなったかもしれません」
その自分の答えに、お嬢様は驚いた顔をされ、そして笑われた。
「うふふ」
その笑い声に自分の心はとても幸せだと感じていた。
やはり自分はこの姿のお嬢様が好きなのだ。
いまはそれでいいことにした。
「……ところで、あなた。戻ってくるの?」
「戻れとは、まだ言われておりません」
何も考えずに答えてしまった。
答えてしまってから、自分の分の悪さに気づいた。
お嬢様に「戻りなさい」と言わせようとしている。
自分から願うのではなく、あの拾われた日と同じように、お嬢様に必要だと言わせたい、と。
しかし、自分はお嬢様に勝てたことは一度もない。
自分が願ったことを、お嬢様は叶えてくださらないだろう。
だから今回も、負けは決まっている。
「あら」
ほら見たことか、お嬢様の眉が、片方だけ上がった。
「……戻れと言えば、戻るの?」
もうバレている。
負けました。
でも、それでも悔しいものは悔しい。
だって、あれだけお嬢様には心配をかけさせられたのだから。
だからお嬢様に少しは意趣返しをしてやりたい。
なのでちょっとだけ捻くれてやる。
そのくらいの意地悪はいいですよね、お嬢様。
「……自分を拾った責任くらい、取ってもらいますよ、お嬢様」
これにて第三部の終了となります。
お嬢様への告発が、無事、取り下げられました。
そして、お嬢様とレイヴの関係も、一歩進んだ感じです。
本編としてはこれで終了となり、明日からはエピローグになります。
できれば物語の最後まで、お付き合い、よろしくお願い致します。
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