第36話 反証
「物事の並べ方を」
—— 事実の見え方
喧騒の中で俺の隣に誰かが座った。
情報屋だった。
「届いた」
それだけ言って、小さく折り畳まれた紙を押しつけてきた。
俺がその紙を受け取ると、情報屋はこちらの返事も待たず席を立ち、審問室から出ていった。
紙を開いた。
——娘は無事。
——多少、体力は衰えているが、傷などはなし。
——一日、こちらで休んでから、王都へ連れて帰る。
息を吐いた。
……アリシア様。
一度、目を閉じた。
助かった、と思うより先に、この情報をどう使うかを考えた。
そして、考えを一通り整理すると、目を開けた。
あの日決めた覚悟を、ここで果たす。
大きく息を吸い込んだ。
「発言をお許しいただきたい」
その一言とともに、俺は立ち上がった。
喧騒が引いた。
傍聴席すべての視線が、いや、証人席、告発人の席、法務官の席、王族の席、被告人の席、すべての視線が、そして、お嬢様の視線が、俺に……いや自分に、一斉に向いた。
法務官が木槌を置いた。
「……傍聴人に発言を許した前例はない」
その法務官の言葉を遮るように、お嬢様が口を開かれた。
「あら、それは当家の関係者でしてよ。それでも発言をお認めにならないと」
法務官はその視線を、殿下に送った。
その殿下は視線を受けられ、一度だけ頷かれた。
そして、改めて法務官が答えを返した。
「発言を認める」
---
「待て」
声はロシュフォール侯爵からだった。
「その前に。お前は誰だ」
侯爵は自分の顔を知らないはずだ。
一度も侯爵とお会いしたことはない。
だから自分がお嬢様の執事であったとは知らないはずだ。
そのことは隠していく。
「レイヴと申します」
「それだけか」
「はい」
審問室の空気が、わずかに動いた。
家名を言わない者、貴族ではないもの。
傍聴席の前の方で、誰かが短く笑った。
笑われるのは構わない。
大事なのはここで発言をすることだ。
「……平民か」
「はい」
「平民が、公爵家の審問で何を語る」
「事実を申し上げます」
それまでとは違う緊張が、審問室に走った。
口に出してから、少し笑いそうになった。
同じことを言った人が、そこに立っている。
この人は、それを最後まで守った。
自分は、これから守らない。
---
「はじめに、ひとつ申し上げます」
あの情報を正直に出すことはしない。
「侯爵閣下が並べられた事実に、自分は一つも異を唱えません」
侯爵が顔を上げた。
「学園での諍いも、屋敷への出入りも、公爵閣下が国内におられないことも。フォンテーヌ子爵令嬢を襲った者たちがこの国の人間ではないことも。すべて、閣下が仰った通りです」
「……では、何を語る」
侯爵は自分の言葉を何も否定されなかった。
これでアリシア様を「攫った者」を「襲った者」と、まずは変えることができた。
このまますべてを変えていく。
「物事の並べ方を」
自分の言葉に審問室が静まった。
「ヴァルモン公爵閣下が帝国におられるのは、事実です」
「それは先ほど私が」
「はい。閣下が仰った通りです」
自分は続けた。
「しかし、それはフォンテーヌ子爵家の姉君の婚約の最終調整のためです」
「たかがといえば失礼となるが、しかし、子爵家の婚約の調整のためであれば、公爵閣下は帰国できたのではないか?」
「その婚約相手が帝室との折衝が必要である高貴なお方であったとしても、ですか?」
「……それは。私には判断できるものではない」
「はい、公表することも難しいお話であるため、この審問院にもお伝えできていなかったのです」
「……その通りではあるな」
なぜ自分がそんなことを知っているのか、という根本的な矛盾を指摘されなかった。
これで二つ目の関門は超えることができた。
「ご理解、ありがとうございます」
そこで自分は侯爵に対して、一度、頭を下げた。
「そして、その公表できない調整の状況を、閣下は書面で公爵令嬢様にお送りになっておりました。家と家の話ではなく、私的な吉報として。ただ、順調である、と」
「……それが、屋敷への呼び出しと何の関係がある」
「その吉報を、フォンテーヌ子爵家にお伝えするためです」
侯爵の口は閉じたままだ。
否定をしてこない。
これで侯爵が用意した「呼び出し」という言葉が「お伝えするため」に置き換わった。
「フォンテーヌ子爵様にお伝えするために家同士の使いを立てれば、発表前の話が表に漏れてしまう。ですから、妹君であるアリシア様に、公爵令嬢様が直にお伝えになったのです」
「……そのために人目を避けて、馬車も使わず、裏門から」
「はい、閣下のご推察の通りでございます」
「馬車も使わず、護衛も付けずに」
「護衛を連れれば、貴族家のものと明かしているのも同然でございますから」
嘘は、まだ一つも、言っていない。
「そして、公爵令嬢様が子爵令嬢様を学園で公然と敵視しておられたのは、その往来を怪しまれないためです。仲が良ければ、人は理由を探しますゆえ」
傍聴席のすべての目と耳が、自分に、自分の語りに集中している。
ここからだ。
「そして、フォンテーヌ子爵令嬢、アリシア様は、行方知れずになってはおりません」
その瞬間、再び、審問室に静寂が訪れた。
しかし、その静寂は、すぐに破られた。
「……何を言っている」
侯爵の声が低くなった。
「子爵令嬢様は公爵領にて、ご静養なさっております」
「……なぜ、公爵領で静養をされているのだ?」
「それは、子爵令嬢様が襲撃を受けられたからでございます。幸い、公爵家が隠れて手配していた護衛により、子爵令嬢様をお救いすることはできました」
侯爵の眉が動いた。
「しかし、侍女は傷を負い、そのことで子爵令嬢様も衰弱されてしまいました。そこで、公爵令嬢様は子爵令嬢様を匿うことを、お決めになられました。その身を、公爵領にお隠しいただき、ご静養いただくと」
言い切った。
ここまでは嘘を混ぜなかった。
しかし、ここで嘘を混ぜた。
いや、嘘に少しだけ真実を混ぜた。
自分の声色は変わっていないはずだ。
背中に汗が流れていく。
一瞬が永遠に感じる。
「……公爵領にいると?」
「おられます」
「誰が連れ帰った」
「公爵家の者です」
それ以上は言わなかった。
余計に足せば、足した分だけ破れる可能性が高まる。
「なぜ届けを出さない。なぜ黙っていた」
「届けを出せば、子爵令嬢様の居場所が公になります」
自分は侯爵を見た。
「襲撃者が捕らえられておらぬあいだは、それは襲撃者に居場所を教えることと同じでございました」
「……その襲撃者どもは、いまどこにいる」
「先ほど、公爵家の手の者が一味を取り押さえましてございます」
審問室がざわめいた。
「隠れ家を突き止め、ひとり残らず身柄を押さえた、と。その報せが、たったいま、ここに届きました」
侯爵は何も答えない。
「ところで、閣下。帝国の者がこの国の子爵令嬢を襲った。それが公になれば、どうなりますか」
誰も答えなかった。
「公爵閣下は、帝国と調整の最中です」
侯爵は、悪あがきのように口を開いた。
「……ならば子爵家に問う。娘が屋敷にいるかどうか、どこにいるかどうか、あの家に確かめれば済む話だ」
「どうぞ、お問いになってください」
自分はそう答えた。
子爵家が何と答えるかは、訊かなくても分かる。
娘が数日、行方知れずだったことにされるのと、公爵領に滞在していたことにされるのと。
あの家がどちらを選ぶかは、考えるまでもない。
「襲った者たちの言い分はどうする。あれは攫ったと言うだろう」
「帝国の犯罪者が、この国の法廷で何を申しましても」
そこで一度、言葉を切った。
「それは所詮、帝国の犯罪者の申すことでございます。この国の者の言葉より信用できるものでありましょうか」
誰も反論しなかった。
別の国の、それも犯罪者の言うことを根拠にせよ、とは、この部屋の誰も言えない。
「……証人を出せ」
侯爵が言った。
「証人として、子爵令嬢本人を、この場に連れてくるのだ」
「公爵領は遠いため、また、ご静養中でありますので。医師の許可がおりてから、数日後、ということであれば、お連れすることはできると思います」
「ならば、お前の言葉が正しいと、証明できまい」
「できません」
自分は認めた。
自身の否を認めることで、次の言葉の重みをあげる。
「しかし、自分は、一つも、偽りを申し上げていない」
侯爵から、目を背けることはしない。
その時間がどのくらいだったかは分からない。
しかし、侯爵は自分から目を切った。
自分は深呼吸をし、そして、高いところの席へと視線を向けた。
そして、その言葉を発した。
「殿下」
審問室のすべての音が消えた。
平民でしかない男が、王家の席に声をかけた。
無礼だ。
それは分かっている。
分かっていて、他に手がない。
「ヴァルモン公爵家が、フォンテーヌ子爵家の令嬢をお預かりしております」
それでも言ってしまった。
しかし、殿下が自分を罰せられることはなかった。
そのかわり、ただ一言だけを発せられた。
「承知している」
審問室が、揺れた。
その揺れの中、殿下は、ゆっくりと続けられた。
「私の判断で、公爵家に、そう手配させた」
ひとつの迷いもない声だった。
その言葉のあと、殿下の口元が、わずかに動いた。
しかし声には出していない。
斥候だった頃の癖で、自分の目が、その動きを拾った。
——敵を騙すにはまず味方から、というからな。
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