第33話 開廷
翌日、王都の外れの宿に向かう。
食堂に入ると、女将さんは奥で洗い物をしていて、朝の客はもういなくなっていた。
しかし、奥のテーブルには情報屋が座っていた。
向かいに座って、テーブルの上に金貨を一枚置いた。
「お前の名前を勝手に使った」
情報屋の顔が歪んだ。
「それはルール違反だ」
声は大きくはない。
しかし、その声は確実に嫌悪感を示していた。
「俺の商売は、顔が表に出ないことで回ってる」
「悪かった。他に思いつかなかった。だがお前への依頼でもある」
「依頼か」
依頼という言葉で、少しだけ嫌悪感が薄れた。
「ああ。ある傭兵団からの連絡を、ここで受けてくれ」
情報屋は鼻で笑った。
「俺は伝書鳩じゃないんだがな」
俺は懐から金貨をもう一枚テーブルに置いた。
「……一週間だけなら受けてやる。その後は知らん」
情報屋はテーブルの上の二枚の金貨を懐へとしまった。
「すまない」
俺は情報屋に向かい、頭を下げた。
テーブルに額が触れそうなくらいまで下げて、それから戻した。
これで借りがまたひとつ増えたな。
「はん。その軽い頭に免じて、情報を一つただでくれてやる」
「……なんだ」
「昨日、告示が出た。審問日は今日から数えて六日後だそうな」
六日後か。
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夜、安宿に帰り部屋の扉を開くと、部屋の中から先客の気配があった。
「勝手に入るな」
「そっちが呼ぶ手間が省けただろう。おっと、灯りはつけるな」
あの造られた声だった。
扉を閉じると、部屋は薄暗くなった。
俺は口を開いた。
「傭兵団を出した。公爵家の騎士団長の紹介だ。もう東へ向かっている」
声は黙ったままだった。
「知らせは、王都の外れの宿。その食堂にいる男が受ける。きっとお前たちも知っている男だ」
王都の情報を集める影が、あの情報屋を把握していないわけがない。
「……なぜそれを伝える」
「そっちの連中と、うちの連中がぶつかったら、得をするのは攫った側だけだ」
しばらく反応はなかった。
「……こちらからぶつからないようにする」
「十分だ」
「ひとつ、情報を伝える。東の関所での検閲が強化された」
その情報を最後に、気配は消えていった。
扉は鳴らなかった。
……検閲が強化された。
それなら、アリシア様を攫った連中は、まだ国境を越えていない可能性が高い。
越えていないなら、辺境で止まっているはずだ。
希望が見えてきた。
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それから審問の日まで、俺はできることをした。
毎朝、情報屋のもとに顔を出して、情報の交換を行う。
昼は何か情報がないかと、冒険者ギルドや商業ギルド、いろいろなところを歩き回る。
夜は安宿の天井を見つめ、情報を整理する。
だが、得られた情報は、俺が知りたいこととは繋がらないものばかりだった。
そして、何も得られないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
それを六日、続けただけだった。
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審問の日の朝、食堂に入るなり、情報屋が先に口を開いた。
「見つけたらしいぞ」
椅子を引く手が止まった。
俺は焦る気持ちを抑えて、腰を下ろした。
「どこだ」
「東の辺境。国境から少し外れた森の奥。今は使われていない材木商の跡地。そこに馬車と、そして人の気配があった」
馬車と、人の気配。
「間違いないか」
「俺は聞いて伝えているだけだ。あとは、あんたが信じるかどうかだ」
「そうだな。それで、娘のことは」
「何も聞いていない」
確かめられたのは、馬車と人の気配だけ、か。
いや、攫った相手を外に出すわけがないのだから、確認できるはずがない。
テーブルを指で叩いた。
……お嬢様の癖がうつっているな。
ここから東の辺境まで五日。
いや、替え馬などを使えば三日でたどり着ける。
しかし、審問がはじまるのは、今日の午後。
いま宿を出て東へ走れば、俺はお嬢様の審問に出ることはできない。
考えるまでもなかった。
息を一つ吐いた。
「彼らに任せる」
「……いいのか」
「いい。だが、ひとつだけ頼む。俺はこれから審問院にむかう。だから、状況が変わったら、審問院にいる俺のもとまで届けてくれ」
俺はテーブルに金貨を一枚おいた。
情報屋はそれを懐へ入れ、そして小さく頷いた。
「……いいだろう」
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審問院は貴族街と平民街のあいだにある。
俺は宿から審問院へとまっすぐ歩いた。
通りは進むほどに人が増えていった。
絹の裾と、擦り切れた上着が、同じ石畳を同じ向きに歩いている。
こんな並び方をする道を、俺は王都で他に知らない。
途中で、横に気配が並んだ。
「……見つかったな」
「聞いたのか」
「聞いた」
足は止めなかった。
「頼む」
「……お前は行かんのか」
「行かない」
気配は並んだままついてきた。
速くも遅くもならず、こちらの歩幅にぴったり合わせている。
俺は前だけを向いている。
顔は見ない。
「そうか」
それだけ言うと、気配は人の流れの中へ紛れて消えた。
道の先に審問院が見えてきた。
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審問院の扉をくぐる。
天井が高く、窓が高いところに並んでいるせいで、光が上から落ちてくる。
貴族の装いに混じって、明らかにそうでない者の背中もあった。
証言者に身分は関係ないと、聞いたことがある。
審問室の前で名を告げた。
係の男は帳面から一度だけ目を上げて、それから傍聴席の方を指した。
俺は傍聴席の、いちばん後ろの列の、その端の席に腰を下ろした。
時間と共に傍聴席は埋まっていった。
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……時間だ。
告発人の席には、ロシュフォール侯爵が背筋を伸ばして座っていた。
高いところに、王家の席がある。
ルイ殿下が、こちらも背を伸ばして座っておられた。
そして、被告人の席には、お嬢様がおられた。
当主または公爵令嬢、と告示にはあった。
旦那様は帝国だ。
まだ、交渉の途中。
帰国の日も決まっていない。
だから、その席に座るのは、お嬢様しかいない。
その背筋はまっすぐだった。
まさに気品、矜持を見せつけているような、美しさだった。
その後ろにはエステルが立っていた。
主が必要としたときだけ動くための場所だ。
俺が立っていた場所だ。
正面の席から見下ろしている法務官が手にした木槌を持ち上げて、一度だけ鳴らした。
「これより、審問を開く」
ざわめきが引いた。
審問室が静寂に包まれた。
「告発は、ロシュフォール侯爵家より提出されたものである。要点を確認する」
法務官が告発文を持ち上げた。
紙の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「一つ。フォンテーヌ子爵家令嬢アリシアが、行方知れずとなっている。二つ。当該令嬢は、行方知れずとなる前に、ヴァルモン公爵邸へ呼び出されていた。三つ。ヴァルモン公爵令嬢エレオノールは、当該令嬢を公然と敵視していた。ゆえに、ヴァルモン公爵令嬢エレオノールに説明を求める」
法務官の視線がロシュフォール侯爵へと向けられた。
「以上について、相違はないか」
ロシュフォール侯爵が静かに頷く。
「ああ、相違ない」
次に法務官の視線がお嬢様へと向けられた。
「本告発について、反論はないか」
お嬢様が顔を上げられた。
「ええ」
よく通る声だった。
「ありません。すべて事実ですわ」
審問室をざわめきが支配した。
前の列の男が身を乗り出し、その隣の婦人が扇で口元を隠した。
法務官の手が、木槌に伸びかけたまま止まっている。
お嬢様は、その音の出どころを一つずつ見回された。
右から左へと、ゆっくりと、最後の一人まで。
そして、傍聴席をすべて見渡し終えられると、片方の眉だけを上げて言われた。
「それがどうしたというの?」
さらなるざわめきが支配する中、俺はお嬢様を見つめ続けていた。
そのお嬢様の姿に、執事を辞めるとお伝えしたあの日の姿が重なって見えていた。
「……お嬢様。諦めないでください」
俺は、届けられない願いを、小さく口にしていた。
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