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冒険者は御令嬢様に拾われる ― 悪役令嬢の執事はつらいよ  作者: 智信
第三部

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第30話 反発

「失望しました」

—— 失望

 お嬢様のその言葉が部屋の中に響き渡る。

 高い声でも、強い声でもなかった。

 それなのに、部屋の空気だけが変わっていた。


 ……皆で破滅しましょう。


 その言葉の意味が分からなかった。


 皆とは?

 フルール様、シルヴィ様、セシル様とですか?

 モンドール伯爵家、モルネー伯爵家、ルーメン家とですか?

 殿下とですか?

 王家とですか?

 ロシュフォール侯爵家ですか?

 アリシア様とフォンテーヌ子爵家ですか?

 この公爵家に関わるすべての者とですか?


 破滅しましょうとは?

 名誉を傷つけるのですか?

 社会的に傷つけるのですか?

 それとも、すべてを燃やし尽くすのですか?


 分からない。

 ただ、お嬢様の何かが壊れたことだけは分かった。

 あのエステルですら、お嬢様に何かを言いかけて、やめていた。

 エステルがお嬢様への言葉を飲み込むところを、自分は見たことがなかった。

 それだけ「皆で破滅しましょう」というお嬢様の一言は、エステルですら衝撃だったのだろう。


 いまのお嬢様に自分の言葉は届くだろうか?

 いや、届かないだろう。

 自分はどうするべきか?

 お嬢様のためにできることはなにか?

 いまの自分の心に身を任せた時、口が動いていた。


「失望しました」


 自分が何を口にしたのか分かったのは、言い終わってからだった。


 その瞬間、お嬢様の壊れた笑顔が止まった。

 そして、恐ろしいほどの感情のない表情を自分に向けられた。

 怒っておられるのではない。

 呆れておられるのでもない。


「……なんですって?」


 お嬢様の声が揺れていた。


「いま、なんとおっしゃいましたの」


「もう一度お伝えします。失望しましたと」


 二度目ははっきりと言えた。

 自分の意思を乗せて、はっきりと言えた。


「失望、とおっしゃいましたわね」


「はい、失望しましたと言いました」


「お前は何に失望したの?」


 ……それはいまのお姿です。


「わたくしに何を期待していたの? ねえ、レイヴ」


 ……それはいままでのお姿であることです、お嬢様。


 ああ、いま、自分は理解した。

 自分はお嬢様が絶対であることを期待していたのだ。

 その行いが正しいか間違いかではない。

 それすらも踏みつけていくお嬢様であることを、期待していたのだ。

 言葉にしたことは、一度もなかった。

 一度もないまま、自分の期待をお嬢様に預けていた。

 預けていたことにも、いままで気づいていなかった。


「理由をおっしゃい」


 ……いまは言いません。


「レイヴ。理由をおっしゃいと申しました」


 ……問われている。


 いま、問われている。

 しかし、答えたところで、いまのお嬢様には届かないだろう。

 届かない言葉を並べれば、この方はそれを一つずつ論じてしまわれる。

 論じて、片をつけて、それで終わりにしてしまわれる。

 終わらせたくなかった。


「……申し上げません」


 だから、いまは、申し上げません。


 自分の答えに、お嬢様が手をあげようとされた。

 視界の端で、エステルが一歩だけ前に出た。

 出て、そこで止まった。

 お嬢様の手が止まったからだ。


「あなた、ご自分の立場が分かっておりますの?」


「分かっております」


 ……分かっているから申し上げないのです。


「執事が主に失望したと申して、それで通ると思っておられますの」


「思っておりません」


 ああ、いま、覚悟が決まりました。


「では、なぜ」


 ……覚悟を決めました。だから、いまは、絶対に、申し上げません。


「あなたは、わたくしに指図をしておりますの?」


「いえ、指図ではありません。ただ、失望したとお伝えしただけです」


 お嬢様、フルール様にむけて仰っておりましたよね。

 そう「フルールが何を望んでいるかは、フルールのものです。わたくしのものでも、あなたのものでもありませんわ」と。

 ですから、いまはそれでよいのです。

 お嬢様が何をお決めになるかも、お嬢様のものです。

 そして、自分が何を望んでいるかも、自分のものです。

 自分のこの覚悟が成就するときまでは。

 それまで、この言葉は自分のものにしておきます。


 お嬢様はしばらく黙っておられた。

 それから力のない息を吐かれた。


「わたくしが諦めたから、ですのね」


 ……違いますよ、お嬢様。


 自分が失望したのは、そんな小さなことではありませんよ。

 もっと大きな、そう、お嬢様をお嬢様にしていたものを見失ってしまったことにです。


 諦めることそのものを、責めてはおりません。

 人は諦めます。

 自分も、数えきれないほど諦めてきました。

 ですが、お嬢様は諦めない方でした。

 そんなお嬢様に、自分は期待をしてきたのです。


「お答えになりませんの」


「はい」


 いまの自分の言葉ではお嬢様を支えられません。

 ですから、いまは何も言いません。


「そう」


 お嬢様は、足元へと視線を落とされた。

 そこには三通の返事があるはずだ。

 自分のことも、きっと、フルール様、シルヴィ様、セシル様と同じように、お嬢様を切り捨てたと思われているのでしょう。

 でも、あの三人と同じで、自分も違いますよ。


「それで、あなたはどうしたいの?」


 ……もう覚悟は決まっている。


 あとはそれを言葉に出し、行動に移るだけだ。

 自分はお嬢様の目を見つめた。


「お嬢様の執事を、辞めさせていただきます」


 言ってしまった。

 これで、自分はもう後戻りできない。

 いや、進む覚悟は決めている。

 だから、後戻りを考える必要はない。


「……辞める」


 お嬢様がその言葉を繰り返された。


「わたくしが暇を出したのではなく、あなたが辞めると」


「はい」


「理由は、失望した、だけですのね」


「はい」


 自分とお嬢様のこのやりとりに、エステルは何も言わなかった。

 エステルは、自分を止めもしなかったし、咎めもしなかった。

 ただ、少し離れた場所から、心配そうな目でお嬢様をずっと見ているだけだった。


「三年、いえ、もうすぐ四年でしたわね」


「はい」


「拾ったのは、わたくしですのよ」


「……はい」


 そのとおりだった。

 あの日、何もかも無くし、地べたに倒れていた自分を、拾ってくれたのはお嬢様だ。

 腹を鳴らしていた自分に、食事を与えてくれたのも、お嬢様だ。

 公爵家まで連れていき、執事として雇ってくれたのも、お嬢様だ。

 お嬢様に拾われたから、いまここに立っている。

 そんなお嬢様の元を、自分から去っていく。

 ははは、不義理も不義理、酷いものだな。

 それでも、行く。

 この不義理を返す方法は、一つしか思いつかなかった。


「お好きになさい」


 お嬢様の声が戻っていた。

 さきほどの揺れも、恐ろしいほどの平坦さも、もうどこにもない。

 いつもの、指示を出されるときの声だった。


「エステル」


「はい」


「あとのことは、あなたに任せますわ」


「承知いたしました」


 ……エステル。


 自分はもう、この方のお側にいられません。

 だから、あなたがお嬢様のお側にいてください。

 お嬢様が何をお決めになっても、あなたは残ってください。


 お嬢様は、自分の方へ顔を向けられた。


「もう結構ですわ。出て行きなさい」


---


 下がりなさい、ではなく、出て行きなさい、と言われた。

 出て行きなさいか。

 確かにそうだな。

 辞めたので出ていくが正しい。


 自分はお嬢様に最後の一礼をした。

 そして頭を上げると、扉へ向かって歩いた。


「レイヴ」


 ……はい。


 声には出さなかった。

 足も止めなかった。

 歩きながら、次の言葉を待った。

 背中の側で、衣擦れの音がした。

 しかし、次の言葉は来なかった。


 扉に手をかけた。

 扉を開けた。

 扉の向こうへと進む。

 振り返らずに扉を閉めた。


 廊下は静かだった。

 いや、いつもと変わらないのだが、なぜかいつもより静かに感じていた。

 両手で頬を思いっきり叩く。

 その音が響き渡る。

 痛い。

 痛いが、頭は冷えた。


 さあ、ここからが自分の本当の戦いだ。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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