第29話 転落
それだけを言われたあと、お嬢様は長く黙っておられた。
エステルも動かずに、静かにお嬢様を見守っていた。
「レイヴ」
「はい」
「三日のうちに、三人ともですわ」
……はい。
最初がモンドール伯爵家、次がモルネー伯爵家、その次がルーメン家。
「ご都合がつかない、と。三人とも、同じ断り方をしてきましたわ」
お嬢様の視線は机の上の三通の返事を見つめたままだった。
「……はい」
お嬢様はそのうちの一通を持ち上げられた。
「わたくし、あの三人に何かいたしましたかしら」
「……いえ。何も」
「そう。何もしていないのに、揃って断られたのですわね」
お嬢様の手には、モンドール伯爵家からの返事があった。
「フルールは、いつも傷ついていると、おっしゃっていましたわ」
「……はい」
確かにフルール様は「本当のことを飾らずにお話されるでしょ。だからわたし、いつも傷ついてましてよ」と言われていた。
でも「いつかお返しをして差し上げますわ」と、目の中の輝きを変えながら言われていた。
本当に嫌いな人間に、そのような言葉は返さない。
あれは、関係が成立している間だからこそ成り立つ会話なんですよ。
お嬢様は、モンドール伯爵家からの返事を、その手から落とされた。
次に手にされたのは、モルネー伯爵家からの返事であった。
「シルヴィには、実務をお鍛えになるのね、と伝えてしまった」
「……はい」
お嬢様は確かに「弟さんがいらっしゃるのに、実務をお鍛えになるのね」とシルヴィ様に伝えられていた。
しかし、シルヴィ様はそんなお嬢様をまっすぐに見られて、答えてくれたではないですか。
はっきりと「父に憧れておりますので。それに、公爵令嬢様ほどでは、ございません」と。
シルヴィ様があんなに真っ正面から嫌味を返すのは、お嬢様、あなたにだけですよ。
それだけシルヴィ様にとって、お嬢様は特別なんです。
そして、モルネー伯爵家からの返事も、その手から落とされた。
最後に、ルーメン家からの返事を手にされた。
「セシルには、詐欺師と……」
「……はい」
確かにお嬢様はセシル様にむかい「詐欺師」という言葉を使われた。
だがそれは「これからも同じことが続くようであれば、あなたは詐欺師でしてよ」と、未来を心配しての言葉だったはずだ。
それに、信頼を寄せていない相手に「隠し合うのはやめにしましょう」とは言わない。
それだけセシル様は、お嬢様に、そしてあのお茶会に信頼を寄せていたのです。
ルーメン家からの返事も、その手から落とされた。
お嬢様の前から三通の返事が消えた。
すべてはお嬢様の足元にある。
「アリシアを、アリシアを紹介することを、あれだけ喜んでくれたのは、つい先日のことですのよ」
お嬢様は、冷めた視線で自らの足元に視線を移された。
「それがこんな短い間で、三人が揃ってご都合がつかなくなるのね」
……違います、お嬢様。変わったのは、あの方々ではなく、あの家の方です。
そんなお嬢様の声に、エステルが小さく頭を下げた。
「お嬢様。お心を痛める必要はございません」
「そう、かしら」
「はい。お嬢様は、あの方々に何ひとつ失礼なことをされてはおりません」
「……そうね」
「むしろ、過分すぎるほどの優しさを与えておられました」
「そうね」
……エステルは、お嬢様の味方をしている。
そして、お嬢様を慰めている。
しかし、その慰めが、お嬢様を悪い方へ向かわせてしまいかねない。
「断る側に理由ができたのでしょう。悲しいことです」
向こうに理由があるという言い方は、向こうが切ったという言い方の一歩手前だ。
味方をすることが、こんな形になることがあるのか。
「そうね。わたくしの側にはないわ」
お嬢様はそう言われて、少し笑われた。
「つまり、あの三人がわたくしを切ったということですわ」
……違います!
声をあげたかった。
かつてのお嬢様の言葉が、この口を縛っている。
推察は問われるまで口に出してはいけない。
それが与えられた仕事のやり方だ。
だから、黙っていればいい。
黙っていれば、仕事のやり方を守ったことになる。
……守って、それで、お嬢様が崩れていくのをただ見続けるのか?
そんなことに自分は耐えられない。
だから……
「お嬢様」
自分は声をあげた。
「なにかしら」
「違います。裏切ってなどいません。あの方々は——」
「おだまり」
だが、お嬢様に一蹴されてしまった。
同じ言葉を、前にも聞いた。
殿下とのお茶会。
お嬢様の増長を諌めようとして止められた。
あのときは軽い一蹴だった。
殿下が声を出して笑われるくらいの、一蹴だった。
しかし、今日は、違った。
「あなたに、何が分かりますの」
お嬢様の声が、感情のない平坦な声だった。
「証拠がございますの? あの三人が断っていない、という証拠が」
それは恐ろしく怖いくらいに平坦だった。
自分は、その問いに答えることができなかった。
自分が持っているのは、証拠ではなかったから。
あのお茶会をずっと見続けていた。
だからこそ分かる。
あのお茶会での会話は、四人の関係が成立している間だからこそ成り立つ会話なんですよ。
あのお茶会は、特別なんですよ。
あのお茶会に、信頼を寄せていたのですよ。
そして、この言葉をお嬢様に届けたい。
……あれは、仲の良い友人たちがすることです。
だが、これは紙に書いて出せるものではない。
自分が言葉にしてもお嬢様には届かない。
「……ございません。ですが」
「おだまり」
二度目だった。
「レイヴ」
エステルが、初めて自分の名を呼んだ。
「お嬢様がおだまりとおっしゃいました」
「……はい」
「それ以上は、要りません」
お嬢様に仕えるものとしては、エステルの言葉が正しい。
しかし、お嬢様は間違った方向に進もうとされている。
それをお止めするのも、仕える者のするべきことではないのか?
そう反論したい。
しかし、いまのお嬢様には、その言葉は届かないであろう。
自分はもう二度も黙らされている。
そして、三度目は逆鱗に触れるだろう。
部屋が、静かになった。
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お嬢様は立ち上がられて、こちらに背を向けられた。
「お茶会は開きません。招待状も、もう出しませんわ」
「……承知いたしました」
エステルが返事をした。
お嬢様が決めたのなら、エステルにとってそれが正しいこと。
自分は苦虫を噛み潰したような顔になっていただろう。
返事をすることなく、俯くだけだった。
「そして……アリシアのことも、もう結構ですわ」
……だが、それは、それだけはいけない。
「お嬢様、諦めないでください」
三度目だった。
しかし、その言葉を止めることができなかった。
いや違う、お嬢様を止めたかったのだ。
「アリシア様は必ず見つけ出します」
お嬢様が、振り返られた。
そして、鼻で笑われた。
「その必要はないわ」
「……お嬢様」
「彼女には王子がついているのだもの」
確かにお嬢様は、しかるべき筋を通して、王家に今回のことをお伝えになっている。
ただ、その後、お嬢様にはなんの音沙汰もない。
動いたという知らせも、動かないという断りも、何ひとつ届いてはいない。
「わたくしが何をしても、誰も動かないのですわ」
……きっと動いておられます。ただ、王家も表立って動けないだけです。
そう申し上げたかった。
だが、それも自分の推察からくる話だった。
言葉にすることができなかった。
「うふふ」
お嬢様は、いつもの笑い方をされた。
何かを決められたときの、あの笑い方。
初めて聞いたのは、あの拾われた日。
そして、自分は、次の言葉を待ってしまった。
「これならいっそのこと」
……おやめください。
「皆で破滅しましょう」
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