第23話 信心
「ですから、信心を積むことにいたしましたの。手ずから、直接」
—— 信心を積む
次の休日、公爵家の馬車は大聖堂の表正面に着けられた。
馬車の扉を開け、先に降りると、多くの信者の視線が注がれた。
……見られているな。
お嬢様が降りてこられる。
「参りますわ」
「はい」
お嬢様が大聖堂の扉へと続く、石の大階段を上られていく。
自分は鞄を抱え直し、その後に続いていく。
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石の大階段を上がりきると、扉の前に法衣の男が立っていた。
年は四十を過ぎたころだろうか。
白いものが混じりはじめた髪は短く整えられていた。
自分たちが上がってくるのを、背をまっすぐに伸ばされ、待っておられた。
「ヴァルモン公爵家のお嬢様、ようこそおいでくださいました」
男は静かに頭を下げられた。
「司教のランベールでございます」
……この方が。
セシル様の父君であり、そして、強硬派の頭でもある方だ。
だが、その声に険はなかった。
朝の祈りの続きのような落ち着いた響きだった。
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司教様に案内されたのは、聖堂の奥の小さな部屋だった。
飾りは少ない。
木の丸いテーブルと、椅子が八脚。
窓が高いところにあり、そこからステンドグラスを通して光が差し込んでいた。
お嬢様が椅子におかけになる。
自分はその後ろに立った。
司教様も向かいにおかけになり、両手を膝の上で組まれた。
「今日はどのようなご用件で」
司教様が先に口を開かれた。
「あら」
お嬢様は小さく首を傾けられた。
「あなたたちの釈明を、わざわざ聞きにきてあげたのだけど」
「釈明と言われましても」
司教様の声は変わらなかった。
「我々はただ、事実を信者にお伝えしているだけですから」
「事実」
「はい」
「では、順に伺いますわ」
お嬢様はテーブルの上に指を一本立てられた。
「ある令嬢を公然と辱めた。これはわたくしですわね」
「そのように聞いております」
「それの、何を悔い改めるべきなのでしょうか」
司教様はお嬢様の問いに淡々と言葉を返された。
「学園は、貴族の子女が集まる場でございます」
「ええ」
「そこで人の面目を公然と潰されることは、我々の教えに照らすと、傲慢であると取られることもありますので」
……上手いな。
あくまでも教義に準じた言葉にされている。
「では、次。下位の家の者を家格で圧した」
「はい」
「それの、何を悔い改めるべきなのでしょうか。家格とは、そのためにあるものではございませんの?」
司教様は少し間を置かれた。
「家格は、秩序を守るためにあるもの、そう私は教えられました」
「まあ。教会は貴族の家格まで教えてくださるの」
「あくまで常識としての知識でございます。しかし、我々の教えに照らすと、慈悲を持って愛せよ、となりますので」
……これも教義で返されている。
「みっつめ。創立祭に出る者を、自家の都合で入れ替えさせた」
「はい」
「それの、何を悔い改めるべきなのでしょうか。出資の多い家から枠が埋まるのは、学園の規則ですわ」
「規則については、存じております」
「では」
「ですが、慈善のための枠がなかったことは、事実でございますので」
「なかった、とは?」
お嬢様の声が、わずかに上がった。
「辞退の届けは、そちらからお出しになったと伺っておりますけれど」
司教様は否定されなかった。
「我々の教えに照らすと、富あるものは分け与える義務がある、そうなっておりますので」
「あら、自ら辞退をされておいて?」
「はい。我々は富なきもの。富あるものの慈悲を待つしかございませんから」
「では、あの公示にもそうお書きになればよろしかったのに」
「あの公示には、嘘は一行もございませんので」
……そうだ。
嘘はない。
ただ、教会から辞退したという事実を書かなかっただけだ。
「もうひとつ。あの公示では、わたくしの名を挙げておりませんわね」
「挙げておりません」
「なぜ」
「自ら悔い改めることを祈っておりましたので。教会は誰かを糾弾することは、いたしません」
「けれど、信者の皆様はわたくしの名を挙げていらっしゃるわ」
「それは、信者が勝手に申していることでございます」
そこから先も、同じようなやり取りがのらりくらりと続いた。
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お嬢様は指先でテーブルを一度叩かれた。
「そう」
「はい」
「それが、あなた方の態度ですのね」
「態度と申されますと」
「けっこうですわ」
お嬢様はこちらをお向きにもならずに手を挙げられた。
「レイヴ」
「はい」
自分は帳簿の写しを出してテーブルの上に置いた。
厚みは指三本ほどある。
「何でございましょう」
「ヴァルモン公爵家が教会へお納めした献金の記録ですわ。父の代の前からのものもございます」
司教様は表紙に目を落とされた。
「……ありがたく存じております」
「来月から、すべて止めますわ」
部屋の空気が動いた。
「ヴァルモン公爵家を支えて下さっている家にも、同じようにお願いいたしますの」
「お待ちください」
「待ちませんわ」
「……たとえ止められたとしても、当司教区の祈りは間違いではございませんので、止めることはありません」
「ええ。祈りは止まらないでしょう」
お嬢様はそこではじめて微笑まれた。
「ですが、これを見ても、あなた方は、祈りを続けられるのかしら」
司教様の指が膝の上で動いた。
「レイヴ」
「はい」
自分は手紙の束を出して、帳簿の隣に並べた。
封蝋は一通ずつに押されている。
押されている紋は、どれも違っていた。
「これは、すべてあなたへのお手紙です。お読みになればよろしいわ。どれからでも」
司教様は束のいちばん上の一通を取られ、封蝋の紋をご覧になって、はじめて驚きを表に出された。
「……大司教様の」
丁寧に封を切られた。
そして、紙を広げる音が部屋の中に静かに響いた。
自分の位置からは文面は見えない。
見えたのは、司教様の顔が、絶望へと変わっていく様子だけだった。
お嬢様は、残りの束を指で軽く押された。
「ほかの方々からも、同じことが書かれていると思いましてよ。読み比べていただいてもよろしいのよ」
司教様は束に手を伸ばし、そうして封蝋を確認されていった。
それだけで、この部屋にある封蝋の数だけ、上の方々が同じことをお考えだと分かってしまった。
「なぜ、このようなものを」
「献金を止めると申し上げましたら、皆様がとてもお困りになって」
「……」
「皆様、ご自分でお書きになりましたのよ。わたくしは、ただ届けるお役目を授かっただけですわ」
司教様は目を閉じられた。
閉じてから、開けられるまでが長かった。
「もうひとつ、ございますわ。創立祭の慈善の枠。あれを辞退なさった件ですけれど」
「ただの手続きの話でございます」
「その手続きを行う窓口の方に、お金が入っておりましたでしょう」
司教様の顔から表情が消えた。
「……何のお話か」
「あら。でしたら、こちらのお話は、表に出しても問題ないということでして?」
……こちらは輪郭しか掴んでいない。
だが教会は誰にどこからお金が入ったかを知っている。
だからこそ、詳しくは話さずとも、こちらが知っているぞと話すだけで、邪推してくれる。
「こちらとしては、嘘を申すわけではありませんので。ここで瑕疵がひとつ増えたところで、問題もありませんし」
「……」
「すでに、教会からのありがたいお言葉で、いくつもの瑕疵も抱えておりますでしょう?」
司教様は、答えられなかった。
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お嬢様は椅子から立ち上がられた。
「それから、最後にひとつだけ」
司教様が顔を上げられる。
「来月からの献金ですけれど、貴族としての責務を放棄するわけにはいきませんでしょう。ですから、行き先を変えることにいたしましたの」
「行き先」
「王都の東の外れに、孤児院がございますでしょう。教会がお持ちのもの」
司教様の目が、わずかに動いた。
「そちらへ、すべて、直接、お納めいたしますわ。財務管理のできる人間と共に」
「……大聖堂をお通しいただかなくては」
「通しませんわ」
お嬢様は扉の方へ歩き出された。
それから足を止められ、振り返られた。
「教会にあのような公示をされてしまうのは、わたくしの信心が不足しているからなのでしょう」
司教様は何も言われなかった。
「ですから、信心を積むことにいたしましたの。手ずから、直接」
自分は帳簿を鞄に戻した。
司教様は、まだ座っておられた。
テーブルの上で手を組み、目を閉じて。
祈っておられるように見えた。
……いや。
祈りの形はしているが、あれは考えている姿だ。
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それから十日ほどが経って、教会から新しい紙が出た。
——先の公示について、正確でない点があったことを認め、これを訂正する。
しかし、それは目立たない程度の公示であった。
そして、どの点が正確でなかったのかは書かれていない。
……誰も読まないな、これは。
実際、学園では誰も話題にしなかった。
だが、その公示を境に、お嬢様への噂も減っていた。
その次の週には、ほとんど聞こえなくなっていた。
自然に収まったわけではない。
ただ、信者の間で「教会が自ら辞退した。その理由に公爵家は関係がない」という話が流れていたことは、確かだった。
公爵家から教会への献金は、一部が減らされることが決定された。
減らされた献金は、孤児院へ直接、財務管理のできる人間と共に寄付されることとなった。
そして、また新しい噂が出来上がっていた。
「公爵家のお嬢様が、教会に圧力をかけた」
お嬢様は、こうなると分かっておられて、あの日、正面から石の大階段を上がられた。
……胃が痛い。
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