第七話 朝霧の別れ
霧が低く立ちこめる朝、白黎は庵の前に立っていた。
布で覆われた小さな庭には、昨夜の戦いの跡はない。
井戸のそばに置かれた桶には、まだ少し水が残り、朝の光がそこに反射して揺れていた。
月衡はすでに身支度を整え、戸口で静かに待っていた。
白黎の視線が自ずと月衡の動きに向かう。
彼は穏やかな表情を崩さず、しかし背筋をぴんと伸ばして立っている。
「……もう、行くのか」
声は低く、問いかけのようで、確認でもあった。
白黎はゆっくりと頷く。言葉はない。
月衡は小さく息を吐き、布袋から小さな薬袋を取り出した。
「少しでも必要なら、使ってほしい」
手渡す動作に言葉は伴わないが、白黎はそれを受け取り、軽く頭を下げた。
戸口の影から子どもたちが顔を出す。
まだ眠そうな目で、二人を見ている。
白黎は視線を落とし、子どもたちには目もくれず歩き出す。
月衡はそれを静かに見送った。
背中越しに残る沈黙が、言葉以上の別れを告げていた。
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集落を抜け、石畳の街道に出る。
朝の湿った空気が肺を満たし、冷たさが体を引き締める。
歩くたびに靴底が石に触れ、微かな音を立てる。
途中、行き交う商人や旅人の気配に気づく。
白黎は目を細め、無意識に動きを読み取る。
小さな子どもが駆け回り、荷車がゆっくり通る。
声も風も、街の呼吸の一部になっていた。
「次は…… 天衡流の会所に行くぞ」
背後から燕秋の声。軽い調子で問いかける。
白黎は黙って頷き、剣の柄を握る。
「天衡流の長、宗允殿から呼び出しがある」
燕秋が続ける。
「俺たち、ようやく江湖の中心だな」
白黎はまた黙ったまま、歩みを速める。
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街を抜け、川を渡り、野を越え、町をいくつも通り過ぎた。
道中、商人や巡回の武士、街角の人々の動きを観察する。
朝の静けさも、昼の雑踏も、白黎の目には全て秩序の中の小さな歪みとして映る。
経過は一気に飛ぶ。
日数は積み重なり、一ヶ月後。
衡江館――天衡流の会所に到着する。
屋根の瓦は朝の光を受けて鈍く光り、門番たちの視線が二人を迎える。
白黎は歩みを止め、屋根や警護の配置を目で追った。
人々の動き、警護の位置、入口の門番の視線。
全てを頭の中で整理し、呼吸を整え、静かに一歩を踏み出す。




