自由と回顧。
8巻が好評発売中です!
梅雨から初夏にかけて(予定)9巻の発売も決定しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
また、今日の更新は少し文字数が多めです。
(1.2万文字ぐらい)
ですので、お時間があるときにゆっくりご覧いただけますと幸いです。
想定外だった。
夜、目を覚ましたアインの脳裏を掠めたのは、この言葉である。
すぐに着替えを終えてリビングスペースに向かうと、既にクリスもそこに居り、アインの黒剣イシュタルを手に、彼がやってくるのを待っていた。
「囲まれてるらしい」
「――――そのようです。マルコとディルは来ていません。恐らく、二人は外で騎士たちに連絡をしているのではないでしょうか」
「間違いない。俺たちは俺たちで気が付けるって確信してるはずだ」
二人は簡素なやり取りを交わしたのちにテントを出た。
外は予想通り騎士たちが警戒に当たっており、二人の姿を見たマルコとディルがすぐに傍に駆け寄ってくる。
「我々が確認した数倍以上のネームドを率いているようです」
「確認した……って、アイン様!? 私が知らないところで何をしようとしてたんです!?」
怒られて当然だと思っていたが、まさかこうしてバレるとは思わなかった。
いずれ、かたが付いたら王都で説明をと思っていたのに、予定がくるいっぱなしだった。しかし、クリスもこの緊迫した状況で無理に問いただそうとはせず、一度尋ねてからは「後で教えてくださいね」と言うに留める。
「そちらはお二人にお任せします。私とマルコ殿は最初からそのつもりでしたから」
「薄情だなぁ……」
「そうはいっても、こればかりはお二人の問題ですので、ご容赦を」
「では、そろそろご説明をこのマルコから」
「ああ――――確認していた以上のネームドだって?」
「新たに呼び寄せたようです。周囲はすでにネームドにより包囲されておりますので、ご留意くださいませ」
「なるほど。豪華な軍勢だね」
「それはもう。魔王大戦当時であっても、これほどの戦力が一堂に会した機会は――――」
「さすがになかった?」
「いいえ、これ以上の戦力が集ったことも幾度かあったと思います。何年もつづいた戦でしたから、それでも僅かなものでございますが」
やはりとんでもない戦争だったようだ。
離れたところから聞いていた騎士たちはすぐに緊張した面持ちを浮かべたものの、歩き出したアインの姿を見て、すぐに彼の姿に目を奪われる。
また、耳だって彼の声を聞くためだけに傾けられた。
「知っての通り、敵がやってきたらしい」
剣を抜き去り、片手に構えながら。
「だが、ネームドなだけだ。海龍が群れを成したわけでなければ、ハイム戦争で暗躍していた者たちが相手でもない。そう、たかがネームドということだ」
普通はそのネームドですら、熟練の冒険者パーティが入念な準備をしてようやく討伐出来る存在だ。
で、それが何体かというと、数えるのが億劫になる大群だ。
それがどうした、とアインは言ったのだ。
普通であれば頷けない騎士も、アインが言うと素直に頷けてしまう。
分かり切っていた。自分が信ずる王太子以上に強い存在はいないんだって。
「率いる者らに対しても容赦は要らない。奴らは危険分子だ。いずれ大量殺戮を行えるだけの可能性を秘めた我々の敵だ。陛下が仰ったように、討伐を第一目標として構わない」
離れたところでは、背の高い木の上にアーシェが立っていた。
彼女は声を発するアインを見下ろし、満足げに頷く。
「魔石砲を。警告することなく発砲する」
皆の返事がアインの耳に届く。
騎士たちはあっという間に配置について、いつでも魔石砲を放てるよう構えた。潜んでいるネームドたちはまだ姿を見せていないけど、分かる。微かに聞こえる吐息も、滴るよだれの音まで聞こえてきそうだ。
しかし、木々が揺れ動く音がかき消しており、夜も相まって絶好の不意打ち。
されども第一射を放つ指示をアインが下さんと。
片手を振り上げ、下ろそうと試みたその刹那のことである。
「――――え?」
アーシェが立つ木々の死角から、数十体の魔物たちが。
ワイバーン、獣、虫、スライムといった数多の魔物たちが一斉に、小さな身体のアーシェまで飛び上がって――――。
鈍い音と、彼女の悲鳴が。
そして、彼女がいたはずの木が横たわる。
「お助けしろッ!」
「あ、ああ! 急げッ!」
騎士の慌てた声。
だが、ネームドはそれを機会にこの開けた土地になだれ込んできた。
中には更にアンデッドだったり、地を這う巨大な蛇のような魔物だって。
木に擬態したフオルンらしき魔物も居て、まさに多勢。
雄々しくもアーシェを助けに向かおうとした騎士たちも、その勢いは対処しにくい。その迷った一瞬で、魔石砲の近くまで詰められていたほどだ。
「ッ――――ァ…………やめ……て……痛……ィィ……」
悲痛な声。
体液を滴らせる音や、何かを引き千切る音。
やがて、ゴリッ、ゴリッと骨をかみ砕く音が。
アーシェが居た場所から鮮血が舞い、それが騎士たちの目に映った。
騎士たちは遂に、アインが動かないことに慌てふためく。
振り向いてアインを見ても、彼の腕が下がる気配はなかった。
「殿下ッ!」
どうして何もしないんだ。
アーシェは一見すれば幼い少女のようだ。たとえ血に染まる歴史を生み出した兆歩人だったとしても、今の姿を見ればただ畏れるだけではない。彼らはここに来て、アーシェに情を寄せていたのだ。
だというのに、英雄と謳われる王太子は動かなかった。
これが不思議で、心を揺さぶる。
彼の近くにいる三人だってそうだったことが、ひどく慌てさせたのだ。
――――しかし。
正しきことは、その目に映る光景ではない。
「騎士が戸惑ってるので、それぐらいにしてください」
アインの声が響き渡る。
つづけて彼は剣を振り上げ、眩い魔力を辺りに放つ。
すると、どうだ。
騎士たちが予想だにしていなかった光景が広がっているではないか。
「なにが……これは……ッ!?」
「ど、どうして魔物が倒れているんだ!?」
「殿下が何かなさったのかッ!?」
答えは違う。すべてはアーシェが行ったこと。
落ち着いて辺りを見渡すと、確かに木は倒れていた。
でも、アーシェは斃れていない。
それどころか、彼女は魔物に囲まれた中心に立っていて、服だって鮮血で汚れている様子はなかった。
「おどかそうとしたんじゃないもん」
「…………ほんとですか?」
「ほ、ほんとだもん! 私の魔法が強すぎるだけ!」
すべては夢。すべては惑わし。
数十体のネームドがほんの一瞬で魅了され、彼女の魔力によってその命を奪われてしまっている。
――――忘れてはならない。
彼女は大戦を引き起こした元凶だ。
今の振る舞いはさることながら、少なくとも、彼女は大戦において数えきれない命を奪った張本人で、それだけの実力を秘めた魔王に変わりはない。
騎士たちが驚き、その事実を再確認したところへ。
第二陣のネームドが同じようになだれ込んだ――――が。
「あのね」
アーシェは振り向かず、木々の合間や空から舞い降りるネームドへ。
くすっと、容姿に似つかわしくない濃艶な微笑みを浮かべて。
「怖くても甘美でも、ぜーんぶぜんぶ同じ夢なんだよ」
刹那、黒い風が舞い上がった。
辺り一帯に波及して、騎士には一切の影響を与えず。
押し寄せるネームドたちにだけ襲い掛かって、一瞬、その動きを止めてしまう。すぐにそれらは身を震わせ、あるネームドは自傷。
また、あるネームドは隣を駆ける仲間の首を食んだ。
唖然とする騎士たちだが、その耳へと。
「容赦しないと宣言した通りだ!」
アインの声が届く。
「放てッ!」
情け容赦無用の兵器による一撃。
驚いていた騎士たちの心に、今一度、容赦は要らないという言葉が強く響いた。彼らだって、そうするべきだという強い決意を以てこの場にやってきている。
だから、アインの声に勇気づけられてからは早かった。
四つの帳が落ちて久しいこの地は普段、こうなってしまうと朝まで真っ暗闇に包まれる。
それが一瞬で、極彩色の煌めきが山肌を駆け巡る。
轟音、光、地響き。
いくらネームドと言えど、この距離から放たれる魔石砲の威力は無視できない。それがしかも、波状攻撃を成して襲い掛かるのだ。
特筆すべきは魔王アーシェか。
ネームドに取って、魔石砲の波動から逃れるにはアーシェが居る方に行くか、逃げ去る他道は残されておらず。迎える末路に差異はない。
が、ネームドは頑なに逃げようとせず、一行を滅ぼさんと立ち向かう。
すべては、狂信者のように。
死ぬと割り切っていながら、一足先に死した仲間の亡骸を踏みしめながら。
(この戦いは、悲しい)
アインは心の内で消沈していた。
魔物にも命がある。
人間、襲われたり危険が降りかかれば戦うが、迫りくるネームドたちはどうしてアインたちを襲うのか。
(決まってる)
戦うことを強いられているからだ。
そのことが、ひどく悲しかった。
――――きっと、アーシェの力で死ぬ魔物たちは苦しんでいない。
彼女の顔を見れば、そうしているのがアインにも分った。
自分もそうしなければ。
一歩、ただ一歩進んだアイン。
彼は足元から眩く、あるいは夜の帳よりも暗い魔力を漂わせ、ひと息の合間にネームドを眠らせると心に決めた。
◇ ◇ ◇ ◇
魔石砲の威力は辺り一帯を揺らしていた。
既に先を進んでいたヴィゼルとロイの二人も確認していたし、山肌の下から届く極彩色の煌めきには肝を冷やしていた。
「急ごうぜ」
「……分かってるよ」
ヴィゼルはもの言いたげなロイの前を進んでいた。
ところで、二人の進行速度はアインが想像していたそれではない。何故なら、二人とも黄金の体毛を誇る魔物にまたがっていたからである。
「今日のうちにけりを付けようぜ」
「勿論さ。この子たちを早いうちに成長させておかないとね」
「しっかしまぁ、本当に居るのか分からねえがな」
「居るに決まってる。あの方がそう仰ってたんだぞ?」
「――――信用しすぎない方がいいぜ」
「あのお方のことをか?」
「そうだ。不思議に思わないか? 偶然出会った俺たちに無償で力を与えたんだぜ。裏があってもおかしくない」
「お前! ヴィゼル!」
「落ち着けって。俺たちは冒険者だろ。何事も無条件で信じるなってことを言ってるんだ」
その通りだが、ロイは素直に頷けなかった。
冒険者には騙し騙されという文化があることは否定しない。二人にだって苦い思い出があれば、逆に得をした思い出だってある。
だとしてもだった。
長年冒険者をしてきた二人は、ここで意見に相違が生まれていた。
ヴィゼルはあくまでも警戒すべきと思っていて、対する相棒のロイは違い、力を与えた銀髪の男のことを信じ、崇拝に近い感情すら抱いていたのだ。
だけど、この後でヴィゼルの考えも変わるはずさ。
あのお方が教えてくれたことが正しければ、考えも変わるに違いない。
ガルムを急かして駆けること、数分。あっという間にたどり着いたのは、大山が頂きの一角だった。
「どうだい」
得意げに言ったロイの視線の先は、想像通りに光景が広がっていた。
古き時代、魔力を舞い上がらせる特殊な大山だったここに、まだ湖のように残された魔力の奔流を見下ろせる。
そして――――最大の目的であった魔物たちの姿も。
「分かった分かった! 俺が悪かったよ!」
さっきまで悪態をついていたヴィゼルも肩をすくめて言う。
二人は互いに魔力の奔流の近くに浮かぶ、数十頭の魔物の姿を見てほくそ笑む。
――――妖精蟲。
この辺りに、特別な魔物がいると銀髪の男が二人に告げていた。
それが、この地に救った妖精蟲。
アインが出会った個体とは違う群れで、数百年も昔からここに巣食った魔物たちの稀有な生体だ。
「どうやら最近、別の場所からも妖精蟲が来たらしい」
「この前飛んでった奴らだろ? 同種とは言え、違う群れがやってきたら追い払われて当然だ」
「自然の摂理だからね」
情報交換をし終えたら、早速。
二人はこれまで乗っていたガルムを下りて、更にもう一頭を含めた合計三頭を前に立たせる。
すると、眼下の大穴のその先に居る、妖精蟲の群れを指さした。
「食い荒らしてくるんだ。それでお前たちは進化できるよ」
「急げよ。あまり時間は残されてない」
合図を受けて翔けた金色のガルムたち。
風よりも早く、一瞬で。
妖精蟲が来訪者に気が付くより前に距離を詰め、鋭利な牙を露出させ。
『ロ…………ッ!?』
妖精蟲が声を上げるや否や、傘のような体躯に風穴が。
『ハフッ――――ガッ! ガァゥッ!』
『ロ……ォ……ロォオオ……ッ!』
触手を伸ばすが、獰猛な爪が難なく切断。
あたりの妖精蟲が遂に異変に気が付き、宙に浮かぶ。
だが、一頭は別のガルムに墜落させられ――――またもう一頭は、ガルムが放った炎に焼かれて事切れた。
炎は赤から蒼へ、そして黄金へ。
灼熱が涼しく思えるほどの熱波が周囲を焼き付きしながら、魔力の奔流すらガルムの体躯に吸われていく。
数多の生物を屠ってきた爪は更に鋭利になり、それを湛える腕が大きく、太く。
体躯そのものも倍以上に成長を遂げた。
「すげえな」
「怖いかい?」
「まさか。俺たちのペットだと思えば可愛いもんだ」
「…………だけど、勘違いしてはいけないと思うんだ」
「あん?」
「自分たちで得た力じゃないんだ。くれぐれも溺れず、気が大きくならないように気を付けるべきだってね」
「またつまらねえことを言うな。どうした? いつだって金持ちに、でっかくすげえ男になるって話してただろ! その時のロイはどこに行ったんだよ!」
「忘れてなんていないさ。急にこの力がなくなったら怖いなって思うだけだよ」
たとえば、大金が入ったら大きく分けて二つの人間に分かれるだろう。
これまでの我慢を発散するかのように、大きく浪費する者。
一方、逆に貯金に回す者も多くいるだろうが、二人はそれに似た傾向があった。
つまるところ、やはり意見の相違だ。
「いずれイシュタリカを出る。あっちの大陸に行けばいいだけの話だ」
「そうかな」
「そうさ。王家は初代国王の言葉もあって、無理な手出しはしてこないからな」
こうして話をしている間にも、三頭のガルムはさらなる成長を遂げていた。
手足が倍の数になり、尾も数本増える。
さすがに頭が増えることはなかったけど、大きな変化だ。
「やぁ、二人とも」
いつの間にか、背後に。
銀髪を靡かせるあの男が立っていた。
「楽しんでいるようで何よりだ」
「ッ――――い、いつの間に来ていたのですか!?」
「今さっきさ。賑やかだったみたいだから、様子が見たくってね」
慌てて頭を下げたロイと違い、ヴィゼルは戸惑っていた。
さっきまでの言葉が利かれていないかとか、自分の考えが見透かされていないか、とか。
傍から眺めるロイにはそう見えていた。
「ヴィゼル」
でも、銀髪の男はヴィゼルの心が落ち着く前に語り掛けたのである。
「自由を楽しんでいるみたいだね」
「あ、ああ……おかげさまで」
「嬉しいよ。私はその尊さが好きでたまらないんだ」
「…………俺は偶に、あんたの言葉が良く分からなくなる」
銀髪の男はその言葉に何も言わず、腕を組んで笑っていた。
夜風に揺れる長い髪を手で押さえながら言う。
「そう言わないでくれよ。私はヴィゼルが好きなんだからね」
「ッ――――お、おう!?」
「君は美しい。僕が見てきた人の中でもすごく綺麗で、儚い。粗野な顔立ちが愛らしく見えてくるぐらいには、君のすべてが愛おしいよ」
「きゅ、急に何を言ってるんだよッ!?」
「ははっ。いいんだ。どうかそのままでいておくれ。その花が咲くかどうか、私はそれが見たいだけなんだ」
でも――――と。
「ロイには言っていたと思うけど、どうして手を出したんだい?」
「て、手を……ですか?」
「忘れたのかな。彼には手を出すなって言ったろう?」
それは、王太子のこと。
銀髪の男は変わらず笑みを浮かべていたが、まるで仮面のよう。
気を抜いて、興味を失えばあっさり殺されてしまいそうな。
筆舌にし難い震えが身体を襲った。
「じ、自分たちがここに来る前に襲われないよう、先手を打つことにしたんです」
「…………」
「どうやら奴らも夜襲をするつもりだったみたいですし、間違いではなかった――――と思います」
「なら仕方ないね。うん、次はないようにしてくれると嬉しいな」
「なぁ! 今回は仕方ねえだろ! ロイはこういう性格でもあるんだからよ!」
「分かってるさ。確かにロイはヴィゼルより落ち着いているからね。面白くなかったのは仕方ないと思うよ」
彼はあっさり圧を解いた。
呆気なく、さっきまでのそれが嘘のように。
「ロイ。私は君のことも好きなんだ。どうか今日という日の最期まで、僕にその煌めきを見せてくれるね?」
「も、勿論です! 期待に応えられるよう努めます!」
「ッ――――チッ」
「ヴィゼルッ! なんだその態度はッ!」
「お前、どうかしてるんじゃねえか? なんで自由を楽しまないんだよ、その方が失望されるって思わないのか?」
「す、すみません! コイツにはちゃんと言っておきますから……ッ!」
「いいんだ。君たちは君たちらしく、僕が愛した美しさを見せてくれればそれでいいよ」
銀髪の男はそう言うと、二人に背を向けた。
「また来るよ」
こう告げて、闇に溶けてしまう。
彼の姿が見えなくなってから、ロイは再度ヴィゼルを叱りつけた。胸ぐらをつかんで大口を開け、今までにないぐらいの暴言を付け加えて。
ヴィゼルはそれを受けて溜息を漏らすが、謝る様子はなかった。このことが、ロイの気分を更に害したことは言うまでもなかったが、このままここに居座っている気もない。
結局彼は息を荒げたまま、ガルムたちの食事が済んだのを見た。
「帰ろう、追手が来る前にね」
「もう手遅れだ。ロイ、お前はな」
ロイが呆気にとられるほど落ち着いた声で言われ、気が付くと――――。
近くに魔石砲が。
進軍の音色が近づいていた。
「僕が、だって?」
「そうだ。――――なんだろうな、この感情は。ロイとは長い付き合いだったし、簡単に割り切れないって思ってたんだけどよ、意外となんだ……思っていた以上に俺はドライだったらしい」
「何を言ってるんだ、ヴィゼル。一体何を……ッ!?」
狼狽えたロイに対して、相棒は仕方なく。
これまで落ち着いていたはずの、コンビでは参謀役のはずだったロイが慌てだす。
「ヴィゼルッ! 僕のどこが手遅れだって言うんだよッ!」
「全部だ。――――言っただろ、お前も自由になるべきだった。あのお方に与えられたものを捨てたのは、俺じゃなくてロイなんだよ」
ヴィゼルが妙な言葉を口走った。
ただ、彼は銀髪の男をあのお方とは呼んでいなかった。
それがロイには気懸りで、同時に口走った言葉もそうだったが、不意に大穴から駆けあがってきたガルムがヴィゼルを挟んだのを見て、更に呆気に取られてしまう。
――――最期まで、と。
銀髪の男が言っていた言葉を思い出し。
まさか自分が? あり得ない!
身体が震え、引き攣る笑みの上を汗が伝っていく。
「急げ! 僕の方に戻ってくるんだ!」
が、残るガルムが戻ってこない。
逆にガルムはヴィゼルの傍に駆け寄って、ロイが手を伸ばすと牙を剥きだした。
「なんで……どうして僕を……ッ!?」
「なぁ、最初から分かってただろ」
イシュタリカの正規騎士により構成される軍勢が近づいて来る。
王太子アインの力で道も出来たらしく、あっという間にここまで詰めてきた。
「ヴィゼル……教えてくれ、どうなってるんだ?」
「――――あのお方が俺たちに何を期待してるかなんて、分かり切ってただろ。あのお方はな、腐ってた俺たちを見て、新しい玩具を見つけたって喜んでるだけなんだよ」
「待ってくれ、ヴィゼル」
「だけどよ、普通に生きるより楽しいから自由になれる」
「ヴィゼル……なぁ! ヴィゼルッ!」
「野良犬よりかは、お貴族様に飼われる方が幸せってわけだ。おっと、それじゃ自由じゃないって言うんじゃないぜ? あくまでも、用意された屋敷で自由にできるなら、それ以上の幸せはないだろ?」
「まさか、僕が知らない間にあのお方と――――ッ!」
「ロイは箱庭の隅で丸くなってるだけなんだよ。それじゃ、飼い主はつまらねえ。俺にだって庇いきれない」
ロイはそれ以上口に出せなかった。
予想していても、出して答えられたら本当になってしまうから。
尋ねられたヴィゼルもそれには触れず、溜息を吐いた。
「俺たちは止まっちゃいけねえんだ。常に輝いて、あのお方に楽しんでもらわなきゃいけねえ。薬をヤッた馬鹿みたいに、途中で止めることは許されない」
でもこれがな、と。
「――――最高に最高に、さいッこうに楽しいんだよ!」
その顔は、ロイが知るヴィゼルではなかった。
単に欲にまみれているわけでもなく、晴れやか。
何一つ不安に思っているようではなくて、自らの選択の末路を楽しみにしているようでもある、清々しい面持ちだった。
一方で膝を付き、自らに迫るネームドを見て察する。
もう、自分のいうことを聞かないのだと。
さらにもう一つだけ、相棒のやり取りから理解したのだ。
『なぁ! 今回は仕方ねえだろ! ロイはこういう性格でもあるんだからよ!』
『分かってるさ。確かにロイはヴィゼルより落ち着いているからね。面白くなかった、、、、、、、のは仕方ないと思うよ』
あと一つ。
『お前、どうかしてるんじゃねえか? なんで自由を楽しまないんだよ、その方が失望されるって思わないのか?』
このやり取りで守られていたのは、ヴィゼルじゃない。
相棒に守られていて、でも選択を間違えたのは自分だったのだと、ようやく理解することが出来たのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
アインが大山の頂にたどり着いたとき、多くのネームドが辺りに跋扈していた。
大穴の中に残された残骸から、あそこが妖精蟲の住処だったことも分かった。
自分が旧魔王領付近で見つけたせいで――――。
別の個体であることを知らないアインは強く悔いて、周囲を見渡す。
既にヴィゼルの姿もガルムの姿もないが、数匹、小さなネームドたちが何かを食んでいるのを見かけた。
アインが来たのにも関わらず、涎と肉の血潮を滴らせていた。
けど、さすがに近づいたら襲い掛かってくる。
それを一息に切り伏せたアインが見たのは、人だったであろう物体だ。
「…………」
何が起きたのか、これは誰なのか。
眉をひそめていたところへ、心の中から。
『吸血鬼の魔力よ』
シャノンの声がして、この物体がロイだったモノであると分かった。
一体どうして? 急にネームドが裏切った?
だとすれば、何処かにヴィゼルの死体も転がっているだろう。まだ何も断定することは叶わなけど、予想していた事態ではないことは明らか。
「マルコ」
「はっ」
「近くにドワーフの魔力は」
「ございません。ガルムの魔力もございませんので、逃げたと推測いたします」
「相棒だけが死んでか?」
「――――裏切られた、あるいは最初から捨て駒だったと考えるべきと愚考いたします」
「ああ、そうかもしれないな」
事情はどうあれ憤りは生じてしまう。
…………分からない。
凶行に及び、ここまで逃げてきたというのに、自分が知らないところで何があったのか微塵も理解が追い付かなかった。
肩透かしと断ずるにはあまりにも分らない。
何も、少しも。
「アイン様、ネームドが迫ってます」
と、クリスが。
しかしアインは「分かってる」としか言わず、ロイだったモノを見た。
聞くところによればあの二人組は長い付き合いだとか。
それがもし、マルコの予想通りだったとしたら――――。
「似てる」
ふと、その言葉が漏れた。
「似てる、ですか?」
「そうだ――――黄金航路だ! ロイはまるで、黄金航路のベイオルフに似てるんだ」
「…………どうしてそう思われるのです?」
「分からない。俺も良く分かってない。…………だけど、何かに捨てられたような、見放されたような姿に、黄金航路の最期が思い浮かぶ」
アインだって直感で、理論的な考えではなかった。
けど、何度考えても似ていた。
不思議と、どうしてか、何故か重なる部分があるような気がしていたのだ。
「そうだ…………俺はそれもあって、シュゼイドであの男と会ってから…………セラさんに聞こうと思ってたのに…………」
どうして尋ねた記憶がないんだろう。
忘れるなんてとんでもない。
「あり得ない」
黄金航路の相談役を、アインだって普通ではないと感じていた。
だったら、セラに尋ねて然るべき。
この前の機会にそうするつもりだったのに、やはり記憶がないのは、何かボタンをかけ間違えたような違和感があった。
忘れていた、失念したとはどうしても考えにくい。
となれば――――。
(忘れさせられた、のか)
セラがそうした。何か理由があって。
「アイン様っ!」
「ッ…………ご、ごめんごめん。ちょっと考えごとしてた」
「何かお気づきなのは分かってるんです。だけど、今は騎士もいますから……ごめんなさい」
「大丈夫。俺のせいで騎士に何かあったら遅いからね。咎めてくれて助かった」
素直に謝罪したアインは頬をパンッ! と強く叩いた。
気持ちを切り替え、この後のことを考えようとしたところへ。
地面が、空間が揺れた。
大穴の最奥が深々とヒビ割れて、光が漏れだした。
「大きなものが来るよ」
「アーシェさん」
「ん、周りのネームドは寝て貰った。もう起きることはない」
「助かります。それで、大きなものが来るって言うのは」
「そのまんまだよ。すっごく大きくて、すっごく強いのが生まれる」
大山に漂う魔力が集いはじめ、光輝く靄が生じる。
ロイだったモノからも、何か小さな石が浮かんでいく。
アレは、吸血鬼の魔石? いいや、何か別のものだ。漂う魔力の様子からは、バードランドの地下研究所で作られていた精製魔力に似た気配を感じてしまう。
「クリス、ちょっといいかな」
「どうかしましたか?」
「王都に帰ったらお爺様に頼まなきゃいけないことが出来たよ」
「きゅ、急ですね」
「あーまぁ……とある人に聞きに行かなきゃなって思ってさ」
セラに会うため、何としてもシルヴァードに許しを得たい。
その宣言をし終えてから、大穴を再度覗き込む。
ひび割れたところから数多の手が。それも、一本一本が戦艦の全長もありそうで、しかも隆起した筋肉が分厚い鱗に覆われたソレであった。
やがて、獅子の顔がひび割れから覗く。
アインと目が合うと同時に、その魔物は大穴から生まれて天高く身体を伸ばした。
「クリス。俺の傍に」
返事を聞くこともせず、彼女の身体を強く抱き寄せた。
控えるマルコ、ディルの二人にも「大丈夫」と言い、アーシェには。
「これですか?」
「ん、これ」
答えを聞き、分かったところで黒剣イシュタルを――――抜くのではなく、これまで抜いていた剣身を収めた。
現れた魔物の体躯は間違いなく、幼き日にアインが戦った海龍より更に巨躯。
容貌は、覚えがあった。
(黄金航路…………)
ヴァファールという、獅子の頭を持つ魔物を。
あの日、大闘技場を崩壊させたあの魔物の姿をしており、海で戦ったときに似て、体躯は別の魔物。
たとえば、途中の山肌で出会った蛇のようでもあり、虫のようでもある。
体毛の代わりに全身を覆う鱗はワイバーンの表皮にもよく似ていた。
その魔物へ、アインは片手を差し伸べる。
アーシェは逆に背を向け、マルコに言う。
「帰り支度と、魔物の素材を運ぶ相談でもするよ」
「ですが、アイン様の攻撃をもってしても一撃では――――」
「ん、馬鹿なことは言わない方がいい」
戦いは純粋な攻撃だけがすべてではないのだ。
たとえば、アーシェのようにする方法があれば、他にも……そう。
彼女が正気を失った際の、特別な方法だってある。
「ただでさえ、暴走した後のあの女は私より強かった。それが今の私と同じで、正気を保ってその力を使えたら話は別」
あの女、この言葉が誰を差すかはどちらも口にはしなかった。
「しかも、アインが使うんだったら――――きっと」
魔力さえ支配する、セラとの戦いで使われた力が。
発現した力はアインに使われ、多くを強引に支配する。
魅惑の毒と、孤独の呪い。
これらに対し、対抗することは無謀に等しい。
「ほら、ね」
大穴から現れた魔物は、きっと圧倒的な暴力で多くを恐怖に包み込めた。
皆は知らないが、ここで逃がしたらいくつかの町が沈み、数えきれない犠牲が出たぐらいには屈強な存在だった。
「本気で力を使う私の弟は、私たちが想像できないぐらい強いんだよ」
だが、すぐに瞳から光を失い、アインが生み出した木の根が胸元を貫いていた。周りに白銀の勇者の魔力を纏いて、無抵抗な魔物の命を一瞬で奪い去っていたのである。
皆がその圧倒的光景に目を奪われ、勝鬨の声を上げる中。
アインだけは、重苦しく不愉快な感情に苛まれ、握り拳に爪を食い込ませていた。
隣にいたクリスはそれを見て、皆の注目がないことを確認してから、自分を抱き寄せていた彼の腕を脱し、逆に彼の背に手を回す。
「…………クリス?」
「お優しいアイン様のことです。きっと、私が知らない何かに気がついて、お心を傷めてしまわれたんですよね」
「…………」
「でも、忘れないでください。アイン様のおかげで、たくさんの命が救われたんです」
此度の働きのほとんどはアインのもの、と彼は認めないだろうが、そう言っても過言ではない。
彼を抱きしめ、身長差から胸元から見上げたその顔は。瞳は。
心に思い感情を抱いた彼にとって、まさに女神のように彼を癒す。
クリスはアインがはにかんで離れると思っていたが、アインは首から上を脱力させて、彼女の肩に額を乗せた。
「こういうのは、何度経験しても慣れないんだなって実感した」
「うん。アイン様はいつもアイン様ですから」
「抽象的だけどそれっていいこと?」
「もっちろんですよ。私が大好きな、いつも優しくて勇気のある、誰よりも素敵なアイン様です」
こんな時に何を言ってるんだと思われておかしくないが、アインの心は軽くなっていた。
微笑みかけたクリスはそのまま手を伸ばし、アインの頭を撫でた。
幼き頃、まだアインの方が小さかったころのように、でも、当時と別の感情を抱いて、彼を癒さんとして。
今日もアクセスありがとうございました。




