結構、気を抜きすぎる時があります。
書籍版8巻が好評発売中です!
少年期の完結となる9巻も初夏の発売予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします!
翌朝、周辺の安全が確保されてから、周辺の空気が変わっていた。
それは雰囲気としてではなく、純粋に空気そのものが。
というのも、当初は空気中の魔力の影響があって、飛行船は大山まで進行できなかった。けれど、その空気中に漂う魔力が薄くなったことにより、事態は急変していたのだ。
「ボクの見解としては、この魔物の素材は王都に持っていかない方がいいと思う」
大山の大穴に足を踏み入れたロランが言った。
彼の隣に居て、様子を伺っていたアインは半ば予想していたようで、やっぱり、と口にして頷いた。
二人が見ていた素材というのは、ヴァファールに似た魔物の亡骸のことである。
「あいつは俺が前に戦った、黄金航路の研究所に居た魔物と似てるんだ」
「例の姿が変化しやすい魔物のことかな」
「ああ。今回の姿も変わり過ぎてるけど、首から上はヴァファールに違いない」
「正直、ボクもそんな魔物は聞いたことがないんだ。人工的に作られたのかとも思ったけど、はっきり言って、今の技術力では夢物語すぎるよ。だからなのかもしれないけど、この素材の性質がまるっきり想像できないんだ」
「――――ありがと。その言葉を聞けたおかげで、色々分かった気がする」
「あ、あれ? ボク、何か変なこと言ったかな?」
「違う違う。ロランのおかげで俺の頭がすっきりしたって話」
「うーん…………アイン君が元気になれたなら、何でもいいのかなー?」
いくつかの事情を理解していないし、告げられても居ないロランは腕を組み、小首を傾げながら尻尾を揺らしていた。
若干、アインの心が痛む。
しかし、あの相談役のことは軽々しく告げるわけにもいかない。
加えてそれが、シュゼイドに現れた少女と何らかの関係があるとすれば、危険だったから。
「ボクの方で厳重に管理させてもらおうと思う。陛下へも報告書をご用意させてもらうね」
「ん、りょーかい」
「ってなわけで、こっちに話をもどそっか」
大穴にはガルムが食い散らかした妖精蟲の残骸が。
でも中には、手つかずのものもあった。
「…………」
アインはこの惨状を見て心を痛める。自分が逃がしてしまった妖精蟲たちが、こうして凶刃のもとに斃れたことに大して。
だが、ロランはそんなアインの顔を見て。
「ここにいる群れは、アイン君が見つけた群れとは別の群れだと思う」
「――――どうしてそれが?」
「魔力の波長が違うんだ」
彼は手元に小さな魔道具を持ちながら言った。
「通常、すべての個体の波長が違うのは当然なんだけど、同じ血統の場合は少しでも似通った波長が出る。それがここにある妖精蟲の素材と、アイン君が連れてきた妖精蟲の幼体とで共通点が見当たらないんだ」
ほんの少しだけ、心が休まった。
自分のせいで殺してしまったのだという念が僅かに消え失せるが、それでも、静かに暮らしていただけなのに食い散らかされた事実に対しては、どうしても痛みが消え失せない。
「…………アイン君の気は進まないかもしれないけど、残された素材は頂こう」
「いや…………俺も分かってるよ。大丈夫」
きれいごとだけを言える立場ではない。
最初はどうにかして脱皮の後などを拝借するつもりだったが、当初の予定はもうどこからどう考えてもその通りにはできなかった。
「こっちはボクたちに任せて、アイン君は休んでて」
「俺も手伝うよ。そのほうが早く――――」
「ははは…………さすがに、騎士の人たちも申し訳なくなっちゃうと思うよ。今日までだって、ほとんどアイン君が道を作ったりしてたんでしょ?」
「耳に届くのが早くない?」
「なに開き直ってんのさ! ほらほら! アイン君は早く飛行船に戻る!」
「ロ、ロラン!?」
ロランにしては珍しく、アインの背に手を当てて強く押した。
近くで騎士が見ているにもかかわらず、王太子と言う立場を鑑みていないような、軽々しい態度でそれをした。
一方でアインは珍しい振る舞いを前にして、遂に。
「分かったって。たまにはゆっくりさせてもらうよ」
「た、たまに…………!? いっつもいっつも、色んなことしてるのに…………!?」
驚くロランを傍目に歩き出したアインは、一人で岩肌を上って行った。
すると、入れ替わりにやってきた金色のケットシー。
「助かったよ」
「ディル護衛官」
「私からもお休みしてくださいと申し上げていたのだが、やはり、友人のロラン君に言ってもらえると効果てきめんのようだ」
「ああでもしないと、アイン君は全部自分でやろうとしちゃいますからね」
「それがアイン様のお美しい姿でもあるのだが、な」
肩をすくめたディルに同調したロランは、溜息を漏らした。
別に、アインが心を傷めたからって作業を肩代わりしたわけではない。実際にアインは働きすぎな兆候にあるし、止めなければ、間違いなく最初から最後まで働く男だ。ようは、強引にでも止めた方がいい。
「それで、どうだろう」
表情を正したディルが妖精蟲の素材を見て。
「十分足ります」
「本当なのか? これぐらいの量で十分だって?」
「意外と何とかなるもんですよ。むしろ、加工していくうちにボクが欲しかった量をうわ回ると思ってます」
「――――それでは」
「はい。安心してください」
彼の横顔は頼もしかった。
昔、キングスランド学園の遠足で見たような、幼くて頼りない面持ちとはまったく違った、一人の男として。
「黒龍艦バハムートは、そう遠くないうちに試験運転を開始します」
言い放ち、ディルの顔を見る。
交わされた双眸は互いに力強かった。
「我らに出来ることがあったら何でも言ってくれ」
「いいんですか? それなら早速お願いしたいです!」
「ああ、何をすればいいのかな」
すると、ディルの表情はふわっと軽く。
さっきまでの力強さが消え、人懐っこくて話しやすそうな、昼間の城下町を歩いていそうな好青年のそれに変わった。
「素材を切り分けてもらえませんか? アイン君に早く休んでって言った手前、頼みにくくて…………あはは…………」
他の騎士に頼んでもいいが、ディルの方がモノを絶つ技量は高い。
遠慮がちに言った彼の顔を見て、微笑を浮かべたディルはすぐに応じたのである。
◇ ◇ ◇ ◇
アインを乗せた飛行船は、他の騎士に先んじて王都へ戻った。
勿論、彼もまだ残ると言い張ったのだが、騎士を含む全員が頷かなかったことを受け、諦めて王都に帰還した。
予定より早く帰ったアインが考えることは二つ。
一つはヴィゼルたちの間に何があったのか。
もう一つはセラの件だ。
アインは自分の性格を思えば、間違いなく黄金航路の相談役について話しているはずだと思っていた。その記憶がすっかり抜け去っていることに対して、疑問を抱かぬはずがない。
「お帰りなさい。アイン」
出迎えたオリビアに「ただいま帰りました」といつもの様子で言ったが、彼女はアインの横顔を見て何かあったことを悟った。
「あの、お母様」
「はーい。どうかしましたか?」
「…………何でもありません」
セラのことを尋ねようと思ったけど、やめた。
あまり口に出すものでもない。
それに協力を求めたところで、神隠しのダンジョン跡に行ってそう時間が過ぎていないのだから、オリビアを困らせてしまうだろうと思って。
――――で、オリビアはアインが自分を困らせまいと思っているのは分かっていた。同時に、彼が無理に尋ねても答えないことを他の誰よりも知っている。
「私のご褒美が欲しくなったら、いつでも言ってくださいね」
「ご褒美ですか?」
「ふふっ。はい。いつも頑張っているアインになら、私は毎日だってご褒美をあげたくなっちゃうんですよ」
「危険ですね。慣れてしまったら普通の生活に戻れ無さそうです」
「安心してください。私がずっとずっとお世話してあげますから」
嘘ではなく、本気でするだろう。
それがオリビアと言う女性の凄みだ。
「ありがとうございます。どうしても甘えたくなったら甘えさせてください」
「ええ。楽しみに待っていますね」
アインだって分かっている。気を遣ってもらっていることは、考えなくともすぐに。
どうせ隠したところでバレるのはお互い様だ。こればかりはどうしようもないから、濁して語らうのはせめての男心としておきたい。
「よし! このままお爺様に報告してきます!」
オリビアに見送られ、力の入った足取りで階段を駆け上がった。
別れ際に見たオリビアの笑みは相も変わらず優美で、目を奪われた。気を抜くと本気で甘えてしまいそうなので、自戒するのに苦労する。
途中、何度か騎士や給仕とすれ違って声を交わしたが、すぐにでも報告をと思っていたアインの足は止まらなかった。
止まったのは勿論、国王シルヴァードの居室がある王城の最上階だ。
一度居住まいを正してから扉に手を伸ばしてノックすると、すぐさまシルヴァードの返事が届いた。
「失礼します」
「よく帰った。――――うむ、顔を見るに面倒ごとでもあったようだな」
「そんな簡単にバレますかね?」
「むしろ分からぬはずがなかろう。余に分からぬときは、アインが心の底から隠したいと思う面倒ごとだ。そうでないことの方が幸せである」
また妙な信頼を得たものだと自嘲し、シルヴァードが座る椅子の前に進んだ。
本当なら報告書を用意してから来るべきなのだが、幾分か省略されたさわりを報告するぐらいなら問題ない。
「俺が到着したとき、討伐対象の吸血鬼がすでに亡骸になっておりました」
「大方、連れていた魔物に食われたのだろう」
「俺もそう思いました。ですが、相方のヴィゼルの姿がありません。跡形もなく食い散らかされたのかと思いましたが、アーシェさん曰く、その魔力は感じられないとのことでした」
「となれば奴らが仲違いしたのであろう」
「言い切れるでしょうか? 魔物の管理に失敗した可能性もまだ残されています」
「いいや、ガルムを使役するような者たちが、たかがネームドを相手に後れを取るとは思えん。仮にガルムが人寄らずの幽谷に残り、アインを相手に戦ったというのなら話は別だ。魔物としての本能に従っているのが分かるからだ」
そうではなく、潜んでいるのなら話は別なのだ。
「ガルムを率いる者が生きている証明だ」
「なるほど……勉強になります」
「どうやら報告は、書面で確認した方がよい状況のようだな」
「…………申し訳ありません」
「よい。アインのことだ、何か理由があってのことだろう。やろうと思えば国一つ滅ぼせるアインなのだから、そうでなくば辻褄があわん」
すると、シルヴァードはこれまで座っていた椅子を立つ。
アインの肩に大きな手を置いて彼を労うと、窓の外に広がる王都を見た。真夏の影響で日の入りが遅くなったが、もうそろそろ夜の帳が下りてくる頃だった。
「して、アーシェ様はどちらに」
「みんなを守ると仰って、人寄らずの幽谷に残ってくださいました」
「頼もしい限りだが、騎士たちの様子はどうだ?」
「参加した者たちも慣れてたみたいです。俺の目から見ても大丈夫と思いました」
「何よりだ。――――さて、いい時間だ。久しぶりに家族そろって夕食でもとるとしよう」
こう口にしたシルヴァードはもう一度アインの肩に手を置いて、穏やかに微笑みかけた。
◇ ◇ ◇ ◇
最近は自室の浴室を使っていたから、大浴場には居るのが久しぶりだった。
比べるまでもなく大浴場の方が広いけれど、自室の浴室だって一般的な部屋ぐらいは広いから十分なのだが……。
でも、解放感は大浴場の方が格別だ。
「クローネに相談したかったんだけどなー…………」
独り言を漏らす。
彼女は残念なことに仕事で王都のはずれに行っており、夕食を過ぎた頃になっても帰ってこなかった。普段であればアインの帰りにあわせているが、今回ばかりはアインが予定より早く帰ってきたから致し方なかった。
それで、クローネに相談したかったのはセラの件だ。
さすがにセラとの関係などは明かせないが、仮にアインが神隠しのダンジョン付近まで行くとなったら、彼女の協力がほしい。
だからすぐにでもと思っていたのだが、仕事ならどうしようもない。
結局、疲れを癒すことに注力していた。
だからこその大浴場。だからこそのゆっくりできる時間なのだ。
――――ヴィゼルに加え、黄金航路の相談役は気になる。
しかし動向を負えていない今では、出来ることも限られていた。
…………それにしても、気持ちが良かった。
大浴場の縁に頭を預けてだらしなく脱力していると、これだけで何とも言えない幸福感が押し寄せてくる。
今日はいつもよりゆっくりしよう。
こう、心に決めてすぐのこと。
「アイン?」
出入り口の方からクローネ声がしてきたのだ。
「んー」
「珍しいのね。こっちのお風呂にいることもだけど、生返事だなんて」
「さっきまで色々考えてたけど、大浴場の力に負けてる」
「ふふっ――――変なの」
まさかこうしてクローネと会えるとは思ってもみなかったが、ちょうどよかった。
湯に濡れた石畳を歩く音が近づいて来る。
近くでシャワーを流す音がしてから、彼女はアインの隣にやってきた。
「もう、早く帰るって知ってたら私も急いだのに」
「色々あってね。それでクローネに相談したいこともできた感じ」
「お風呂を上がったらでいいかしら? 今は一緒にゆっくりしたいわ」
「そりゃ勿論。俺も今はそうしたいかな」
天井を見上げて目を閉じていたアインには、隣に腰を下ろしたクローネの姿は見えていない。というか、色々と脱力しすぎていた。
普段であれば指摘することもせず、それをクローネに気が付かれ、笑われている事実にも気が付けていない。
「順番が逆になっちゃったけど、お帰りなさい」
「ん。クローネも」
「怪我はない?」
「うん」
「――――大変だった?」
「うん」
力の抜けた返事を聞き、以前にも似たようなことがあったな、とクローネが笑う。
悪戯心が芽生えるのは止められず、つい、彼のことをからかってしまう。
「ご飯は食べた?」
「うん」
「好きなメニューだった?」
「うん」
「私とどっちが好き?」
「クローネ」
そこは即答なのかと驚きつつ、嬉しくなって表情がやわらいだ。
やっぱり、似たようなやり取りを何度かした記憶がある。
くすくすと笑うクローネがアインの横顔を眺めていたら、彼はハッと眉を揺らし、平静を装った。
「もしかして、ぼーっとしすぎてたことに気が付いた?」
「…………」
「ねぇねぇ、気が付いたの?」
「…………あのさ」
「ふふっ、なーに?」
「…………油断しきってました」
「知ってる。それで今、天井から私に視線を向けるべきか迷ってるのも分かってる」
「さすが。って感じだから、色々と仕切り直さない? とりあえず、俺が今からここを出て部屋に向かうからさ」
「イヤ」
そこで即答されてしまうのかと驚きつつ、アインはどうしたもんかと熟考に移る。
中々一緒の浴槽に入った経験に乏しく、慣れは皆無だ。
周囲の目を気にして『はしたない』と言われることを気にすることだって、今となっては気にするような関係ではない。そんなのは、幼いころから同じ屋根の下で暮らしてることもあって今更過ぎるのだ。
「疲れちゃってるでしょうし、お風呂から出たら肩とかをほぐしてあげる」
断ってイジられたらそれはそれで沽券にかかわる。
精神的なプライドは僅かながら残っていた。しかし、しかしだ。無駄な抵抗や無意味な抵抗は避けるべきだ、と心が訴えかけてきた。
そもそも嫌なわけじゃ無いし、魅力的な提案なことに変わりはない。
だから結局は。
「――――お願いします」
と、腰を低く返事をしたのであった。
後半部分は10分ぐらいで書けてしまうので、そこを書けと心が訴えかけているのかもしれません。
今日もアクセスありがとうございました。




