第2話 忘れ物と、守るもの
「ご馳走になりました」と言って店を出た。
今日も女将は感情の起伏を一切見せない。「客に媚びることはなく、ただ淡々と酒を注ぐ。その静寂が、訳ありの男たちを惹きつけてやまない」という謙三さんの語りを思い出す。北千住の洋品店主のセリフとしては締まらないが、よくこういうセリフを使いたがる男だ。映画の影響なのかは不明だが、他人の趣味だし気にしないことにする。
それに、明日から仕事なので北千住のドヤに足を向けた。
ん?目つきの悪い男が俺をにらんでいる。俺は目線を外し、ドヤの方向に進んだ。男は店に、俺と入れ違いに入っていく。ちょっと気になったので、店の横で待機した。すると中から言い争う声が聞こえてきた。「何もお話することはありません。帰って下さい」という緊迫した声が聞こえる。俺は横からタイミングを計って店に入った。
「ごめんなさい。ちょっと忘れ物してー」と入ると、男は急に黙り込み、一呼吸して、
「真実を聞くまで諦めませんよ」と言って出て行った。
「大丈夫?」と俺が女将を見ると、怒りなのか恐怖なのか分からないが、体が震えていた。
女将は震える声で「大丈夫、大丈夫だから」と言った。俺は落ち着くのを待っていたら、
「私ね、新橋の『不審死事件』に巻き込まれた関係者なの、知っているでしょ!」と言ってきた。当然知らないし、知らないのに知っている作り話を作ろうかとも思った。
「女将、俺その事件知らないんだ、ここに居なかったから。ただ、女将が巻き込まれたと言ったから、関係ないんだろう」と言うと、
「へ、全国紙に載ったゴシップ記事で有名よ。けど、私のことを信じてくれたのは嬉しかったわ。そうよね、仕立ての良い流行りの背広でもないし、ロレックスをしているし、ネクタイもお洒落だし、靴の革も良さそうだし、なによりギターを上手に弾けるということは、金持ちのボンボンで外国に行って帰ってきた?とか思ったけど、家がないのが疑問だったの。あなた、何者?」と言う。
やられた。流石、銀座の大きなバーで鍛えた経験が生きている。百戦錬磨の相手に下手な嘘は俺の信頼を揺らぐ。もとい、俺の女将への信頼(肉欲)が揺らぐ。
「流石の女将、鋭い。俺も信頼されたいから、本当のことを話すよ。多分こんな人、聞いたことも見たこともないと思う。実は俺は――未来からこの時代に飛ばされて、神隠しにされた」
数秒の沈黙。
「ははは、止めてよ。いくら脅されて落ち込んだ私を笑わせようとしても、話が作りすぎよ。映画の台本でも書いているの?」
飛びすぎて、信じてもらえない。俺は意固地になり、証拠を見せることにした。
「女将、これを見て」とスマホを取り出した。そしてフォルダから、令和の冬凪の店で三十代のママと映った写真を見せた。長方形の板から映し出される映像に、女将は口があんぐりと開いて、俺を見た。
「ナニコレ、写真が……」
俺は数枚の画像をスライドして見せ、
「信じてくれましたか。俺がここに来たのは、ここにこの店があることを知っていたからなんですよ。それと、このママ、三十代ですけど、どこか似ていませんか?」
「似てるけど、身内はみんな空襲で亡くなったし、親戚も知らない」
「ママは、母が譲り受けて三代目と言ってましたよ」
「私、子供生むの?」と女将は固まっていた。
「わかりません。ママとは親しかったけど、そこまで詳しいことは聞いていない」
それから財布の中の昭和六十年の十円硬貨や令和のお札を見せた。なぜか女将は俺の体をぺたぺたと叩き、幻なのかどうか確認していた。そして、
「さっきの男、新聞記者で、しつこそうな感じだった。あの男に、人生をまた狂わされそうな予感がするの。助けてくれたのと、私に真実を告げたのも計算してのことでしょ。貴方は私のタイプだし、わたしを守って」
と言って、店の片付けをし始め、内鍵をして、店の灯りを消し、俺に抱きついてきた。
朝の明るい光が冬子に当たり、透けるほど白い肌が目に入る。俺が起きると冬子も起きた。「岩田さんに事情を話してくる」と言って店を出た。三十分ほどで岩田革店に入り、功ちゃんに説明をした。功ちゃんはしばらくフリーズして、
「わかった。もう出て行ってくれ」と言われた。
その足で、紹介してくれた大崎謙三さんに事情を話した。「そんなことがあったのか、新聞記者はしつこそうだな。それで女将といい仲になったのか?」と怒り気味に言ってきたら、「あんたが怒ることじゃないよ」と奥さんに叱られていた。
「今日のことは内緒でお願いします」と言うと、
「俺は、松ちゃんがこうなると思ったんだよ」と得意げに話す謙三さんを、「あんたは、いつも後からそういう」とまた奥さんに叱られていた。「いやー今回本当にそう思ったんだって」と漫才が始まったので、軽く挨拶をして店に戻った。
中では冬子が朝ごはんを作っている最中だった。家庭を持ったらこんな感じかなと思いながら、
「ただいま、話してきたよ」と言うと、
「お帰り、ご苦労様」と返事が返ってきて、なんかほんわかした気持ちになった。
「何か食べたいものある?」と聞いてきたので、「ぬか漬けの漬物」と答えた。
「へー、好きなの」
「一番はキュウリ、次はナス、次は大根かな」と言ったら、
「私はあなたのあそこ」と朝から下ネタだった。
昨日、頑張りすぎた訳でもないが、相性は良かったと思う。
その日、二人で銭湯から帰って開店の準備をした。例の新聞記者が開店早々やってきた。俺は声に反応してすっと現れ、少し睨みながら「何を聞きたいのですか?」と言う。
「お前には用はない」との反応に、
「警察で無関係として放置される人に話を聞くより、もっと別の方に取材されてはどうですか?それとも個人的に美人女将に興味があるなら、飲食していただいてお金を払ってからお話し下さい。ただし、他のお客様へのご迷惑はご遠慮ください」
と言ったら、「こんな年増、興味ねぇー」と言って出て行った。
むかついて、戸を開けて、「ふざけんな!冬子の魅力も分からないで記者しているとか、聞いて呆れるぜ」と記者に言葉を投げつけた。一瞬動きが止まったが、足早に立ち去った。冬子はそんな俺の行動に少し済まなそうな表情で抱きついて、小声で「ごめんね」と言った。
俺は奥でスマホの保存データを参考に、簡単な男料理のレシピをノートに書き写していた。まあ、少しでも役に立てることはないかと思いながらやっている。「ただの紐では情けないからな」と独り言を言って、黙々と書き続けた。
店が終わり後片付けを手伝い、冬子が夜食を出してくれた。俺はノートを見せる。ちゃんと表題をつけた、「簡単・男料理」。イラスト入りだ。冬子は真剣に読んでいる様子で、「なにこれ……こんな発想あるんだ……これ試したい……この材料は無いわね」とか言いながら読み続ける。時たまこちらを見て、「何か食べたいものある?」と聞くので、今後できそうなものをリクエストした。
「極端に辛い鮭が入ったおにぎり」
「あー、聞いたことある。東北から来た子がそんなこと言ってた。塩辛い鮭。普通の鮭を塩に漬け込めば出来るかも?」などと言いながら、ノートを読み直していた。
次の日、仕入れに二人で出かけた。決まった店に俺を紹介しながら、最後に肉屋を済ませて魚屋に入った。ここは六十代の女性が店主だ。
「あら、冬ちゃん、旦那が出来たの?」とストレートに聞いてくる。
「まだ、籍は入れてないけどね」と冬子が言うと、「あんた、大切にしな。もし泣かせることになったら」と言いながら、包丁を俺に向けてきた。半分本気か?と思い、俺はこくりと頷いた。
それから店に戻り、生ものを処理してから、二人で銭湯に行き、帰ってから開店の準備をして奥に引っ込んだ。今日は新聞記者が来なかった。
客の流れが止まったころ、謙三さんが一人でやってきた。「まっちゃんいるー」と声が聞こえ、冬子が俺を呼びに来た。俺が奥から出ると、
「なんだよー、本当に一緒に暮らしているんだ。こりゃーたまげた」
冬子が「何よー、確かめに来たの」と少しお怒りモードになると、謙三さんは、
「いやー、なにね、羨ましくてね。悪気はないから。途中まで功ちゃんと一緒だったんだけど、怖気づいて帰っていったんだ」と言って沈黙した。
少し場が暗くなったので、「耕作、ギター弾いてよ」と唐突に言われてびっくりしたが、奥からギターを持ってきた。子供の頃から演奏に特化した練習をしていたせいか、クラシックか映画音楽しかやらなかったが、適当に静かな曲を弾いて、暗い場の空気を洗い流した。
「比呂の演奏より百倍いいよ。これで金取れるよ」と謙三さんに言われたが、
「趣味レベルで、本職には敵いません」と本当のことを言うと、
「それはアイツは廃業だな」という。
俺と話している隙に冬子が奥に引っ込んでしまい、謙三さんが腰を振るポーズをして「やってるか?」と聞いてくる。
「黙秘です」と答えながら男の会話をする。「ほんと羨ましい」としみじみと話す謙三さんに、
「謙三さん、出入り禁止にしますよ」と奥から冬子の声が飛んできた。
「こりゃ、度々失礼しました」と謙三さんは大声で笑った。
次の日、買い出しの前に役所に行って戸籍の話を聞きにいった。冬子と口裏を合わせて、二人は幼馴染で、戦争で別々に暮らしていたが再会して、一緒に暮らすことになり籍を入れようと思ったが身分を証明するものを紛失しており、住民登録できないので何とかならないか、と相談した。冬子に保証人になってもらい手続きをすれば出来るということで、俺は冬子の籍に入り、須田耕作になった。ちなみに冬子は三歳年上だった。
俺はここに来てから気になっていることがあり、冬子に話した。
「実は三河島に俺の祖父が住んでいるんだ。まだ十六歳だと思う。浦和から単身で工場勤務しているはずだ、俺の記憶が正しければ。……少し興味があって、見てみたい。いや、会ってみたい」
「興味深い話ね。それと、耕作のおじいちゃんを見てみたい」と、いたずらっ子みたいな目で俺を見ていた。
「ただ、手がかりが、『三河島のゴム工場の二階。夏は蒸し風呂のようで、冬は隙間風で耳がちぎれそうだった。それでも、仕事終わりにみんなで三河島駅前の銭湯へ行き、帰りに屋台で一杯ひっかけるのが、一番の贅沢だったんだ……』ということだけで、三河島に行って聞き込みしないと分からないな」
「ゴム工場は沢山あると思うし……何回か探せば見つかるかも。帰りに映画でも観ない?」
映画か、しばらく見ていないなと記憶を辿っていた。
翌日、二人で三河島に向かった。汽車の中で「私ね、耕作がタバコ吸わないから好き」とか言う。おいおい、今の時間は人が少ないとはいえ、大胆だな。店でのクールな印象は微塵もない。ただの甘えんぼさんだ。
話は違うが、俺は汽車に乗るのは初めてだ。こんなこと声に出して話せないし、仮に話したら変に思われるだろう。今回は駅に用事があったから汽車を使ったが、普通に歩いても移動できる距離だ。
駅員に「駅前の銭湯はどこにありますか?」と聞くと、「あー、富士の湯、そこ」と煙突が見える方を指さした。早速、銭湯に向かい、近くのタバコ屋でマッチを買いながら「この近くにゴム工場は何件ありますか」と聞いたら、「一件で、植田ゴムだね、はい、ありがとう」とマッチを受け取り、指でそっちと示してもらった。一軒目で当たりか?と期待する。工場前まで来ると、植田ゴムと看板があった。中は見えないが、もうすぐ昼だし休憩はあるだろう。
昼過ぎになり、工場から人が出てきた。一人、二人と三人目で、当たりが出てきた。間違いない。社員が四方に散らばり、目的の男が駅の方に向かっていく。俺たちも後をついていくと、冬子が足早になり男に近づいて肩を軽く叩き、
「お兄さん、千円で遊ばない?」と声をかけた。おい、ふざけすぎだよ。
孝四郎少年は冬子の顔を見て真っ赤になり、下を向いて固まった。俺が「君、ごめん。冗談だから。許してくれ」と言うと、
「ごめんね、あんまり可愛いからつい……ごめんなさい」と冬子も謝った。
とっさに「どの道を行ったら日暮里に近いか聞くつもりだったんだ」と話してごまかした。俺はせめて自分の名前を名乗り、連れは妻だと伝えた。名乗ったら律儀に、
「俺は松井孝四郎、十六歳で、植田ゴム勤務であります」と礼儀正しく答えてくれた。
俺たちは少し立ち話して、道案内のお礼を言って別れた。その間、冬子は俺にべったりとくっついて会話を聞いていた。少年でも、身内の前で妻として紹介したことが影響したのか、いたずら心からなのか分からないが、俺にひっついて離れなかった。
次の日、爺さんの好物、「『喜田家』の六人衆(どら焼き)」を買って、植田ゴムの昼どきに爺さんへ渡した。爺さんは大変恐縮した様子だった。手土産を、同じ歳くらいの女の子が恨めしそうに見ていたと思ったら、
「孝ちゃんのおじさん?」と声をかけてきた。
俺は「へぇ!」と変な声を出したら、冬子が「ふふふ」と笑っている。俺が焦っているのが面白かったのだろう。爺さんが「違うよ、身内にこんな立派な人は居ない」と言う。「だって、似てますよね?」と追い打ちをかける。こりゃ敵わんと思い、「じゃあ、これで失礼するよ」と立ち上がった。冬子はずっとニコニコと俺を見ていた。
「孝ちゃん、私にもどら焼き頂戴!」と逞しい声が聞こえたが、知らんふりして退散した。




