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『冬凪(ふゆなぎ)』  作者: 山田村


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第1話 北千住、冬凪



 俺は神隠しにでも遭ったのか、気がつけばそこに立っていた。どうも昭和らしい。四十歳の会社員のスーツ姿では、この時代にはひどく浮いている。いや、かなり浮いている。違和感は人から奇異の目で見られ、拒絶される。日本人の防衛本能が作り上げた村八分という風習、異質なものを排除して村を守ってきた古くからのその掟が、俺の心にじわりと突き刺さった。


 多分ここは荒川区の町屋だと思う。なぜかというと、数分前、俺はここの神社の横から通りに出たら、気づけばここに来てしまっていたからだ。


 田舎の風景に人もまばらで、町工場がちらほらと立ち始め、現代の密集地とは程遠い。畑や泥道が残る「半農半工」のエリアだ。この辺りはあまり来なかったので、通い慣れた所に向かうことにした。町屋から最も近く、日常的な「都会」を感じられる北千住へ、徒歩で尾竹橋を渡ってすぐのはずだ。


 夕方近くの時刻だろう。俺の時計では十七時だが、正確には不明だ。昭和三十年代の北千住、湿った夜風が似合う街に向かって、俺は歩き始めた。


 千住仲町・ミリオン通りの裏、千住の盛り場から外れた、寺の土塀と古い長屋が向き合う袋小路。そこには、街灯の光さえ吸い込んでしまうような、古びた木造二階建ての小料理屋があるはずだ。確かママが「戦後からある店を、数回改装しながら引き継いでいる」と言っていた。その記憶が正しければ、あるはずだ。


 江戸時代からの宿場町としての伝統に加え、昭和三十年当時は「千住のヤッチャバ(市場)」の活気と、駅前の商店街が非常に発達していたと昔教えてもらった。


 店の名前は『冬凪ふゆなぎ』。看板はなく、軒下に吊るされた古びた提灯に小さく店名が書かれているだけ。店内はカウンター五席。柱は煤けて黒光りし、隅にはいつも沈丁花(季節により変わる)が、まるで誰かを弔うかのように生けられている。BGMはなく、遠くを走る都電の振動だけが微かに伝わってくる。


 令和と異なり灯りが少ないせいか、少し迷いながら、ようやく店を見つけた。


「すいません。今からいいですか」と声をかけた。


「いらっしゃい。好きな席について」


 中に入り、俺はびっくりした。ママにそっくりの女将がいたのだ。たぶん身内だろう、祖母か叔母か。


「んだよ。お化けでも見た!そんな目で見ないでおくれ」


「これは失礼。知り合いに似ていたので、身内の方かなと思いまして、すいません」


「へー、そうなの。あなたのいい人なのね」


「えー、まあそうなんですが、訳ありで、生きては会えないと思います」


「まあ、可哀想に。あいにく身内は戦争でいなくなったのよ、もう十年以上前になるわね」


「そうなんですか。おひとりですか。少し相談なんですけど、私こんなお金しか持っていないんです」


 財布に入れてあった十ドル紙幣を取り出した。多分二万円位のはずだ。


「十ドル紙幣ねー、二万くらい?」と女将は首を傾げた。


「すいません、こんなお金しかなくて。アメリカ人ではないですよ。半額計算でもいいです。何か食べさせて下さい」


「うちは現金の店ではないから。そんな大金だと何食も食べられるし、貴方におつりを出すと他のお客様の釣り銭がねー」


「あー、そういう事ですか。通いますから、前払いということでいかがでしょうか」


「それならいいわよ。何食べたい?」


 なんとか乗り切ったか。


「おすすめで。それとお酒を」


「はいよー。それにしてもお客さん、ハイカラな背広着ているね。何か堅いお仕事かい」


「いえ、仕事を辞めて今日から無職です。何か仕事と住処を探さないと」


「うちはダメだよ」


「いや、料理は無理です。広告宣伝とかは得意なんですがね」


「あんた、家に泊まりたいのかと思ったよ」


「いや、いくらなんでも初対面で、そんな厚かましいことはしません」


「仕事は選ばなければ、部屋付きで何でもあると思うわ」


「あるんですね。これは希望が湧いてきた」


「こんちわー、一曲いかがですか」


 ギターの流しだ。初体験。


「比呂ちゃん、私に会いに来たの?私、言ったよねー、ギターは好きじゃないって」


「女将に変な虫が付かないようにしているだけです。この僕の思いをギターに乗せて歌います」


 理解は出来る。これだけの人だ、当然だろう。それにしても、この比呂ちゃん、俺のことをにらんでいないか。


「あーうるさい、騒音だからやめてー」


「そりゃーないよ!冬ちゃん。上手くないのは愛嬌だよ」


「流しの比呂ちゃん。チューニング合ってないじゃないか?」と聞くと、


「何それ?チューニング?」


 基礎がない?


「弦の音程を合わせることですけど、ギター貸して下さい」


「何それ、ギター盗んだりしないよな」と言ってギターを渡してきた。


 俺の感覚で六弦→五弦→四弦→三弦→二弦→一弦の順番で音を合わせ、アストゥリアスの曲を二分ほど弾いた。


「どうぞ、直しました」とギターを返した。


「にーさん、うまいねー。これ以上は、俺が金払わなきゃいけねーや。それじゃあ」と消えていった。


「あんた、やるじゃないの。ギターがいいのは分かっている。でもね、見るのが嫌なの」


 俺は沈黙した。何か辛い思い出があるのだろう。俺は女将自慢のもつ煮込みを一口食べて、別の話をした。


「女将さんって、冬ちゃんて呼ばれていましたけど……」


「冬子よ。お客様は?」と女将が笑顔で答えた。


「これは失礼。松井耕作、四十歳です。現在独身です」と答える。


「あら、私と同じね。ふふふ」と目を細め、薄っすらと笑った。嘘でもついたような笑顔だった。


「あーやっぱり、同じくらいかなと思ってたよ」と言ったら、勢いよく戸が開き、


「冬子、なぜ俺じゃダメなんだよーっ、答えろ」と大柄な男が怒鳴り込んできた。髪の毛の薄い男がその大柄な男を必死に抑えながら、


「功ちゃんダメだって、酔って迷惑かけちゃダメだって」と宥めている。


「ほんと、謙三さんの言うとおりよ。酔ってこんなことしたら、益々嫌いになるわよ。最後は出入り禁止よ」と余裕ある口調で言う女将に、


「だってよ~」と大柄の功ちゃんは泣き出した。全く忙しい男だ。謙三さんと功ちゃんは一つ離れた椅子に腰かけて、お酒を注文した。


「功ちゃん、いつもこうなのよ。ほんと困った人」と女将が教えてくれた。


 二人は前の店でかなり飲んでいるようで、隣の謙三さんが女将と功ちゃんの会話の合間に、俺と少し話をした。


「いいか、よく聞け。冬ちゃんはな、夏でも首元をきっちり詰めた着物を着ているのには訳があって、首筋に消えない傷跡があるという噂があるんだ」と謙三さんが言う。


「変なこと言わないでよ」と女将が謙三さんに釘を刺す。謙三さんは妙に目が泳ぎ、


「功ちゃん、帰るぞ」と言って、熱燗一本で帰っていった。


「ほんと、変な噂を作るんだから、大変よ。怖がって来なくなる人もいたのよ」と女将が言う。俺は漬物の盛り合わせをつまみながら、うなずきつつ一口酒を飲んだ。


「氷のように冷ややかだが、時折見せる視線に底知れぬ情念を秘めた『陰のある女』。なんて言われた時は噴き出したわよ」とまさにその通りと思ったが、違うようだ。


「私だって、普通に生きてきたけど、空襲があってちょっと生き方が変わっただけ。もちろんいい人もいたし」と目の前の女将は、令和の俺では想像もできない経験をしている。


「大変でしたね」と言ったら、


「松井さんも同じでしょ、生き残り。そう、あたしがギターを見るのが嫌なのはね、彼の形見があるの。ギターを守るように死んでしまったの」と言って奥に引っ込み、数分後にケースを抱えてやって来た。


 開けてみたら、そこから現代のお宝が姿を現した。一九三五年製マーティンD-18。大卒初任給が約九千円の時代だから、中古でも最低四万五千円はする。令和だったら、オークションで安く見積もっても五百万円、この状態で保管されていれば千万円を超える。


「こりゃあ驚いた。米国製ではないですか。持ち主の方は音楽家ですか?」と唐突に聞いた。


 女将は少し沈黙して、「音楽好きの資産家」と言ってあさっての方を向いた。少しの沈黙の後、「なんか、思い出しちゃってね。ごめんなさい」と言って、お酌をしてくれた。


 それから、ストラディバリウスの例を挙げて、ギターの価値を知らせ、大切にとっておけば大変な値打ちになると教えておいた。女将はギターをじっと見つめ、驚いていた。これでギターを見る目が変わるかもしれない。


 その日はこれでおいとまして、店を後にした。北千住のドヤ(簡易宿泊所)を探し、野宿をせずに済んだ。実は現金が無かったので、宿代を女将に預けた十ドル紙幣から差し引いてもらい、何とかなった。


 次の日、興奮してあまり眠れなかったこともあり、朝早く職安、今のハローワークに向かった。北千住駅周辺にある職安の求人票が貼り出してあったが、肉体労働と工場勤務がほとんどだった。事務職や営業も多少はあるが、身分保証の無い俺には無理と判明した。そのあたりを不幸な身の上でもっともらしく話してみたところ、戸籍は役所で相談するようにと、きっぱりと回答してもらった。


 肉体労働でも工場勤務でも、この服装ではダメだ。作業着と作業靴を揃えなければいけない。商店街を歩いて古着屋を探すと、見覚えのある男が店番をしていた。


「謙三さん、昨日はどうも」と声をかけた。沈黙、ワンテンポ遅れて、


「あー、冬ちゃんの所で会った……」


「耕作です。松井耕作といいます」


「松井さんね。ところでどうした?金は無いよ」


「ははは、違いますよ。今、無職でとりあえず肉体労働か工場かなと思っていて、作業着と服をと思って」と言うと、急に手もみをして、


「毎度。うちのは安くて物が良い商品しか扱っていない。どうぞ見ていってください」と営業トークを炸裂させた。


「ところで謙三さん、この近くで仕事ある?」と聞くと少し考えて、


「あるよ、営業だけど。この前の功ちゃんの皮革小物店でさ、あいつ作り専門で販売がからっきしなんだよ。俺のとこでも卸しているけど限界あるだろ。お袋がぽっくり亡くなるまでは良かったが、手が回らないんだよ。今から行くか?」


「是非、お願いします」と言ったら、謙三さんが、


「かあちゃん、今から功ちゃん所に行ってくる」


「お前さん、今から飲みに行くのかい(怒)」と大声が聞こえて、飛び出してきた。


「違うよ、このお客様を功ちゃんの所へ紹介するだけだよ」


「ほんとにそうなんだね」と奥さんが俺をじろりと下から上へ目線を送った。俺はにこりと笑ってお辞儀をした。


「わかったよ、早く店番に帰ってきてね」と送り出した。


 数分歩いたところに、店舗というより工場がメインの店舗住宅があった。簡単な看板と猫の額ほどの店舗に、少し日焼けした見本品が数点。奥は物置になっていて、その奥が工房のようだ。


「功ちゃん、営業職、連れてきたぞ」と奥に声をかける。すると、「おー」と声がしてこちらに向かってきた。俺を見るなり少し沈黙して、


「初めまして、岩田功いわたいさおです」とすごく緊張していた。


 すると謙三さんが、「功ちゃん、耕作さんとは昨日、冬ちゃんの店で会っているよ」と言うと、


「えー」と声を上げ、顔を真っ赤にして汗をかき始めた。


「とんだ醜態をさらしてしまって、俺、酔って泣いてなかったよな」と聞いてきたが、俺は沈黙してしまった。


「功ちゃん、あんた、どこでもその店の女の子に惚れて、いつも泣いているんだから。恥ずかしくならなくてもいいよ」


「あー、またそーいう……」と漫才が続く。


 功ちゃんが落ち着いたところで、仕事の話に移った。仕事は配達がメインで、新規開拓を補助する程度。空き時間は帳簿管理と店番。住み込みについて聞くと、今ならOKで、嫁をもらったら出て行くことが条件。賃金は五千円で、新規開拓でプラス千円になるらしい。戸籍の無い俺が住み込みで五千円とは、好条件でしょう。早速、明日からということで話はついた。


 俺は謙三さんと古着店に戻り、服と下着を購入した。見上げると「三原洋品店」と看板が掛かっていて、


「三原洋品店ね」と独り言を呟いたら、


「あー、これ、かみさんの爺さんの苗字だ。俺は大崎謙三だ、よろしく。岩田革店の松っちゃん。同じ"こうちゃん"じゃあ、ややこしいからな」


 というわけで俺は松っちゃんになった。


 その後、謙三さんや奥さんと話をしながら時間を潰した。あまり共通の話はなかったが、女将の話では奥さんが大いに盛り上がった。どこから聞いてきたのか知らないが、


「元は銀座の大きなバーで鳴らした」


「ある『不審死事件』に巻き込まれ、すべてを捨てて北千住の場末に流れ着いた」


などと、随分とディープな話に溺れそうだった。


 それから俺は銭湯に行き、二日ぶりに風呂に入った。その後、冬凪に向かって夕食をいただくことにした。店の前に着いたが、まだ営業していない。時計を見たら十七時ジャスト。十月の末になると季節のせいか少し暗いが、さすがに五時では早いようだ。そう言えば、営業時間を聞くのを忘れていた。


 外で待っていたら、買い出し籠を抱えた女将がやってきた。薄めのコートにパンツスタイルの洋服で、大きな帽子をかぶっている。


「あら、ごめんなさい。普段は開けているんだけど、足りない物があって買い出ししたのよ。ちょっと待ってね」と普通の返答をした。


 俺は軽く返事をして数分待つと、女将が着物姿で現れた。


「はい、どうぞ」と言って中へ入れてくれた。


「洋服、素敵でしたね」と言うと、嬉しかったのか、


「ありがとう。普段はほとんど洋装よ。店は洋装の雰囲気でないから着物だけどね」ということだった。


 俺はお任せでお願いして席につき、今日の話をした。


「へー、そんなこともあるのね。岩田功さんは外で会っても知らん顔なのよ、私だと分からないのかなー」


「社長は、素面の時は別人ですね。対人恐怖症というか、真面目な職人で寡黙な人です。仕事に対して裏切らないという印象ですね、今のところ」


 意外そうな表情で「へー、そうなの?」と素っ気ない返事。私はあの人に興味がありません、という感じで、俺は心の中で功ちゃん「アウト」と呟いた。


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