表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/70

第68話 それだけです

「あなたが一人で対処できると思うのは、自信過剰ではないですか」


 中央の職員が言った。声は静かだったが、問いの芯はそれなりに鋭かった。


 悟は少し間を置いた。


「危険だと思っています」


 職員が少し眉を上げた。


「毎日気をつけています。ただ、危険なものも理解すれば対処できます。5年間の記録がその証拠だと思っています」


「理解、と言いますが」


「はい」


「理解というのは、具体的にどういうことですか」


---


 悟は少し考えた。


「何を食べるか、何を怖がるか、今どういう状態か。それを毎日記録して、わかってきます」


「それだけですか」


「それだけです」


 職員がペンを止めた。


 部屋が少し静かになった。誰かが書類のページをめくる音がした。


 悟は付け加えなかった。付け加えることが思い浮かばなかった。言いたいことは全部言った。飼育員をしていたとき、ベテランの先輩から教わったことも、動物園を辞めたあとに魔物と向き合う中でわかってきたことも、全部ひとつのことに行き着いた。毎日見て、記録して、わかってきます。それ以外の方法を、悟は知らなかった。


---


「ただ、5年間で一度も事故がなかったのは、運もあるのではないですか」


 別の職員が言った。四十代の男だった。


「運もあると思います」


 悟は正直に答えた。


「ただ、準備してきたのも事実です。運だけで5年は続かないと、私は思っています」


「準備というのは」


「来る前に調べること、来たときに落ち着いて観察すること、おかしいと思ったら無理に近づかないこと、です」


 職員がメモを取った。


「それだけですか」


「それだけです」


---


 また「それだけですか」という問いが来た。


 悟は少し考えた。「それだけです」という答えを続けることが、この場で有利なのかどうかはわからなかった。もっと体系的に聞こえる言葉があるかもしれない。もっと専門的に聞こえる説明があるかもしれない。


 けれども他に言いようがなかった。


「それだけです。ただ、それを毎日続けることは、それほど簡単ではありません」


 職員が視線を上げた。


「どういうことですか」


「習慣にしないと続かないということです。記録も、観察も、何もないように見える日にもやる。それが5年分になると、気づくことが増えます」


 職員はしばらく悟を見ていた。何かを考えているようだった。


---


 部屋の奥で、かすかに椅子が動く音がした。


「私は現場を見ました」


 安藤の声だった。


 全員がそちらを向いた。壁際の席に座ったままの安藤が、メモ帳を閉じて言った。


「神崎さんの言っていることは事実です」


 声は淡々としていた。感情的なところはなかった。けれども、静かな会議室の中でその言葉は、はっきりと届いた。


「先月、施設を訪問しました。記録ノートを確認しました。魔物の状態を確認しました。神崎さんがこの場で話されていることは、私が現地で見たこととずれていません」


 中央の職員が少し姿勢を変えた。


「安藤さん、それは」


「確認事項の補足です」と安藤が言った。「神崎さんが言っていることが事実かどうか、私は現地で確かめています。私の立場から言えるのはそれだけです」


---


 白石は安藤の言葉を聞きながら、ほんのわずかに表情が動くのを感じた。


 安藤は堅物だった。白石が最初に連絡を取ったとき、返事は最低限だった。書類の不備を指摘するときの言い方も、容赦がなかった。その安藤が、公の会議の場で口を開いた。


 それが何を意味するかを、白石はわかっていた。


 部屋はしばらく静かだった。中央の職員が手元のファイルを一度見て、また悟の方に視線を戻した。


「他に補足はありますか、神崎さん」


「ありません」


 悟は言った。


「全部話しました」


---


 会議が終わったのは、始まってから一時間半ほど後だった。


 廊下に出ると、昼前の光が窓から入っていた。会議室の中より少し明るかった。


「お疲れ様でした」


 白石が言った。悟と安藤の両方に向けて言った。


「お疲れ様でした」と安藤が返した。


 悟も「お疲れ様でした」と言った。三人がほぼ同時に言ったので、少し間があいた。


 白石がバッグの持ち手を直した。安藤が廊下の先を見た。


「あとは待つだけですね」


 悟が言った。


 安藤が悟を見た。少しだけ間を置いて、答えた。


「そうですね」


 それだけだった。安藤は余計なことを言わなかった。「大丈夫です」も「きっとうまくいきます」も言わなかった。ただ「そうですね」と言って、それが全部だった。


---


 三人は少し歩いてから、エレベーターで一階に降りた。


 玄関を出ると、外の空気が会議室よりも少し暖かかった。


「神崎さん、今日はありがとうございました」


 白石が言った。


「いえ」


「うまく話せましたか」


「わかりません。ただ、言いたいことは言えました」


 白石がうなずいた。それ以上は聞かなかった。


 安藤は少し離れたところに立っていた。スマートフォンを見ていたが、悟の方を一度だけ見て、軽くうなずいた。悟もうなずいた。


 管理局の建物を出て、悟は少し空を見た。今日も晴れていた。施設では今頃、レグが縁側で待っているだろう。ガッシュが日当たりのよい場所を移動している頃かもしれない。


 いつもと変わらない午前中が、向こうにあった。


---


(次話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ