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元動物園の飼育員、ダンジョン産の魔物を引き取ってのんびり暮らす 〜ダンジョンが出現した世界の魔物保護施設経営〜  作者: ヲワ・おわり


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第64話 野島先生の提出

電話が鳴ったのは昼過ぎだった。


 悟が事務スペースで記録ノートを書いているとき、スマートフォンが鳴った。画面を見ると、野島の名前が出ていた。レグが悟の椅子の脇で体を伸ばしていた。


「はい、神崎です」


「野島です。今日、意見書を提出してきました」


 野島の声は落ち着いていた。ただ、どこか報告を楽しんでいる気配があった。


「今日、ですか」


「ええ。管理局の担当者のところに直接持っていきました。郵送でもよかったんですが、手渡しの方が確実だと思って。ついでに担当の方の顔も見ておきたかった」


「そうですか。管理局の反応はどうでしたか」


「最初は戸惑われていましたよ」と野島が言った。「大学の名前で意見書を出すこと自体、あまり前例がないんでしょう。担当の方がやや固まっていました。どういう経路でこれが来たのか、ということを確認するのに少し時間がかかっていましたね」


「なるほど」


「ただ、記録ノートに言及した部分を読んでいるときは、少し様子が変わりました。手が止まって、二度読み返していましたよ。あの記録に関しては、認可を検討している側にも関心があるようです」


---


 悟は手を止めた。ノートのページが少し開いたままになった。


 記録ノートのコピーは白石が取っているはずだった。それが管理局に届いているかどうかはまだわからないが、野島の意見書が先に記録ノートへの関心を引いたとすれば、白石が動いたときに繋がるかもしれなかった。


「手応えはありましたか」


「私は手応えがどうかより、言うべきことを言えたかどうかの方が気になる人間なんです。今回は言えました。認可の判断をするのは向こうですし、私の仕事は学術的な観点から正直に書くことですから」


「それだけで十分じゃないですか」


「そう言ってもらえると気が楽ですね」と野島が笑った。


---


 野島がそこで少し間を置いた。電話の向こうで何かを考えているような気配があった。


「神崎さん、一つ言ってもいいですか」


「ええ」


「私はあの意見書を書きながら思ったんですが、悟さんの施設は、50年後には教科書に載ると思います」


 悟は一瞬、返す言葉が出なかった。


「……それはないですよ」


 気づいたら口から出ていた。野島が少し笑った気配があった。


「なぜそう思うんですか」


「大げさすぎますし、私はただ世話をしているだけですから。教科書というのは、もっとちゃんとしたものが」


「それが問題なんです」と野島が言った。声が少しだけ硬くなった。「神崎さん、私は本気で言っています。笑い話でも誇張でもない。こういうことは普段滅多に言わないんですが、今回は言っておかないといけないと思った」


---


 悟はスマートフォンを持ち直した。野島の声の質が変わっていた。普段の話し好きな感じではなく、講義のときに入る、あの静かな熱さだった。


「前例が何もないんです、あなたのやっていることは」


「前例、ですか」


「そうです。民間施設で魔物を5年以上継続して預かり、個体ごとに記録を残し、探索者との接点を作り、地域との関係を築いている。どれか一つでも前例がない。それが全部揃っている施設はほかにない」


 悟は黙っていた。


「管理局がどう判断するかは私にはわかりません。ただ、いずれ誰かがこの施設を研究するときが来ます。あるいは後に続く施設が出てきたとき、神崎さんの記録が最初の事例として扱われる。そういう話です。私はそれを教科書に載ると言っています」


「……」


「わかりますか、私が何を言っているか」


「少し」と悟は言った。「よくわからないところもあります」


「それでいいです。本人がよくわかっている必要はないので」


---


 しばらく間があった。悟は窓の外に視線をやった。庭先に昼の光が落ちていた。レグが縁側で丸くなっているのが見えた。橙色の体がのんびりしていた。


 野島の言っていることがよく飲み込めなかった。ただ、野島が本気で言っていることはわかった。この人が軽い気持ちで「教科書に載る」と言う人ではないことも、付き合いの中でわかっていた。笑い話として使う人でも、励ましのために大げさなことを言う人でもない。


「……ありがとうございます」


 他に言葉が出なかった。


「お礼を言われる側ではないですよ」と野島が言った。声が少し戻ってきた。「私が言いたかっただけです。書いていて、これは本当にそうだと思ったので、言っておきたかった。それだけです」


「そうですか」


「はい。提出は今日終わったので、あとは管理局の動き次第です。審査の段取りが決まれば、こちらにも連絡が来るかもしれません。何かあれば連絡します」


「よろしくお願いします」


---


 電話を切った。


 悟はしばらくそのままでいた。スマートフォンをテーブルに置いて、窓の外を見た。庭先の光は変わらなかった。レグがまだそこにいた。


「50年後か」


 呟いた。誰に言うでもなかった。


 50年後に自分は88歳になる。施設がどうなっているかも、自分が生きているかどうかもわからない。野島が言ったことが現実になるかどうかも、当然わからない。ただ、野島がそう言ったのは確かだった。本気で。


 庭先のレグが頭を上げた。こちらを見た。何かを感じたのか、それともただ気まぐれなのかは、悟にはわからなかった。しばらく目が合って、それからレグは視線を外した。


---


 スマートフォンが震えた。


 画面を見ると、白石の名前が出ていた。メッセージだった。


「今日、私も書類を提出します」


 悟は画面を見たまま、少し間を置いた。

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