第62話 安藤さんの再来訪
安藤が来たのは昼過ぎだった。
門のところで会うと、安藤は前回来たときと同じスーツを着ていた。鞄も同じだった。ただ、前回より少し表情が柔らかかった。車を施設の前に停めてから、少しだけ間を置いてから降りてきた。少し迷ってから来たのかもしれなかった。
「先日はありがとうございました」と安藤が言った。「今日は調査ではなく、個人として来ました」
その言葉を言いながら、わずかに視線が外れた。どことなく照れているようにも見えた。
「どうぞ」
悟は安藤を中に案内した。
---
事務スペースのテーブルに向かい合って座った。悟はお湯を沸かして、急須を出した。安藤が「お気遣いなく」と言ったが、悟はそのまま淹れた。
「前回見せていただいた記録ノートについて、もう少し聞かせていただけないかと思って」と安藤が言った。「業務とは別で、気になったことがあったので」
「何でも」
安藤がゆっくり湯呑みを持った。
「一番長く預かったのはどの魔物ですか」
「アームドビアです。一か月半ですね」
「アームドビア」と安藤が繰り返した。「Bランク相当の魔物ですね。大きな個体だと思いますが」
「そこそこ大きかったです。成体の雄でしたので」
安藤が少し考える顔をした。
「その間、苦労はありましたか」
悟は少し間を置いた。
「毎日ちょっとずつ苦労はありましたね」
「毎日、ですか」
「ええ。慣れない場所に連れてこられて、最初はずっと警戒してたので。餌も最初の三日は食べなかった。どこが不具合なのかも最初はわからなくて、触れるまで時間がかかりました」
「それは大変でしたね」
「ただ、毎日ちょっとずつ良くなっていったので」
安藤が静かに悟の方を見た。
「毎日ちょっとずつ」
「そうです。三日目の朝に初めて餌を食べて、一週間目に同じ場所に寝るようになって、十日目に初めて近づいても逃げなくなった。そういう変化が毎日少しずつありました」
安藤がしばらく黙った。湯呑みを持ったまま、悟の話を反芻しているようだった。
「……そういうものですか」と安藤が言った。
「動物も魔物も、大体そういうもんです」
---
話はしばらく続いた。
安藤は記録ノートについて聞いたことを確認していくような聞き方をした。前回の調査のときとは違い、メモは取らなかった。純粋に聞いているという感じだった。
どの魔物が一番扱いやすかったか。逆に一番難しかったのはどんな状況か。傷の処置と精神的な安定はどちらが先に来るか。
悟は聞かれたことに答えた。特に飾る必要もなかった。記録ノートに書いていることを話すだけだった。
「神崎さんは、この仕事が好きですか」と安藤が唐突に聞いた。
「好きだと思います」と悟は言った。「向いているかどうかは自分ではわからないですが」
「向いていると思います」と安藤が言った。それから少し早口になって、「調査の立場からではなく、個人的な感想として」と付け足した。
「そうですか」
「記録ノートの書き方が、動物に対するのと魔物に対するのでほとんど変わらない。それが印象に残っています」
悟は少し考えた。
「変える理由がないので」
「それを当然のことのように言えるのが」と安藤が言いかけて、それから止まった。「すみません、個人的な話が過ぎましたね」
「いいえ」
悟はそう言ってから、少し考えた。「管理局の方にそう言っていただけるのは、正直ありがたいです」
安藤が少し驚いたような顔をした。「私が管理局の人間だから、気になりますか」
「少しは気になります。ただ今日は個人として来たと言ってくださったので」
「そうですね」と安藤が言った。「私は今日、個人として来ています」
---
話の途中で、レグが事務スペースに入ってきた。
いつもは世話の時間以外はあまり入ってこない。悟がちらりと見ると、レグはまっすぐ来たわけではなく、テーブルの端の方を遠回りするようにして、安藤の方向に近づいていた。
安藤が気づいて、話を止めた。
レグが安藤の椅子の横で止まった。座って、安藤の方を見ている。
安藤が固まった。目はレグを見ているが、体が動かなかった。
「レグ、邪魔するな」
レグは動かなかった。耳だけ悟の方に向けたが、立ち上がりもせず、離れもしなかった。
悟は少し考えた。
「……コイツが決めたことなので、無視してもらっても大丈夫ですよ」
安藤がゆっくりこちらを見た。「決めた、とは」
「レグがそこにいたいんだと思います。嫌なら教えてください。移動させます」
安藤は少し間を置いてから「いえ」と言った。「大丈夫です」
---
そのまましばらく三者でいた。
安藤とレグの間には距離があったが、レグはその場を離れなかった。安藤の方もだんだん慣れてきたのか、話をしながら時折レグの方に視線を向けるようになった。
「レグ、というんですか、この子は」と安藤が聞いた。
「はい」
「ウォームドレイクですよね、たしか」
「そうです」
安藤がレグを見た。レグが安藤の視線を受けて、少し体の向きを変えた。
「よければ」と安藤が言った。ゆっくりした言い方だった。「もう少し、ここにいてもいいですか」
「どうぞ」




