第58話 久保田が動く
「俺にできることをやりたいんです」
久保田がそう言ったのは、施設の前で靴を脱ぐ前だった。悟が扉を開けると、久保田が立っていた。いつもより少し固い顔をしていた。
「上がってください」
事務スペースに通して、お茶を出した。久保田はすぐに話し始めた。
「審査があると聞きました。3か月の猶予で認可を取るかどうか決まるって」
「白石さんから聞きましたか」
「いや、探索者の間でも話が出てるんです。悟さんの施設のこと、気にしてる人が思ったより多くて」
悟は少し意外だった。
「そうですか」
「それで」と久保田が続けた。「組合に頼んで、施設の実績書類を集めます。悟さんにここを使ったことがある探索者の証言を集めたい。審査に使えるかどうかはわからないけど、やれることはやりたいんで」
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久保田がスマートフォンを取り出した。
「田中さんって覚えてますか。組合担当の」
「ええ、何度かお会いしました」
「さっき電話したら即答でした。組合として全面協力します、って」
即答、という言葉が悟の中に少し残った。
「田中さんも動いてくれるんですか」
「動くどころか、俺が電話し終わる前に次の動きを考えてましたよ。書類の体裁を整えるのが得意な人なんで、そっちは任せます。俺は証言を集める」
久保田がお茶を一口飲んだ。
「悟さんは普通にしていてください」
「普通に」
「そうです。俺たちがやるんで、悟さんはいつもどおり施設を動かしてくれれば十分です」
言い方がはっきりしていた。あれこれ考えなくていいという意味だった。
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翌日から、久保田が動いた。
松田も一緒だった。久保田の同僚で、二人は同じ時期にBランクに上がっている。久保田から声がかかったらしく、「俺も悟さんの施設には一回世話になったんで」と言って合流した。その言い方はあっさりしていた。理由を長く説明するタイプではない人間だった。
二人は探索者仲間に声をかけて回った。施設を利用したことがある人間に、感想や経緯を書いてほしいと頼んだ。「審査の書類に使うかもしれない」と説明すると、断る人間はほとんどいなかった。むしろ「もっと早く言ってくれれば良かった」と言う人間もいた、と後で久保田が話していた。
田中も組合側でネットワークを動かしていた。組合に登録している探索者のデータから、施設の利用履歴がある人間をリストアップして、久保田に渡した。「こういう作業は得意なんで」と田中が言ったと久保田が話した。
数日で、書類が集まってきた。
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内容はさまざまだった。
「逸脱した魔物を引き取ってもらった。ダンジョンから持ち出した個体で、どこへ持っていくかわからなかったところを受け入れてもらえた」と書いた探索者がいた。
別の一人は「施設で魔物の扱い方を教えてもらった。対処法がわかってからは活動が安全になった」と書いていた。
「一時預かりを頼んだことがある。探索中に保護した個体を、戻るまで面倒を見てもらった。それだけでも助かった」という内容もあった。
「神崎さんの記録を見て、自分が保護した個体の状態が把握できた。あの記録がなければどう判断すればいいかわからなかった」と書いた探索者もいた。
田中が書類の体裁を整えた。証言の一つ一つに日付と状況の概要をつけて、まとめた。手際がよかった。証言の数は二十を超えた。
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久保田が施設に現れたのは、それから一週間ほど経ってからだった。
玄関で、封筒を差し出した。
「これだけ集まりました」
かなりの束だった。悟が受け取ると、ずっしりとした重さがあった。
「田中さんが整理してくれたんで読みやすいはずです。あとは審査のときに使えると判断したら提出してもらえれば」
「ありがとうございます」
久保田が少し照れた顔をした。
「俺はこういうことしかできないんで」
「こういうことができる人がいると助かりますよ」
久保田が「まあ」と言った。それ以上は言わなかった。悟は封筒を棚に置いた。
ガッシュがエリアの端からのそりと近づいてきていた。久保田が封筒を手に持ったままテーブルに近づくと、ガッシュが鼻先を書類の端に押しつけた。
「ちょっと、ガッシュさん」
久保田がとっさに封筒を高く持ち上げた。ガッシュは気にした様子もなく鼻をひくひくさせている。
「匂いを嗅いでいるだけですよ」と悟は言った。「書類に興味があるみたいですね」
「さすがに書類に鼻水つけないでほしいですよ」
久保田が困り顔で封筒を胸元に抱えた。ガッシュがぶーぶーと鳴いた。
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レグが事務スペースの入り口から顔を出していた。久保田がそちらを見た。
「レグさん、元気そうですね」
「ええ。寒くなってもあまり変わらないですね、この子は」
「強いな」
レグが久保田を見てから、悟の方に歩いてきた。いつものように膝のあたりに落ち着いた。久保田が少し笑った。
「悟さんのこと好きですよね、絶対」
「そうですかね」
「膝から離れないじゃないですか、電話してるときも」
それは本当だった。悟が何かしているとき、レグは大体そのあたりにいた。久保田がレグを少し眺めた。
「俺、初めてここに来たとき、このサイズの魔物に近づくの怖かったんですよ」
「今は?」
「今はまあ……慣れました。悟さんのところに何回か来ると、そういうもんかって気がしてくる」
「慣れると思えば慣れますよ」
「悟さんはそれを言い過ぎですけどね」と久保田が言った。笑いが混じっていた。
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久保田が帰り際、玄関で立ち止まった。
「そういえば、野島先生ってどうしてますか。あの大学の」
「野島先生ですか」
「施設に来てた研究者の。あの人は審査について何か言ってましたか」
悟は少し考えた。野島から最後に連絡があったのは、もう少し前だった。
「特にまだ」
「何かしてくれそうな気がするんですよね、ああいう人は」
「そうかもしれませんね」
「電話してみてもいいんじゃないですか」
久保田がそれだけ言って、「では」と頭を下げた。
悟は玄関に立ったまま、少し考えた。野島先生に電話してみるか、とつぶやいた。レグが足元で体を動かした。




