第47話 予約が埋まる
「2か月、待ちましたよ」
男は言った。三十代くらいで、装備を全部外して動きやすそうな服に着替えてきていた。名前は安田といった。隣の県から車で来たと、到着したときに言っていた。
「2か月、ですか」と悟は繰り返した。
「予約ページを見たとき、一番早いのが2か月後だったので。キャンセル待ちも考えたんですが、まあ待つかと思って」
悟は少し間を置いた。予約制を導入して3週間が経っていた。1か月先まで見学予約が入っていることは知っていた。でも2か月待ちという言葉は、自分の認識と少しずれていた。
「そんなに経ちますか」
「いや、でも来てよかったです」と男が言った。「思ってたのと違ったんですが」
「どういう意味ですか」
「もっと、すごいところかと思って。施設っていうか、研究所みたいな。ちゃんとした設備で、白衣を着た人がいるような」
「元市営動物園の一角ですよ」
「そうなんですよね」と男が笑った。「でも、これが良いというか。なんかこっちのほうが落ち着く。構えてたのが拍子抜けした感じで。それがいい意味で、ということなんですが」
悟が「ありがとうございます」と言った。
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縁側のそばで、レグが丸まっていた。男がそちらを見た。
「ウォームドレイク、ですよね。こんな近くで見れると思ってなかったです」
「レグといいます。近づいても大丈夫ですよ。嫌なら自分で逃げますから」
男がゆっくりしゃがんだ。レグは目を細めて、特に動かなかった。鼻先だけをちょっと持ち上げて、においを確かめるようにした。それだけだった。
「本当だ。全然逃げない」
「慣れているので」
男がしばらくレグを見てから、立ち上がって水槽のほうに歩いた。ムクがゆっくり泳いでいた。
「あ」と男が小さく言った。
「テンタキュラスモールです。ムクといいます」
「これ……SNSで見たやつだ」
悟が振り返った。
「SNSで?」
「はい。写真が回ってて。えっと、確かタコが可愛いっていうのに添付されてて。それでここのことを知りました」
悟が「ムクか」と言った。
「これ、タコじゃないですよね」
「テンタキュラスモールです。タコではないですが、まあ見た目は似てますね」
「でもたしかに可愛い」
ムクはそのやりとりを知らないまま、水槽の中でゆっくり泳いでいた。ベージュの体がゆらゆらと揺れていた。
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久保田が外の点検から戻ってきたのは、それから少し後だった。男がちょうど帰る支度をしていた。
「お疲れ様です」と久保田が会釈した。
「ありがとうございました」と男が悟に頭を下げた。「来てよかったです。また予約取ります」
「遠くからどうも」
男が玄関を出た。エンジン音がして、駐車場から車が出ていくのが聞こえた。
久保田が施設の中を確認しながら言った。「今日の見学、どうでしたか」
「他県から来てたんですが、2か月待ちだったそうです」
「そうですか」
「知らなかったです。そんなに待っていたとは」
久保田が少し考えてから言った。「予約が埋まってるのはわかってましたが、外から見てどのくらい先まで待っているかは、こっちには見えにくいですよね」
「最近少し疲れてきましたね」と悟が言った。
久保田が悟を見た。
「疲れてるんですか」
「依頼も週3件ペースで入ってきて。1件ずつは大したことないんですが、積み重なると体にじわじわくる感じで」
「休める日はありますか」
「施設の世話がある限りは、完全には休めないですね。今日も見学が終わったら夕方の世話があって」
久保田がそれ以上は言わずに、棚の整理を始めた。しばらく経ってから、「手伝えることがあれば言ってください」と言った。
「今もずいぶん手伝ってもらってますよ」
「もっとできますから」と久保田が言った。「言ってくれればいいので」
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夕方の世話が終わった後、悟はムクの水槽の前に立った。
ムクはベージュの色のまま、ゆっくりと水の中を動いていた。急ぐわけでもなく、どこかに向かうわけでもなく、ただそこにいる感じだった。
「お前が有名になってたのか」
ムクは特に反応しなかった。
SNSで写真が回っているということは、誰かが撮影して投稿したということだ。見学に来た探索者か、依頼を持ち込んだ誰かか。施設の中を写真に撮っていいかという確認は受けたことがある。断ってはいなかった。
可愛いタコ、と男は言っていた。タコではないが、そう見えるのはわかる。たしかに可愛いとは思う。
「本人は何も知らないな」
ムクが水槽の壁にそっと近づいて、また離れた。
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男が帰り際に、もう一つ聞いていた。
「ところで、他に施設ってないんですか。似たようなところ」
悟は少し考えた。
「ないと思いますよ」
「そうですか。やっぱり」と男が言った。「なんか、そんな気はしてたんですけど」
悟はその言葉を、男が帰ってからも少し引っ張っていた。
やっぱり、という言葉がどこから来たのか。調べて探して、見つからなくて、それでもここに来た、ということなのかもしれない。あるいは来る前からわかっていて、それでも確かめたかったのかもしれない。
どちらにしても、ここ以外にないという前提で2か月待った人が来た、ということだった。
悟がノートを開いて、今日の記録を書き始めた。




