第42話 初めての魔物
「光っているというのは、どんなふうに」
「翅が半透明で、朝の光に当てると虹みたいに見えるんです」
悟は容器を受け取った。蓋付きのプラスチックケース、通気孔が開いている。中に蛾がいた。翅を閉じて静かにしていた。確かに半透明で、外の光を通して翅の模様が透けて見えた。大きさは成人の手のひらほど。翅の縁がわずかに光を反射していた。
「いつ捕まえたんですか」
「昨日の夜です。ダンジョン五層で。動きが遅くてすぐ捕まったんですが、触ったらまずいかと思って容器に入れただけで、そのままで」
「正しい判断です」と悟は言った。「体表に粉がついていますか」
「白っぽいのが少し。触れてないですけど」
「正解です」と悟は言った。「触れないでよかった。とりあえず中に入ってください」
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事務机に専門書を二冊と図鑑を一冊、出した。
魔物図鑑は分類ごとに整理されていて、蛾型の項目は中ほどにある。ページをめくりながら「寄生型蛾類の記載があるはず」と悟はつぶやいた。
依頼主が横から覗いた。「大丈夫ですか、それ」
「調べます」と悟は言った。「知らないことを認めてから調べるのが先なので」
依頼主が少し黙った。
ページをめくって、しばらくして、悟が止まった。
「ありました。パラサイトモス」
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図鑑の記述はこうだった。
寄生型蛾類。翅が半透明で、体表に微細な鱗粉を持つ。この鱗粉を宿主の皮膚や粘膜から浸透させ、代謝を操作する。宿主がいない状態では活動が著しく鈍化する。自律行動は可能だが、エネルギー消費を抑えるため静止していることが多い。
「宿主なしで一時的に預かれます」と悟は言った。「ただし、完全には把握できていない部分もある。それは正直に言っておきます」
「大丈夫ですか」と依頼主が聞いた。少し不安そうだった。
「把握できていないものは把握できていないので」悟は言った。「分かる範囲で対応します。それでよければお預かりします」
依頼主はしばらく考えてから「……お願いします」と言った。「変なこと聞くんですが、知らないって言ってくれる方が、なんか安心します」
「そうですか」と悟は言った。「では受け付けます」
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密閉容器を倉庫から出した。アクリル製の、気密性が高いもの。通気孔はフィルターを二重にして、鱗粉が外に出ないようにした。
パラサイトモスをケースごと移し替える間、レグが近づいてきた。翅の光沢に気づいたのか、首を伸ばして容器を覗こうとした。
「ダメ」
悟が静かに言うと、レグは一度止まり、それからそっと離れた。
「聞くんですね」と依頼主が言った。「ドレイク」
「なんとなく分かるんだと思います」と悟は言った。
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密閉容器を棚の上に置いて、少し離れた場所から確認した。
ムクが水槽の端から容器を見ていた。色が濃い黄色になっていた。じっとしたまま、触手も動かさなかった。
「こっちは緊張してるな」と悟は小さく言った。
ムクは悟の声に反応して一度だけ触手を動かした。それからまた静止した。視線はパラサイトモスの容器に向いたままだった。
ガッシュの方を見ると、柵の中の定位置でくぼみに入って動かなかった。こちらは気にしていないのか、あるいはもともと動じない性格なのか。
パラサイトモスは容器の中で静止していた。翅をたたんで、まったく動かない。図鑑に書いてあった通り、宿主がいない状態では活動が鈍い。
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依頼主を見送って、悟は改めて施設を見回した。
いつもと変わらない午前中だった。レグが柵の前でうとうとしていて、ムクが水槽の中で静かにしていて、ガッシュがくぼみの中に収まっていた。パラサイトモスの容器だけが、棚の上に新しく加わっていた。
悟は事務室に入って、新しいノートを出した。
表紙に「パラサイトモス 一時預かり」と書いた。
現在の状態、受け入れ日時、設置環境。分かっている情報と、分かっていない情報を分けて書いた。分かっていない欄の方が多かった。
「記録を増やさないといけないな」
声に出して言った。
図鑑の記述を読み直す。鱗粉の成分については詳しい記述がなかった。別の専門書の索引をめくった。パラサイトモスの項目はあったが、代謝操作の機序については「研究中」とだけ書いてあった。
悟はノートに「鱗粉の成分:不明、要調査」と書いた。
ページをめくっても同じだった。図鑑の情報は分類と形態の記述で終わっていた。生態や行動については「不明点多い」という注記があるだけだった。
「研究が追いついていないのか、観察例が少ないのか」
どちらにしても、手元の資料だけでは限界があることはわかった。
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夜になった。施設の気温が下がった。
パラサイトモスの様子を確認しに行くと、翅がわずかに開いていた。昼間よりも光沢が強い気がした。
悟は棚の前でしばらく観察した。動いているかどうか、目を凝らした。ゆっくりと、翅の端が動いていた。
昼間よりも、明らかに活性化していた。
悟はノートに「夜間気温低下後、翅の動き確認」と書いた。それから少し考えて、手帳をめくった。
野島の電話番号が目に入った。




