第六話 四十六億年前から話させてください
画面の向こうの小林さんは、相変わらず隙のない無表情で、ホットコーヒーをすすっていた。
「あ、あの……昨日はすみません。データ、見ていただけましたか?」
僕は借りてきた猫のように身を縮めながら尋ねた。
今朝、彼女から届いた『サーバーの件で、内密に話がある』というメール。
てっきり最終的な利用停止宣告だと思って覚悟を決めていたのだが――彼女の口から出たのは、予想外の言葉だった。
「ええ。一通り目は通したわ。それで、星野さん。うちのサーバーをこのまま使いたいなら、あなたが証明しようとしている仮説を、私に論理的に説明しなさい」
「えっ……? それって、つまり……」
「私を納得させられたら、社内決裁を通さず、私の裁量でシステムのリソースを秘密裏に回してあげる。……ほら、早く」
僕は目を丸くしてフリーズした。
なんだ、この急展開は。
昨日まで「用途不明なら電源を落とす」と氷のように冷たく迫っていた人が、急に裏取引を持ちかけてきた。背筋がゾクッとする。正直、気味が悪い。
だが、背に腹は代えられない。
「あ、ありがとうございます……! ええと、どこから話せばいいのか……」
僕は慌てて手元の資料を漁り、しどろもどろに話し始めた。
「あの、まずは四十六億年前の話から……当時の地球は、千度以上のマグマの海に覆われていて、生命なんて存在できない過酷な環境でした」
最初は声が震えていた。
しかし、自分が愛してやまない「生命の起源」について語り進めるうちに、不思議と緊張は消え去っていた。
「その後、地球が冷えて雨が降り、約四十億年前に『海』ができました。ここからが重要なんです。最初の地球には、水や二酸化炭素といった単純な『無機物』しかなかった。でも、生命を形作るには、アミノ酸やタンパク質のような複雑な『有機物』が絶対に必要です」
僕は画面越しの小林さんを、真っ直ぐに見つめていた。
「初期の過酷な地球環境下で、熱や雷、紫外線といった強烈なエネルギーが加わり続けることで、無機物が自然に結びつき、徐々に複雑化していく……これを『化学進化』と呼びます」
「ちょっと待って」
小林さんがスッと身を乗り出した。
怒られるのかと身構えたが、彼女の目は鋭く光っていた。
「つまり当時の地球の『海』は、ランダムな初期データ――つまり無機物に対して、雷や熱といった莫大なエネルギーを何億年もかけ続けたってこと? まるで、何もない空っぽのサーバー環境の中で、自然に『最適解』が組み上がるまで、延々とディープラーニングを回し続けているみたいね」
僕はハッとして息を呑んだ。
「そうです……! まさに、その通りです! 生物学の『化学進化』のプロセスは、プログラミングの自己学習モデルに、驚くほど似ているんです。小林さん、あなたすごいですね!」
思わず身を乗り出して叫ぶと、小林さんは少し気圧されたように目を瞬かせた。
しかしすぐに、ほんのわずかだけ口角を上げ――
「……おもしろそうね。続けて」
と、静かに呟いた。




