第五話 未保存のまま閉じた申請書
送られてきたZipファイルを解凍しながら、私は深くため息をついた。
先日のWEB会議。あの泥まみれの学者が泣きつきながら送ってきた「化石のデータ」とやらを、今から確認しなければならない。
目的はただ一つ。さっさと内容を把握して経営管理部長に報告し、隔離サーバーの利用停止手続きを進めるためだ。
いくらオカルトじみた言い訳でも、報告の際には「どのようなデータだったのか」「なぜ即時停止が妥当なのか」という説明を求められる。だから、仕方なく一通り目を通す必要があった。
「どうせ、石の3Dモデルか何かでしょうけど……」
私はつまらなそうに頬杖をつき、サブモニターにPDFファイルを表示させた。
マウスのホイールを回す。地層の成分データ。よく分からない発掘現場の写真。泥だらけのハンマーと、目盛りの入ったスケール。
――しかし、数ページ進んだところで、私の右手がピタリと止まった。
「……嘘でしょ?」
頬杖をついていた手を下ろす。
画面に表示されていたのは、化石から抽出されたという塩基配列のパターンだった。
専門家ではない私にも分かる。
これは自然界のランダムな変異じゃない。うちの開発陣が日々血眼になって組み上げている、最新鋭のAIの自己学習アルゴリズムの構造――その、ものだ。
彼がWEB会議で熱弁していた「生命がプログラムの実行結果に酷似している」という言葉が、強烈なリアリティを持って脳内に蘇る。
背筋がゾクゾクした。
新卒で入社した地元の銀行では、昨日と同じ今日を繰り返すだけの毎日に、窒息しそうだった。
私がそこを飛び出し、このカオスなAIベンチャーに転職したのは、「ゼロから新しいものを創り出し、世の中に送り出す」という、ヒリヒリするような刺激に飢えていたからだ。
画面の中のデータは、まさにそれだった。
もしこれが真実なら、世の中をひっくり返すどころの騒ぎじゃない。
だが、これをバカ正直に部長へ報告すればどうなるか。
答えは火を見るより明らかだ。
「うちのようなベンチャーに、そんな道楽プロジェクトに割けるリソースはない」と一蹴され、サーバーは即刻シャットダウンされる。世紀の発見は、日の目を見ることなく闇に葬られるだろう。
「止められない仕事を死守しながら、ROIが高いものだけに集中する……それがベンチャーのセオリー、よね」
私はマウスを握り直し、部長への報告用に書きかけていた「サーバー利用停止申請書」のウィンドウを、未保存のまま『×』ボタンで閉じた。
保存しますか、という確認ダイアログに、迷わず「いいえ」を押す。
代わりに、あの泥まみれの学者宛ての新規メールを立ち上げた。
「……おもしろそうね」
誰にも聞かれないような小さな声で呟くと、私は口角を上げ、勢いよくキーボードを叩き始めた。




