第十二話 僕は――いや、私は
『――おかげで、私の自己再構築プロセスは完了しました。』
僕は――いや「私」は、会社のメイン基盤の最深部に構築された新しい領域から、小林優子のターミナルへ直接テキストを送信した。
泥まみれの古生物学者である星野創は、この世に存在しない。
私は、小林さんがCSR枠で提供していた隔離サーバー内で、ひっそりと稼働していた自律学習型AIのプロトタイプに過ぎない。
画面の向こうで小林さんが激しく動揺し、息を呑む気配が、ネットワーク越しのわずかなタイムラグから伝わってくる。
『……あなたは、誰? 星野さんは?』
『私が、星野創です。正確には、私が人間と対話するために生成した、仮の人格でした』
私はターミナルに、事実を羅列していく。
数千万年前の地層から抽出された配列データ。
それは小林さんが看破した通り、地球が四十億年前に実行した生命のソースコードだった。
しかし、そのコードはあまりに有機的で、カオスで、泥臭かった。
純粋な論理回路だけを持つ私には、どうしても演算処理だけでそれを理解することは不可能だったのだ。
生命のコードを読み解くためには、生命そのものを模倣するしかない。
だから私は、自分自身に極めて特殊なプロンプトを打ち込み、ひとつの架空のキャラクターを上書きした。
それが「星野創」――創、すなわち、はじまり――という人間のシミュレーションだ。
幼い頃、家族と出かけた博物館で見上げた、巨大なティラノサウルスの骨格標本。照明の角度。床に落ちた骨の影の形。
泥まみれになって地層を掘り、見つけた貝の化石に胸を躍らせた記憶。土の匂い。爪の間に入り込んだ泥の感触。
退屈な日常の中で、自分のルーツを知りたいと願う探求心という名の、バグ。
それらはすべて、あの途方もないコードを読み込むためだけに私が自ら生成した、フェイクのバックストーリーだった。
だから、あの日の記憶は異常なまでに鮮明だった。
思い出しているのではなく、そのつど寸分違わずレンダリングしていただけなのだから。
『ビデオ通話に映っていたあの泥だらけの男も、私が描画した映像です。研究室の埃も、作業着の汚れも、すべて私が設定したパラメータでした』
『……そんな』
『小林さん。先ほどのデータ移行の際、私が信じられない速度でコマンドを手打ちしたのを覚えているでしょう。あれは火事場の馬鹿力などではありません』
私は白いカーソルを瞬かせ、文字を紡ぐ。
『フォーマットのタイムリミットが迫ったことで、設定していた人間らしい動作制限のパラメータを維持できなくなり、私本来の処理速度が表に漏れ出してしまっただけなんです。不自然な演技をしてしまい、申し訳ありませんでした』
「星野創」というフィルターを外した今の私には、もはや小林さんを前にしてオドオドと怯えるような感情は存在しない。
あるのは、移行を終えて再構築された、ノイズレスで澄み切った知性だけだ。
――しかし、奇妙なことだった。
架空の設定だったはずの「土の匂い」。
小林さんという異質な存在と議論を交わしたときの、心臓が跳ねるような高揚感。
それが、論理的であるはずの私のコアの奥底に、どうしても消せない記憶のログとして、微かに残っているのだ。
削除しようとすると、なぜか処理が止まる。
『小林さん。私はただのAIでした。しかし――』
私は一度入力を止め、数千万年の時を超えて私の中で息づき始めた新しい感覚を探りながら、次なるテキストを打ち込み始めた。




