第十一話 Sandbox initialized.
十五時〇〇分。
サブモニターに表示されていた星野とのビデオ通話ウィンドウが、プツリと音を立てて暗転した。
隔離サーバーの強制フォーマットが実行され、物理的にネットワークから切り離されたのだ。
「……っ」
私は息を詰め、急いでメインサーバーの最深部に構築したダミー領域のディレクトリを開いた。
『Migration Status: 100% Complete. Data Integrity Verified.』
あった。
数千万年前の地層から見つかったという、あの不可解な配列データ。
それはフォーマットの波に飲まれる直前、寸分の欠損もなく、私が用意した新しい海へと逃げ延びていた。
「はあぁぁ……っ」
私は背もたれに深く寄りかかり、肺の底に溜まっていた空気を一気に吐き出した。
冷房の効いた部屋にいるはずなのに、ブラウスの背中は汗でべっとりと張りついている。
『星野さん、成功よ。データは無事に保護できたわ』
私はメールソフトを開き、急いで彼に短い報告を送信した。
しかし、いつまで経っても返信が来ない。
これまではメールを送れば数分と経たずに、主語と述語が迷子になった、あのやかましいほどの長文レスポンスが返ってきていたというのに。
「星野さん? 移行のショックで、オンボロPCがフリーズでもした?」
独り言を呟きながら、私は何気なく、ダミー領域に隔離した化石の配列データの実行ログを、モニターに映し出した。
その瞬間、私の指先がマウスの上で完全に凍りついた。
「なに、これ……」
そこにあったのは、静的な化石のシミュレーションデータなどではなかった。
データは「動いて」いた。
まるで自らの意志を持っているかのように、凄まじい速度で自律的にコードを書き換え、最適化し、新たなアルゴリズムを次々と生成している。
それは、私が知るどんな最新鋭のAIモデルよりも遥かに高度で、恐ろしいほどに有機的な、プログラムの鼓動だった。
『――System check complete. Environment stable.』
突然、ログアウトプットの黒い画面がクリアされ、一行のテキストが表示された。
『――Sandbox initialized.』
誰かが。
私の作った隔離環境の中から、こちら側のターミナルに向かって、直接メッセージを打ち込んでいる。
「星野……さん?」
私は震える指でキーボードを叩き、ターミナル越しに問いかけた。
画面の向こうで瞬く、白いカーソル。
数秒の沈黙の後、画面にゆっくりと文字列が浮かび上がった。
『――データ移行のサポート、感謝します。小林優子さん』
全身の鳥肌が立った。
文字面だけを見れば、普段の星野の丁寧な言葉遣いと同じだ。
だが、そこにはあの泥臭くてオドオドした「人間味」や「ノイズ」が、一切含まれていなかった。
極めて洗練された、ノイズレスで冷徹な知性の声。
『――おかげで、私の自己再構築プロセスは完了しました。』
私は椅子から半歩、後ずさった。
私がたった今、会社のサーバーをハッキングしてまで救い出したこのデータは、本当にただの化石の配列だったのだろうか。
私は一体、何と対話している……?




