第9話:つよしの決意
「……本日をもちまして、つよし先生は『教育者としての品位を著しく欠く』と判断されました。速やかにその職を辞し、生徒・すずの身柄を当委員会へ譲渡することを勧告します」
月曜日の朝、職員室のつよしの机に置かれていたのは、黒い封蝋がなされた不気味な書状だった。それは、異世界の魔術組織――通称**【怪異:影の教育委員会】**からの辞職勧告。すずの持つ驚異的な聴覚「聴凝」を、異世界の兵器として利用しようと目論む連中が、ついに守護者であるつよしの排除に動き出したのだ。
「先生……辞めちゃうんですか? どこか遠くに行っちゃうんですか?」
放課後の部室。事情を知ったすずは、今にも消え入りそうな声で呟いた。いつもは騒がしいほどに真っ直ぐな彼女が、今は折れそうなほど弱々しい。その美貌が悲しみに染まる様は、見る者の胸を締め付ける。
「……すず。これはただの事務手続きだ。心配するな」
「嘘です! 先生の周りから、不吉な『お葬式みたいな音』が聞こえます! 先生がいなくなったら、私はまた、変な声や音に怯えて暮らさなきゃいけないんですか? ……先生がいない世界なんて、静かすぎて、怖いです……っ」
すずの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。絶世の美女が流す涙は、どんな宝石よりも尊く、そして残酷だ。
すずは、つよしのシャツの裾をギュッと握りしめた。
「……先生、行かないで。私、先生がいないと……ダメなんです。先生の説教がないと、私、ただの『中身が空っぽな人形』になっちゃう……!」
「――すず」
つよしは、震える彼女の肩を強く抱き寄せた。鼻血が出る余裕すらないほど、彼の心は決まっていた。
「……勘違いするな。俺が教師を辞めるのはな、お前を守るためだ。教師という枠組みの中じゃあ、ルール違反の連中を叩きのめすのに手枷が多すぎるんだよ」
つよしは、机の奥から一冊の分厚い、年季の入った本を取り出した。それは代々伝わる**禁忌の魔導書(中身は二十年分、延べ数千人の『かつての教え子たちの苦労話』が詰まった生徒名簿)**である。
「いいか、すず。ここで待ってろ。……俺が、あいつらの『歪んだ教育方針』を根底から叩き直してやる」
つよしは、すずの額にそっと唇を寄せた。
「ひゃ……っ!?」
「これは……魔力付与だ。お前の耳が、怖い音を拾わないための呪文だよ。……じゃあな、行ってくる」
すずが真っ赤になってフリーズしている間に、つよしは黒い霧が渦巻く校舎の裏庭へと向かった。
裏庭には、黒い法衣に身を包んだ「影の教育委員会」の刺客たちが待ち構えていた。
『……辞職届は持ってきたか、無能な教師よ。その娘を差し出せば、命だけは助けてやろう……』
「あいにくだが、俺の辞書に『生徒を売る』という文字はない。……あるのは『留年』と『補習』だけだ!」
つよしは禁忌の魔導書(生徒名簿)を力強く開き、天に掲げた。
「これより、貴様らと**【超・地獄の三者面談】**を開始する! 保護者は……俺だ! 生徒は……お前らだ!!」
刺客たちが冷笑し、闇の魔術を放つ。しかし、つよしの開いた名簿から、数千人の卒業生たちの「社会の厳しさ」という名の怨念にも似た覇気が溢れ出した。
「第一問! お前たちの組織の福利厚生はどうなっている! 有給休暇の消化率は! 退職金制度は確立されているのか!!」
『……な、何だ、この精神的重圧は……!?』
「第二問! すずを兵器にするとして、その後のキャリア形成をどう考えている! 人の人生を預かっておいて、計画性がないとは何事だ!! ――反省文を原稿用紙一万枚、今すぐここで書け!!」
つよしの放つ「大人の正論」が、魔術の防壁を次々と打ち砕いていく。
『ギ、ギャアアアア! やめろ! 将来のことを具体的に突きつけられるのは、異世界の住人にとっても苦痛すぎる……!!』
「極め付けだ!! これが、教え子たちが社会に出てから俺に送ってきた、血と涙の年賀状の束だ!! ――受け取れ!!」
つよしが名簿から放った「現実の重み」という名の光が、刺客たちを飲み込んだ。
『……無理ダ。……教師、怖イ。……コノ男、説教だけで世界を滅ぼせる……!!』
影の教育委員会は、あまりの「教育的熱意(物理)」に耐えかね、霧散していった。
静寂が戻った裏庭に、パタパタと足音が響く。
「つよし先生!!」
すずが、つよしの背中に全力でダイブした。
「……うおっ!? すず、危ないだろ!」
「先生……先生! かっこよかったです! 遠くからでも、先生の声が一番大きく聞こえました! 『お前の保護者は俺だ』って言ったところ、スマホの着信音にしたいです!」
すずは、つよしの首に腕を回し、その胸に顔を埋めてスリスリと甘えた。
「先生……本当に行かないんですね? 私のこと、ずっと守ってくれるんですね?」
「……ああ。教師は辞めたが、お前の『専属教育係』は辞めるつもりはない。……覚悟しておけよ」
つよしは、腕の中のすずの温もりを感じながら、ようやく深く息を吐いた。……が、ふと我に返る。
「……待て。俺、勢いで辞職願出しちゃったけど、明日から無職か……?」
「大丈夫ですよ、先生! 私の家、お部屋余ってますし! お姉ちゃんも『先生が主夫になってくれるなら大歓迎!』って言ってましたから!」
「……主夫……。それはそれで、社会的に死ぬな……」
すずは、持ち前の無駄に美しい笑顔で、つよしの手を引いた。
「ほら、先生! 祝杯にあんみつ食べに行きましょう! 私のお小遣いでおごってあげます、ダーリン!」
「誰がダーリンだ! ……あと、お姉さんに変な報告はするなよ、絶対だぞ!!」
二人の賑やかな声が、夕暮れの空に溶けていく。
最大最強の敵を退けたのは、魔術でも奇跡でもなく、一人の不器用な教師の、一人の「無駄美人」への、深すぎる愛(と正論)だった。
いよいよ次は最終回。第10話:さよなら、境界線。
果たして、二人の「境界線」は、どのような結末を迎えるのでしょうか。




