第4話:お姉様と呪いのカメラ
放課後の部室。つよしが古い民俗学の文献に没頭していると、ドアが凄まじい勢いで蹴破られた。その衝撃で、つよしの眼鏡が鼻の頭までずり落ちる。
「つよしせんせーーーい! 事件です! お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……カメラに吸い込まれて、二次元の住人にされちゃいます!」
飛び込んできたすずは、いつも以上に髪を振り乱していた。しかし、パニックで涙目のその姿すら、完璧に配置されたパーツが織りなす「美の暴力」によって、まるで悲劇の舞台のワンシーンのように美しい。
「……すず。落ち着け。お前の姉さんはモデルだろう。カメラに収まるのが仕事じゃないのか」
「違うんです! 今日のカメラ、シャッターを切るたびに『……ヒヒッ、……極上の魂、いただき……』って、ネチャついた声で笑ってるんです! 私の耳が、お姉ちゃんの魂が削れる嫌な音を拾っちゃったんです!」
つよしは眼鏡を指で押し上げた。すずの「耳」がそう捉えたのなら、それはただの機材トラブルではない。
そして、すずの姉・千歳は、つよしが全細胞を挙げて崇拝し、同時にすずとの奇妙な縁を繋いでいる憧れの女性だ。
「撮影現場はどこだ」
「隣町の古い洋館です! 早くしないと、お姉ちゃんが一生、現像液の中で暮らすことになっちゃいます!」
「……行くぞ。俺のジャージのポケットには、今朝補充したばかりの清め塩と、千歳さんのブロマイド(守護用)がある」
現場の洋館に到着すると、そこには肌を刺すような緊張感が漂っていた。
スタジオのスタッフたちは、何かに操られたように虚ろな目で機材を動かしている。その中心で、一際輝くスポットライトを浴びてポーズをとっているのが、すずの姉・千歳だった。
「あら……つよし先生。すずと一緒に、どうしたんですか?」
千歳がこちらを向いて微笑む。その瞬間、つよしの視界には桜が舞い、背景に豪華なエフェクトが差した。
(女神だ……。今日も今日とて、銀河系を統べる美しさだ……)
あまりの神々しさと、異界の魔力が混ざり合った空間に当てられ、つよしの鼻腔からスッと熱い液体が伝い落ちる。
「せ、先生! 鼻血! お姉ちゃんの神々しさに、煩悩が物理的に決壊してますよ!」
「だ、黙れ。これは……気圧の急激な変化だ。それより、あのカメラを見ろ」
つよしの視線の先、三脚に据えられたアンティーク調の大型カメラが、ドクンドクンと生き物のように脈動していた。レンズの奥には、千歳の美しさを喰らおうと蠢く、どす黒い怨念が渦巻いている。
「あれは『魂喰らいの写し鏡』……。被写体の美しさが頂点に達した瞬間、その魂ごとフィルムに焼き付ける呪物だ。撮られたが最後、千歳さんは永遠に静止画の中だ」
スタッフがシャッターを切ろうとしたその時、すずがつよしの腕に縋り付いた。
「先生、嫌です! お姉ちゃんがいなくなるのも、先生が悲しむのも、私、耐えられません!」
すずの温かい体温と、必死な眼差しがつよしの背中を押した。
「……やれやれ。千歳さんに指一本触れさせるかよ。そして、お前を泣かせるような真似もさせない」
つよしは鼻にティッシュを詰め込んだまま、一歩前に踏み出した。彼はジャージのポケットから、血のように赤い封蝋がなされた古い巻物を取り出した。
それは彼の家系に伝わる、理性を代償に発動する**禁忌の魔術「強制・三者面談」**の術式である。
「いいか、カメラ。お前が千歳さんを撮りたい気持ちは痛いほど分かる。俺だって、今すぐシャッターを連打してメモリーカードをパンクさせ、その画像で埋め尽くされた部屋で一生を終えたい。だがな……!」
つよしが巻物を広げると、周囲の空気が凍りついた。
「肖像権の侵害、および魂の無断取得は、全宇宙の倫理規定に抵触する! 撮影するなら、まずはこの俺……千歳さんの将来の夫(候補・自称)であるこの俺を通してからにしろ!」
「先生、どさくさに紛れて何て告白を! しかも鼻血出したままなのに、無駄に格好いいのが腹立ちます!」
つよしの背後に、巨大な「教育者の幻影」が浮かび上がる。
「禁忌解除! 法的・倫理的包囲網、展開! ――お前、この写真を撮った後、現像代はどうするつもりだ! 経費で落ちると思っているのか! 確定申告の恐ろしさを、そのレンズに刻んでやる!!」
あまりにも世俗的、かつ理不尽な正論の波動がカメラを直撃する。
呪いのカメラは、そのあまりの「大人の現実」の重みに耐えかねたのか、『ギャアアア! 税務署だけは、税務署だけは勘弁してえええ!』という断末魔(すずにしか聞こえない)を上げて、レンズが粉々に砕け散った。
一瞬の静寂。
憑き物が落ちたようにスタッフたちが我に返り、洋館を支配していた暗雲が晴れていく。
「あらあら……。カメラが壊れちゃったのかしら。残念ね、つよし先生にかっこいいところを撮ってもらおうと思ったのに」
千歳が不思議そうに首を傾げる。その仕草一つで、つよしの鼻血は第二波を迎えた。
「い、いえ……。千歳さんは、どんなレンズを通さなくても、常に俺の網膜に焼き付いていますから……」
「まあ、先生ったらお上手。ふふっ、ありがとうございます。……あ、ティッシュ、替えたほうがいいですよ?」
千歳は楽しそうに笑い、つよしの肩にそっと手を置いた。その瞬間、つよしの魂は天に昇りかけた。
「やったね、先生! お姉ちゃんを救った英雄ですよ! ……でも、先生」
すずが、つよしのジャージの裾をクイクイと引っ張った。
「私のことも、網膜に焼き付けてくれてますか? お姉ちゃんばっかり見てたら、私、また耳から変な音を出しちゃいますよ?」
すずが、上目遣いでつよしを見つめる。その瞳には、怪異への恐怖ではない、少しの嫉妬と、溢れんばかりの期待が込められていた。
「……お前は、焼き付けるまでもなく、毎日俺の視界をバタバタと横切っていくだろうが」
つよしは照れ隠しにすずの頭を乱暴に撫でた。
「えへへ、それって『ずっと見てる』ってことですよね! 先生、大好き!」
「……声が大きい、バカ!」
つよしは鼻のティッシュを替えながら、沈みゆく夕陽を見つめた。
恋する男は、禁忌の魔術すら使いこなす。たとえそれが、美しすぎる姉妹に翻弄され、鼻血を出し続ける日々だとしても。
「……さて。カメラの修理代、俺の給料三ヶ月分で足りるかな……」
つよしの胃痛と鼻血の原因は、どうやらこれからも尽きそうになかった。
背後では、すずが「先生、お礼に私がお姉ちゃんの寝顔を隠し撮りして……」と、再び倫理観の欠片もない提案を叫び続けていた。




