第2話:告白は霧の中に
朝の教室は、一瞬にしてピンク色のパニックに陥った。
窓際の席で、すずが彫刻のような美貌を真っ赤に染め上げ、手にした手紙を抱きしめてプルプルと震えていたからだ。
「……つ、ついに。ついに来ちゃいました! 私の人生の、第一巻・第一章が幕を開けました!!」
すずの叫びが校舎に響き渡る。彼女が握りしめているのは、淡い紫色の封筒。そこには金色の封蝋が施され、この世のものとは思えないほど甘く、官能的な香りが漂っていた。
「ど、どうしたのすずちゃん。宝くじでも当たった?」
クラスメイトが遠巻きに眺める中、すずは鼻の穴を膨らませて立ち上がった。
「違います! ラブレターです! 見てください、この気品溢れる装飾! 読めない古代文字! これこそが、私が夢にまで見た『運命の王子様』からの招待状に違いありません!」
「いや、読めない時点で怪文書じゃないかな……」という友人の冷静なツッコミは、今のすずには一ミリも届かない。
彼女の脳内では、すでに白馬に跨った王子様と自分が、夕陽の砂浜をスローモーションで追いかけっこする映像が4K画質で再生されていた。恋愛偏差値が測定不能(下限突破)な彼女にとって、「手紙をもらう=一生添い遂げる」という極論の方程式が完成していたのである。
しかし、すずが震える指でその封を切った瞬間。
彼女の「無駄に良い耳」が、時空を突き抜けるような重低音をキャッチした。
『――見つけたぞ、我が運命の伴侶よ。我は異世界の第一王子、アルフレート。そなたのその神々しき美しさを、我が宮廷の宝石として迎え入れよう。……今すぐ、我の腕の中へ来い――』
「ひゃわわわわっ!? 王子様が、王子様が今、私の脳内に直接『抱きしめたい』って囁きました!! 先生、どうしましょう! 私、まだ心の準備が、お嫁に行く準備ができてません!!」
叫ぶと同時に、封筒の中から真珠のような白い霧が溢れ出した。霧は意志を持っているかのように、すずの細い腰を優しく、しかし強引に絡め取り、彼女を異次元へと引きずり込もうとする。
「ちょっと! 王子様、展開が早すぎます! せめて連絡先の交換から……ああっ、身体が浮いちゃう!!」
その時。
「……おい。朝から教室で一人空中浮遊の練習をするなと言っただろう、すず」
ガラリと扉を開けて現れたのは、手に進路指導の資料を抱えたつよしだった。
彼は一瞬で教室の異常な魔力指数を察知すると、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「つ、つよし先生! 助けてください! 告白されたと思ったら、そのままハネムーンに強制連行されそうなんです!!」
「……やれやれ。うちの生徒を無断で連れ去ろうなんて、どこのどいつだ」
つよしは迷わず、霧に包まれたすずの元へ歩み寄った。霊能力はない。だが、彼には教師としての「正論」と、すずを誰にも渡したくないという、無自覚な独占欲……もとい、保護者責任がある。
つよしは、すずの腰を抱き寄せる霧の中に、強引に自分の腕を割り込ませた。
「おい、そこの見えない王子。……これは、緊急の三者面談だ。まずはツラを拝ませろ」
つよしが虚空を睨みつけると、霧が凝縮し、教室の真ん中に傲慢な美青年――異世界の王子のホログラムが現れた。
『フン、卑俗な男め。その娘は我が妃となる運命なのだ。邪魔をするな』
「妃? ……笑わせるな。お前、この娘の何を知っている。こいつはな、黙っていれば絶世の美人だが、口を開けば支離滅裂、朝は低血圧で機嫌が悪いし、あんみつを食わせないとすぐに拗ねる。お前のような計画性のない男に、この『手のかかる最高傑作』が扱えると思っているのか?」
つよしは、すずの肩を抱き寄せ、自分の胸に強く引き寄せた。
「ひゃあ……っ! 先生、顔が近いです……! 先生の匂いがして、王子様の声が聞こえなくなっちゃう……!」
「……静かにしてろ。いいか王子、こいつを連れて行きたいなら、まずは婚姻届の前に『転校手続き』と『両親への挨拶』、そして何より、この担任である俺を納得させるだけの誠意を見せろ。……とりあえず、今すぐ履歴書を書いてこい」
『なっ……この男、何という威圧感だ。……さては貴様、この娘の婚約者か……!?』
「……そんなところだ。だから、とっとと消えろ!」
つよしはポケットから、清め塩をこれでもかと塗り込んだ「未提出課題の督促状」を取り出した。
「教育的指導! 段階を踏まない求愛は、ただのストーカー行為だ!! ――帰れ、この世間知らず!!」
つよしが督促状を王子の顔面に叩きつけた瞬間、そこに宿った「現実の重み」が魔力を粉砕した。
王子は『おのれ……覚えていろ……!』という捨て台詞と共に、霧の中に消えていった。
静まり返る教室。
残されたのは、つよしの胸に顔を埋めたまま、耳まで真っ赤にしてショートしているすずと、肩で息をするつよしだけだった。
「……ふぅ。全く、最近の異世界はコンプライアンスがなってない。……おい、すず。もう大丈夫だ。離れろ」
「……む、無理です。離れられません。……先生が、さっき『婚約者』って言ったの、私の耳がはっきり拾っちゃいました……。これ、どういう責任取ってくれるんですか?」
すずが潤んだ瞳で見上げると、つよしは一瞬で顔を真っ赤にした。
「……それは、あいつを追い払うためのハッタリだ! 深読みするな!」
「嫌です! 私、もう王子様のことなんて忘れちゃいました! 先生、今の言葉、もう一回……今度はハッタリじゃなくて、本気で言ってくれたら、私、次のテストで赤点回避できる気がします!」
「……調子に乗るな、無駄美人。お前は黙って机に向かってろ。……その代わり、放課後、残ったら……その、あんみつくらいは奢ってやる」
「……っ!! はい! 先生、大好きです!!」
すずは満面の笑みでつよしに抱きつこうとしたが、つよしは出席簿で彼女の額を優しく押し返した。
「廊下を走るな、教室で抱きつくな。……全く、お前は……」
つよしは呆れ顔で教卓に戻ったが、その耳たぶは隠しようもなく赤くなっていた。
窓の外には、春の暢気な青空が広がっている。
無駄美人と苦労性教師の、境界線を巡る「恋の予習」は、まだまだ始まったばかりだった。




