2-10
べヤードは、ものすごく、くだらないことに付き合わされていた、と言いたそうな表情をむき出しにした。
(はう、ごめんなさい……!)
と謝りたくなったけど、こんなところで一人にされたら耐えきれないと思って、リサは一生懸命、首を振る。
「最後まで付き合えってか? 大体、そもそもそいつの問題じゃねえか。人に渡したんだ。だったら無くされたってしょうがないだろ」
いろいろと正論すぎるツッコミに対して、リサはどう答えようかと迷った。確かに言われてみれば、その通りのような気もする。
べヤードが、
「はあ、まじか」
とため息をつきながら、本気で帰ろうか考えていると、管理室のドアがガチャっと開き、人が出てきた。べヤードはその人物を見るなり、
「ゲッ」
と声を上げた。
(そんなにヤバい人が来たのかな)
と思ったら、生徒指導の先生だった。リサも一度入学式かどこかで見たことがある。体格がいい、髭の生えた先生だ。アリーチェ退学騒動で反省文を書かされた時に、べヤードは一度お世話になったらしい。
「べヤード君、どうした?」
と、野太い声で気さくに呼びかける。先生は、べヤードの隣に微妙な距離を空けて立っているリサを見つけると、少し驚いた様子を見せた。
「おや、入学希望の子かな?」
と小さい子に接するような優しい感じで訊いた。
(え、どうして——)
リサは訂正しようとする。
「私、ここの生徒です!」
「おう、そうだったか。こんなところでどうしたのかな? 何か困ったこととかあった?」
生徒だと訂正したはずなのに、先生の接し方は変わらない。
(あれ、聞こえていない……?)
と思っていると、べヤードが口出しした。
「こい……リサさんが、人から頼まれた手紙を盗まれたって言ってます」
「……あれ、でも……」
盗まれたってわけじゃないかもしれないのに、と思って、リサが言いかけると、
「そういうことにしとけ」
とべヤードに耳打ちされる。
「ええ……?」
リサは困惑した。生徒のやりとりを見ていた先生は、
「ひとまず、探しておこうか?」
と明るい調子で申し出てくれた。親切な先生だ。
「あ、ありがとうございます」
リサはホッとした気分になった。手伝うと言ってくれるだけでも、なんだか救われた気がする。
「どうってことないさ」
先生は軽く受け流した後、べヤードをじっと見た。
「べヤード君が犯人だったりしないだろうな」
「は? なんでっすか」
「目つきが悪いからさ。ハハっ冗談冗談」
先生は一人だけ笑った後、相手の容姿や封筒の色などを聞き、
「もしかしたら、3年のあいつか……? わからんが、見つけたら連絡しよう」
と言った。それから雨が降っているからと、親切に傘を一本貸してくれた。
リサは、お礼をもう一度述べて校舎の出入り口まで歩く。何故かその間、二人とも黙ったままで、手紙をなくした罪悪感から少し解放されたリサは、余計に気まずさを感じるのだった。
曇り空でも外は明るい。出入り口に立つと、眩しさを感じた。
雨が本格的に降って、雨音も強くなっている。
借りた傘は一本しかない。
(あれ、どうするんだろう)
ふと思って、リサはドキリとした。べヤードを横目に見ると、
「これで十分?」
と、訊かれた。
「うん……」
「じゃあ」
ベヤードは、そのまま外に出ようとした。
「あ、濡れちゃうよ」
「別に」
雨の中を走っていく。リサは一人になって、呆然と立ち尽くした。
「うう……」
恥ずかしさを隠すために、傘を広げ、一歩踏み出す。
どうして一瞬でも、相合傘のことを考えちゃったのか。
カップルでもない男女が相傘というのもおかしな話だし、べヤードの行動は正解なのだろう。
でも、ちょっとだけ。
一人で置いて行かれて、寂しいなんて、思ってしまった。
雨足はどんどん強くなっていく。
風も加わり、打ち付ける雨だれによって、リサの足元はずぶ濡れになってしまった。
(わあ、夕立かも)
急いでいつもの校舎に入ると、外の雨音がさらに激しくなる。
「うう、お手紙……」
と未練がましく呟きながら、バックに入っている教科書が濡れていないか確認する。
「大丈夫、そうかな」
傘のおかげでなんとか無事だったらしい。
夕立ならすぐに止むだろうし、ここで待っていようと思って、リサは近くの椅子にちょこんと座った。それから靴を脱ぎ、素足をぶらぶらさせながら、今日のことをぼんやりと思い返す。
意外と優しくしてくれたべヤード君。でも、なんであんなに見返したいなんて思うんだろう。
人って色々なんだなあと感じる。そしてきっと、その「いろいろ」の中に自分も入っているのかなと思う。世界は広い。
学校から出た宿題をしようかと思ったけれど、そんな気にもなれず、ぼんやりと雨の音を聴く。リサの見立ては当たっていた。しばらくすると、明るい日差しが舞い降り、雨の音が止まった。
日を見ると、心なしか、リサの気持ちも明るくなる。
(そうだ、待つことも時には大切かも。つらいことがあっても、あんまり気にしないで通り過ぎるのを待っていたら、もっと晴れる日が来るよね——)
太陽はいつも輝いている。その輝きに、リサは希望を見つけた気がした。
友情も、ホームシックも、悩みも、きっといずれ良くなっていくって信じたかった。信じようと思った。すると、なぜだか胸がぽかぽかと暖かくなってきて、なんの根拠もないけれど、「手紙は見つかる」と思えた。
濡れた靴を躊躇いながら履き直して、立ち上がる。
少し歩くと、本当にさっきのぶつかった男性を見つけた。
「あっ」
リサは声をあげる。その声に反応して、相手もハッと気づいた。
「あの、ごめん、これ……」
と相手が言って差し出したのは、間違えるはずがない、あの手紙だった。
「ぶつかった拍子に落ちちゃったみたいで。君の、だよね?」
「あ、ありがとうございます」
ドキマギしながら受け取る。受け取る時に指先が触れて、リサはぴくりと反応した。
(あわわ、触れちゃった)
男性過敏症になっているリサはうつむきがちに相手の男性を見ていると、見覚えがあることに気がついた。
「あれ、もしかして、ブルキオさん……?」
そうだ、この間カフェテリアにいた時に、遠目で見た人だ。まさかこんなところで出会うなんて、とリサは意外に思った。
知らない女の子から名前を言われて、ブルキオは動揺した。
「え、僕のこと知ってるんですか」
「えっと、セルビアちゃんから」
「ああ、お友達なんだね」
「そう、なんです」
ブルキオは合点がいくと、胸を撫で下ろす仕草をした。初対面で緊張しているのは同じらしい。しっかりした応答が得意ではないリサは、ブルキオの姿に、なんだか親近感が湧いてくる。
なんとか話を続けようと、うわずった声でブルキオが聴く。
「じゃあ、一年生?」
「はい、そうです」
「そっか……あ、セルビアにも、よろしく言っといて」
「はいっ」
「封筒のこと、ごめんね?」
「いや、そんな……」
と短い応対を繰り返したあと、
「じゃあ僕はこれで」
となし崩し的にブルキオは立ち去った。
リサは戻ってきた手紙の質感を確かめながら、
(すんごい良い人だー!)
と確信した。
セルビアから聞いていた事前情報が強烈すぎて、一体どんな変わった人なんだろうと思っていたら、案外、気の優しい草食系男子だった。
「百聞は一見にしかず」とは、このことを言うのかもしれない。というより、あまりにも想像と違いすぎて、
(セルビアちゃんって、誇張する癖があるのかなあ)
と、心配になり始めた。でもそれは多分、セルビアに限った話ではないはずで、一度こうと決めたら、その色眼鏡で人を見てしまう面は誰にだって多少あるものかもしれない。
とにかく、念願の手紙が戻ってきて、安堵に満たされていくのをリサは感じた。セルビアの悪印象の理由は、初対面でどんな話をすれば分からず、自分の趣味(馬)の話をしてセルビアをしらけさせた、ということだったのかも、とイメージができた。
きっとアリーチェも喜んで受け取ってくれるはずだ。ひょっとしたら、仲直りのきっかけになるかも。そうなったらいいなと期待に胸を膨らませながら、校舎を出る。
雨上がりの太陽に、植物がキラキラと輝く。心地よい風が吹き抜け、気持ちを明るくさせる。
(いけるかも)
という思いが、リサの心で花開く。私だって、本当はアリーチェと仲良くしたいのだ。アリーチェだって、その気持ちをわかってくれるはずだ。
女子寮に戻って、アリーチェの部屋の前に立つと、リサは一呼吸を入れる。
「ふー、よぉし」
ドアをノックすると、すぐに開いた。
「はい、どちら様——あら、リサちゃん!」
ヨヴェッタが驚いた様子で出てくる。
「どうしたんですかぁ?」
「あの、アリーチェちゃんはいる……?」
「尋ねてきてくれたんですか!?」
ヨヴェッタの表情が、ぱあっと明るくなったので、アリーチェがそこまで自分を待っていてくれたのかと、リサは錯覚した。
「わぁ、とっても嬉しいですぅ。でもザンネーン、お嬢様はあいにく、外出中なんですよ」
「そうなの?」
いない、とわかって、リサは肩の力を抜く。さっきあんなに勇気を出してノックした意味はなんだったんだろう。ホッとしたような、ガッカリしたような。
そんなリサの気落ちを察知したのか、ヨヴェッタはすまなさそうに言った。
「ごめんなさいね、何か大事なご用があったかのしれないのに」
「あの、これ……」
リサが手渡すと、ヨヴェッタは不思議そうに小首を傾げる。
「お手紙?」
「グリンスさんっていう人から預かって……アリーチェに、って」
と説明すると、ヨヴェッタは快く受け取ってくれた。ヨヴェッタの明るさが、今の自分と無関係のものに思えた。
(私は何を期待してたんだろう)
アリーチェがその場にいたら、仲直りできていたのか。それともいなくてよかったのか。自分がどちらを望んでいたのかさえ、わからなくなってきた。手紙を無事に渡せて、嬉しくなっていいはずなのに、何故だか気持ちがモヤモヤしてくる。
「リサちゃん、お嬢様がお戻りになられるまで、ここにいらっしゃいませんか?美味しいお菓子もあるんですよ〜」
「いえ、大丈夫です……」
甘いものに目がないはずのリサが、珍しく断る。そして、トボトボと帰路に着いた。




