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庭園は幾何学模様に道や並木が作られ、中央には人口の水路がある。
花壇にはチューリップや季節の花が咲いていて、リサは「あ、お花だ〜」と蝶のように引きよせられそうになったが、我慢した。
「あ、あそこ」
リサが指差した校舎は、庭園の先にあるレンガ門の先にある太い角柱の建物だった。
灰色のがっしりした、三階建ての建造物だ。
「あそこって、2年生になったら、みんな入るんだよね」
王子様がいるかもと思うと、無くしものを探しているのにも関わらず、胸が高鳴ってしまう。
同じ学校にいるのにも関わらず、全然見つけられていないけど、もしかしたら、ここにいるのかもしれない。
しかし、べヤードの反応はつれなかった。
「お前は入らねえだろ?」
「え、なんで」
「は? ……軍人になるのか?」
「ふえ!?」
驚きのあまり、間の抜けた叫びが響いた。
リサはぶんぶん激しく首を振って否定する。軍人だなんてとんでもない。本人も他の人もびっくりだ。
その様子を見て、呆れながら教えてくれた。
「あれは軍のエリート——指揮官とか、騎馬兵を養成するための校舎だよ。女の入るところじゃねえ。ま、いてもショーカっていう尼とその連れぐらいじゃ? ……お前、何にも知らなかったんだな」
リサの耳がみるみる赤くなっていく。そんな言い方しなくてもいいのに、とアリーチェとはまた別種のストレートな物言いに、胸に刺さるものがあった。
ダーネス学園に入ってくる男性は、次男、三男が多い。長男は家督と財産を相続するが、次男以降は自分で自分の道を切り開かなければいけない。そして現代風に言うならば就職先の一つが軍人である。
この頑丈は石造りの要塞も、現場の雰囲気に慣れさせるため、また、演習も兼ねている。
ちなみに、本格的な演習は、夏の初めに遠征に行き、王の上部軍に混ざってお勉強をするらしい。いずれにせよ、リサの生きているところとは、全く違う世界だ。
「うう……そうだったんだ」
今まで、なんだかすごくゴツゴツした。建物だなあぐらいにしか思っていなかったけれど、そんなに大事な場所だったんだ!と畏怖の目を注いだ。中に入ったら男性がうじゃうじゃいるのかあと思うと、リサは途端に気が引けてきた。
校舎の前に立つ。遠くで馬のいななきが聞こえる。匂いもする。騎士を育てるとべヤードが言っていたから、馬も飼っているのだろう。きっと王子様が乗るための白い馬もあるかもと、根拠のないことを想像してときめいていると、ちょうど、校舎から人が出てきた。
短い黒髪で、切れ長の目に、焦茶色の虹彩が反射している。スラリとしていて、服装にも清潔感があって、リサ的にはイケメンの部類に入る。
「すみません」
べヤードが機敏に話しかけた。それから、「お前が話せよ」と目配せするが、リサはいきなり話さなくてはいけない状況になって、上がってしまった。
「えっと、あの……」
「なんでしょうか」
「ええっと、手紙を……ううん、あの、身長の……」
「背が高くて、黄色いジャケットを着た? 奴をこいつが探しているっていうんだけど、みなかったっすか」
黙って待つことができなくて、結局べヤードは口を挟んだ。リサはむしろ、言ってもらえてホッとした。
しかも、その説明がとても簡潔に感じられて、自分にはとても真似ができないように思えた。相手は鏡のような瞳でリサを観察すると、落ち着いた声で、
「さあ、私にはわかりかねます」
と答えた。彼の瞳と目が合った瞬間、リサは心臓のすくむ思いがした。感情を写し出さず、何かを見通してくる目——。リサはどこかで、それを感じたことがあった。でも、それがいつのことで、誰にそうされたのかは思い出せない。
美青年がいなくなると、出し抜けに、
「あれはただの従者だよな」
とべヤード入った。リサは我に返る。いいところの貴族の人だと思っていたから、意外に思って聞き返した。
「そうなの?」
「左胸に、なんの印もなかっただろ? 貴族なら、あそこに自分の紋章をつけてる。——あいつ、服もちだか荷物持ち高知らねえけどよ、俺はあんなふうにならないからな」
誰も、何も言っていないのに、べヤードは嫌悪感をむき出しにしてそう吐き捨てた。アリーチェとはまた別種の、男らしいプライドが、彼をそのように突き動かすらしい。
「あんな風って……」
非難めいていうと、言い返された。
「だってそうだろ。生まれがいいからってだけで、中身は腐っているのに威張っている奴らに、一生ペコペコし続けないといけないんだぞ。そんな人生の何がいいんだよ。だから俺はこうやって目指してんだ」
「……軍人になるってこと?」
「ああそうだ。地元から徴集されれば一生、兵士、よくて小隊長で終わりだけどな。ここで卒業して指揮官になれば、俺を見下していた『お偉い奴ら』を顎で支える。ここにきた奴らとも対等ってわけだ」
「……」
リサは、なんと言ったらいいかわからなかった。けれども、特に共感を求められていたわけではなさそうで、「実は狼のような闘志、持ってます」という自分語りを終えて満足そうにしていた。
でも、その野望の裏には、今までの苦労が見えた気がした。
身分のない人が頭角を表そうとした場合、大まかにふたつの道がある。王立学園に入って専門職に就くか、軍隊に入って自分の実力を試すかだ。
王立学園は身分の上下なく、優秀であれば誰でも入学できるとされてはいるものの、読み書きができることがそもそもの前提となっているので、実質上、貴族階級の子息が大半を占める。しかも、優秀であっても、誰か裕福で、社交界に顔出しできる人がパトロンとなって、費用を捻出したりコネを使って推薦しない限り、何処の馬の骨かもわからない人が入学するのは難しい。そのような状況で入ってきたべヤードに比べれば、リサはとても恵まれている方なのだろう。
けれど、そんな細かい社会の現実を漠然としか知らないリサは、べヤードの言葉に殺伐としたものを感じ取って、気後れした。
一方的に批判されているさっきの人が可哀想だと思った。
出し抜けに、
「お前……名前、なんだっけ」
ずっとお前呼ばわりするのも気が引けたのか、べヤードは、そう訊いてきた。
「リサ、です。あの、ノーヴ家のドリレウムから……」
名前の後にモゴモゴ説明を付け加えたが、「リサ」以外の単語は、べヤードの耳には入っていないようだった。
「ふーん」
薄い反応の後、べヤードは突然歩き出し、リサは慌ててついていく。本人にとっては普通なのかもしれないが、リサは、自分に興味がないと言われているように聞こえて、それだったらなんで聞いてきたんだろうと思ってしまった。
ともかく、彼が、我が道をゆくタイプなのは、間違いなさそうだ。
要塞の中は、石特有のひんやりとした空気が広がっていた。練習用の武器が壁にかけられていたりして、他の校舎にはない緊張感がある。
べヤードとリサとの間には、微妙な距離があった。
(誰かに見られたらどうしよう——)
普通の女の子が入るような場所ではないはずだ。リサは手紙よりもそっちの方に意識が向いて、周囲を注意深く見渡す。
真ん中は採光のために、中庭となっている。そこに視線を移すと、雨がぽつりぽつりと降り始めているのが見えた。
「その頼まれた手紙ってさ、何が書いてるんだ?」
ふと気になったらしく、べヤードはまた突然話しかけてくる。リサはビクッと震えた後、自身のない様子を見せながら、
「えっと、多分、ラブレター、かな……?」
「——帰っていいか?」
べヤードの返事は早かった。




