2-7
次の日、リサは気まずい思いで教室に入った。
(叫んじゃって、悪かったかな。やっぱり謝ったほうが、いいよね……?)
とは思うのだけれど、なかなか行動に移せる勇気が出てきそうにない。
(でも、謝りたい)
リサはそう思っていた。レレムは気持ちが落ち着くまで、相手も待ってくれるとは言ってくれたけど、謝らない限り、気まずさはなくならないということを、経験から知っていた。お姉ちゃんやお母さんと喧嘩した時だって、「ごめんね」と言えるまでは、ずっと気まずいまま家の中で暮らさないといけなかったのだ。リサはその記憶がほんのりと蘇ってきて、懐かしさと共に、胸がちょっぴり痛くなった。
アリーチェは、教室にいないようだった。その事実にほっとしてしまう自分がいる。きっと、心の準備ができていないからだろう。
(休んじゃっていないかな)
リサは不安になった。もし自分のせいで休んでしまっていたら心苦しいし、ずっと気まずい気持ちのまま一日を送らないといけなくなる。
「何かあったら私が対処しますから、心配しなくても大丈夫ですよ」
とレレムは言ってくれたけど、どうだろう。たまたま違う用事が入ってしまって、レレムはこの場にはいない。もし謝るとしたら、自分の意思で、自分で声をかけて、しなくてはいけない。
考え込んでいると、扉が入ってくるアリーチェと、目が合った。
「あ……」
リサは話そうと思った。でも声が出てこない。いつもみたいに話しかけられたら、すぐに謝ろう——と思った。でもそれが良くなかったのだろうか。アリーチェはリサと視線が合いそうになると、さっとそらして、自分の席に座ってしまった。
リサもつられて、うつむいてしまう。
(どうしよう。傷つけちゃったかな。悪いことしちゃったかな。今行ったほうが——でも、教室だと目立っちゃう?)
悩んでいるうちに、授業が始まってしまった。
何度も何度も罪悪感に襲われているうちに、リサは自分の方から謝らないとすまないような気がした。
お昼の時間になって、
(今度こそ——)
と意気込む。授業終了の合図とともに、急いで教材をしまって、鞄を持つ。パッと後ろを見ると、アリーチェはもう出ていった後だった。
(避けられてる?)
慌てて教室を出ると、周りを見渡す。人はたくさんいたはずなのに、リサはある一人に目が留まり、思わず心臓が高鳴ってしまった。
——王子様。
後ろ姿しか見えないけど、そうに違いない。新入生歓迎パーティー以来、ずっと出会える機械をうかがっていた。と言っても、一度も目撃しなかったけど。
憧れの王子様を追いかけるか、アリーチェを追いかけるか——リサは今まさに、人生の帰路に立たされている。
迷っていたら、どちらも選べない。リサは本能的に決断した。
すぐに追いかけたが、人混みにまぎれて、見失ってしまった。
「あ、あれ?」
茫然と立ち止まって、迷子のように左右を見る。
「リサちゃん? 何してるの?」
声をかけたのは、食堂へと向かう最中のセルビアだった。
「えっと、王子様、いないかなって……」
リサは自分で言って恥ずかしくなってくる。会えたところで何を話せばいいんだろう。この前のお礼? 覚えていないかもしれないのに?
(あーもう、あたしの馬鹿)
リサは自分の頭を叩きたくなった。
「どこかにいらっしゃるの?」
「さっき見かけた気がするの。でも……気のせいだったかな。うん、そうみたい」
リサはそう思うことにした。
セルビアのいいところは、からかいもせずに心から共感してくれることだ。
「いいえ、きっとリサちゃんが見つけたならそうよ。何故って、リサちゃんの大切な人だもの!」
「そうかな……」
見つけたのはリサのはずなのに、自信が出てこない。それでもセルビアと話していると安らぎにも似たものを感じた。
「セルビアちゃん、一緒にお昼食べよ」
「アリーチェさんは?」
「今日は、いいかなって……」
後ろめたさに駆られつつ、曖昧な表情を浮かべる。仲がうまく行っていないことがセルビアもわかったらしく、セルビアは察した様子を示した。
リサは思い切って、アリーチェとの間で起こった事件や、最近の悩みを打ち明けた。すると、意外な反応が返ってきた。
「そこまでたくさん言われたのに、それでも自分が悪かったかもって、リサちゃん、優しすぎるわ」
「そうかな」
つまり、お人よしということだ。リサはショックを受ける。自分でもちょっぴり、そう思っていたからかもしれない。
「でね、レレちゃんが、急にくっついたり離れたりじゃなくて、少しずつ理解したらって」
「私もそう思うわ」
「でも、どうしたらいいのかわかんない。アリーチェも急に、何だか避けられちゃっている気がするし」
「それは困っちゃうわね」
「うん」
「でも、きっと、時間が解決してくれる」
「時間?」
リサが不思議がって聞くと、セルビアはしみじみと頷いた。
「私はそう信じてるわ」
胸に記するものがあるのか、言葉の深さが伝わってくる。セルビアにも何か悩みでもあるのだろうか。けれども、それは、祈りにも似た響きを持っていた。
「……」
いいしれない感慨にふけっていると、
「ほら、あの人、あの紺の服を着ている——」
突然、セルビアが遠くを歩いている男子の塊を指して話した。
「この前お話しした、婚約者のブルキオさん」
「へー」
三度の飯より馬が好き、の人かあ、とぼんやり思いながら眺める。確かに、顔はばが長く、どことなく馬に似ていなくもない。
「この前お聞きしたら、女性が苦手っておっしゃられていたわ。夜遊びをしていたら女の姿をした妖怪に襲われたそうよ」
「へー?」
(どう言うこと?)
「私にもよく分かりませんでしたけれど、妙に、自信のなさそうな理由が、納得できましたわ」
とりあえず、変わった人のようだ。
ただの雑談だったかもしれない。でも、セルビアと話していると、幸せと安らぎに満たされていくのを感じた。
(これがきっと、ホントの友情なんだ)
リサは自然に、笑顔になれた。そしてこの気持ちを噛み締めようと、目を瞑って息を深く吸う。でもやっぱり、アリーチェのことを思い出して、胸がちくりと痛む。
(ああ、あたし、いけないなあ)
とリサは思った。
(セルビアちゃんが目の前にいるのに……)
他のことに気が散ってしまうのが、なんだか申し訳ないと思った。セルビアはきっと、悩んでるならそういう物でしょって、許してくれるかもしれない。でも、それでは自分の心が満足できないのをリサはわかっていた。
今日は気持ちがブルーのようだ。
「ねえ、アリーチェちゃん」
今度はすぐに言おうと決めていたから、話しかけることができた。
と思ったら、リサの声がか細かったのか、アリーチェは表情ひとつ変えずに席を立つ。
「ねえ、アリーチェ、無視しないでよ」
と懇願するようにいうと、リサは泣き出しそうに瞳を潤ませた。リサにとっても、何が何だかわからなかった。けれども、胸に思いが込み上げてきて、一つ押してしまえば涙が堰を切って流れ出してしまうことは分かった。
「……何」
つっけんどんな言葉と姿勢。まるで悪いのは、全部あんたの方よと言っているようにリサには思えた。
リサは青い瞳に、不安と、申し訳ないという気持ちを乗せて、
「ごめんね」
叫んじゃって、嫌だと言っちゃって。
と、心の底から謝った。
「……!」
アリーチェは意外そうに目を開いたかと思うと、イライラした調子で答えた。
「私のほうこそ悪かったわ。傷つけちゃったんでしょ。耐えられなくて。私のどこが悪かったの?」
(怒ってる——?)
語気が攻めるように強かった。まるで、どうせ私が全部悪いんでしょ、と言いたいみたい。リサが想像していたのとは逆方向だが、極端なのは変わらない。
リサはブルリと震えた。やっぱり苦手だと思ってしまうと、困ったことに、泣き虫が顔を出してしまう。
「ちょっと、泣かないでくれる? 怒ってるんじゃないんだから」
「ごめんなさい……」
「謝らないで。私はどこが悪かったのか聞いてるだけ」
「でも……でも……」
(本人の前で悪口なんて言えないし、そんなことしたら、また怒っちゃう)
その気持ちすら言うことが怖くて、リサは言葉にすることができなかった。
「そっとされたいんだったら、泣くぐらいだったら……」
アリーチェは持て余し気味な様子で何かを言いかけて、しかし言葉を飲み込んだ。これ以上何を話しても、リサを泣かせるだけだと思ったのだろう。
リサはその言葉の続きが、言われなかったからこそ恐ろしいもののように思えてきた。アリーチェは私をどう思っているのだろう。もう友達だって、思ってくれないんだろうか。私が勝手に泣いて、アリーチェをこんなに困らせていたら、きっと嫌われちゃう。
「分かったわ。ごめんなさい、私が悪かったわ」
慰め方がわからず、かといって間違った慰め方をしたくもなかったから、途方に暮れているようだった。
ついには、
「私はいない方がいいんでしょ。分かったわ。出ていくから」
と言って、本当に出ていってしまった。
リサは泣きたくて、泣き続けているわけじゃない。頭がパニックになって、でも嗚咽に邪魔されて、何も言えなかった。
(謝ったのに——)
謝ったからと言って、必ずしも円満になるわけじゃない。分かっていたけど……。
教室にはもう誰一人いない。
何で自分にはこんなこともできないんだろう。
何で泣いちゃうんだろう。
何で——。
その問いの、答えを求めていた。




