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リサは呆然と立ちすくんで見守っていたが、倒れた植木鉢を戻すと、肩を落として帰った。
「花の園」と呼ばれている、石垣に囲まれた歴史ある門をくぐり、寄宿舎に入る。そして自分の部屋の扉を開けた……はずだった。
視界に広がるのは全く見慣れない異空間。色とりどりの天幕が吊るされ、舞踏会の会場が小さな部屋に押し詰められている印象を受けた。
「きゃっ」
と小さい悲鳴をあげて、顔を真っ赤にする。
「すみません、お部屋間違えましたぁ!」
勢いよくドアに手をかけて引こうとすると、中にいた人と目が合ってしまった。
「あのぅ、もしかして、アリーチェお嬢様のお友達ですか〜?」
垂れ目で媚びるように上目遣いをしながら、おどおどした甘い声が耳に入ってくる。
リサはびっくりした。
「ここ、あの子の部屋なんだ……」
「お友達なんですね!」
「え、えっと」
答える暇もなく、相手は本当に嬉しそうなまなざしと、ほっとした笑顔で自分の言葉を繰り返した。
「本当に良かったですぅ。お嬢様、お友達ができないって、本当にずっと悩んでたんですよ? まだ外出中ですけど、良かったら中でお話ししませんか? お嬢様の話、ぜひ聞きたいです」
と、あどけない仕草で締めかけたドアを開けられ、リサは戸惑った。
「あ、あの、でも……」
断るそぶりを少しでも見せると、潤んだ瞳が泣き出しそうに見えて、押しに弱いリサはとうとう入ってしまった。
脚に衣装を凝らしたクッション付きの椅子に座らされ、リサはその場でお人形のように固まる。
「あ、私、ヨヴェッタって言いますぅ。お嬢様が、とってもおしゃれ好きなので、コーディネートさせていただいているんですよ〜」
セミロングの黒髪を細かく編み込み、紫がかったパールの髪飾りで留めている。語尾を伸ばすおっとりした独特な口調で、ヨヴェッタは気遣わしげに微笑んだ。
「もう知っていらっしゃると思うんですけれど、お嬢様は会長の秘蔵っ子で、近くに同じお年頃の子がいなかったんですぅ。なので学園に入って、お友達を作るのが、ずっとずっと夢だったんですよ? なので仲良くしてあげてくださいね」
給仕がお茶を出す。リサはカップに手をつけず、唖然としてヨヴェッタの話を聞いていた。
(そうだったんだ?)
全くそのように見えない。アリーチェが真実の姿を見せていないだけなのか、それともヨヴェッタがヨイショをかけているだけなのか、リサの目からは判断できなかった。
ヨヴェッタが笑っていると、いきなりドアが乱雑に開いた。リサの心臓が止まるかと思うほどだった。
「ヨヴェッタ、着替えを用意して。せっかくの服が台無しだわ」
「はーあ」とため息をつきながら、アリーチェはズカズカ入る。しかしよく見ると椅子にリサが座っているのに気がついて、
「またあんた? それ、私の席よ。何であんたが座ってるのよ」
と主張する。リサは縮み上がった。
「お嬢様、お友達なんですから、ちゃんと名前で呼んであげなきゃ……」
ヨヴェッタが湿っぽい紫の瞳でたしなめる。
言い返すのかなとリサは思っていたが、アリーチェは沈黙した。高飛車な態度で二人を交互に見た後、
「名前」
不機嫌な声で言った。
「名前はって聞いてるのよ。あんた、ついている耳は飾りなのかしら」
「——リ、リサ、です」
「そう。リサ。悪いけど、今日は帰ってくれる? 私は忙しいのよ。学校のお掃除をしなくちゃいけないんだから」
と言って突き放した。
(お掃除って何だろう)
何かとんでもないことが起こりそうだとリサは恐々としていた。その間にヨヴェッタはアリーチェに擦り寄って、アリーチェの方に優しく触れながら、
「まあまあお嬢様、それは後でもいいんじゃないですか? リサちゃんは大切なお友達ですよ、お・と・も・だ・ち。お友達には優し〜くしてあげないと……」
「わかってるわよ」
鬱陶しげにヨヴェッタの腕を振り払う。アリーチェの表情はムスッと拗ねて、さらに悪化していた。
「いつまでも子供扱いしないで。私だってそれぐらいわかってるわよ」
「まあ!」
ヨヴェッタは嬉しそうにアリーチェを見つめた。アリーチェの自己主張が成長にでも見えるのだろうか。リサはもう、ついていけなかった。
「それなら、さあさあ仲良くしてあげましょうよ、ね、お嬢様」
まるで子供のごっこ遊びにでも誘うかのようにニコニコ笑って、アリーチェを席に促す。その時にリサにもニコリと微笑みかけたが、リサは、
(あたし、どんな目に遭うの!?)
と、混乱していた。アリーチェの睨み顔を向けられると、蛇に睨まれたカエルのように固まってしまい、「早くおうちに帰りたい」と何回も心の中で唱えた。いくらお部屋が華やかでも、全然居心地が良くない。
アリーチェはとても面倒くさそうに椅子に座ると、無遠慮にリサを眺めた。黙っているかと思うと、いきなり、パッと口を開く。
「ノーヴの家だったかしら? 夢と幻を操るっていう」
「はいい」
「私、ノーヴの気持ちがわかった気がするわ」
アリーチェは一方的に共感を示した。
「気に入らなかったのよ、何もかも。それで、全てが満たされた夢の世界に逃げたんでしょ? でも私だったらそんなことはしないわ。絶対に後悔させてみせる。特に、あのべヤードとかっていうのは退学よ退学。それ以外にないと思わない?」
アリーチェは興奮を声にのせる。嫌なら忘れればいいのに、何度も辱められたと感じたところを心の中で再現して、屈辱を育てていた。
「校長にはもう話したから。蜂の巣をつついた大騒ぎになっているんでしょうね。私がいじめられたってなったらお父さん、寄付を取りやめるかもしれないのよ? そうなったらこの学園はどうなるかしらね」
アリーチェは破滅を楽しむ表情になった。周りを巻き込まずして、ひっそりと学校を辞めるのは、彼女の自尊心が許さないのだろう。
リサは救いを求めてヨヴェッタに視線を送る。けれどもヨヴェッタも困ったようにその場に立っているだけで、何の助けにもならなかった。孤立無援を悟ると、
(何か、何か会話しなくちゃ)
と思って、恐る恐る聞いた。
「ええっと、学校、辞めちゃうの?」
「そうよ。私のいる場所なんて、もうここにはないもの」
正直な答えが帰って来た。話してくれるんだと、意外に思いながらも、
(そもそも……)
リサが感じている疑問をやんわりとぶつけてみた。
「学校にはどうして?」
「……パパが言ったからよ。なんで行って欲しかったのかしら、こんな場所。さっさと、さよならしたいわ」
アリーチェはため息をつくと、リサの反応を待たずに続きを言った。どうやら対話という概念は薄く、自分の思っていることを喋り尽くすタイプらしい。
「どうしていっつも勝手に決めるのかしら。パパはいつも自分勝手よ。ママと離婚した時も、知らない女と再婚した時も、家庭教師を辞めさせた時も、——私、あの人好きだったのよ? なのに……私の気持ちを尊重してくれたことなんて、一度もない」
延々と愚痴のようなものを聞かされ、やっとの思いで解放されると、リサは小走りで自分の部屋に逃げ帰った。
「ただいまぁ〜」
見慣れた風景に、安心感が込み上げてくる。もう少しで泣きそうになっていたリサの様子に気づいたレレムに、何かあったのですか、と尋ねられた。
「さっきね」
リサは話し始めると、止まらなくなって洗いざらい言ってしまった。
(全部言っちゃったら、アリーチェに申し訳ないかも)
と、思いながらも、レレムなら誰にも言わないだろうという気持ちがあった。レレムは親身になって聞いてくれた。それから涙をにじませているリサのために、はちみつ入りの温かい飲み物を持ってきてくれた。
話すうちにだんだんと落ち着いてきて、訊く余裕が出てきた。
「ねえ、レレちゃんだったらどうする?」
リサは瑪瑙色の目を、まっすぐに見た。自分だけの考えだけで判断するには、足りないものがあるのを感じていた。リサは安らぎと答えが欲しかった。
「私の意見を述べさせていただけるとするなら……そうですね」
レレムは考えるそぶりをしてから、いつもの微笑みを浮かべた。
「私が同じ立場なら、リサ様と同じことを思いますよ」
「じゃあ、お友達になってみる……?」
リサは目を見開いた。リサ自身、自分がそう言ったことに驚いていた。
アリーチェのことを嫌だと思っている自分が本当なのか、見捨てずに手を差し伸べてあげたいと思っている自分が本当なのか、わからなくなる。どちらも、少しは自分の気持ちを表しているのかもしれない。でも、全部ではない気がする。
「そうですね。人に親切にするのは大事ですから」
レレムはそう言ってくれた。受け入れてほしいと無意識に思っていたからかもしれない、リサはホッとしたように顔を綻ばせた。喋りながら、自分の気持ちを確認した。
「うん、お友達になってみる。だって、アリーチェさんも、きっと寂しいって感じているんだと思うよ……」
その寂しさは、自分だけにしか理解してあげられない、特別なもののようにリサは思った。リサにしか見えない小さなアリーチェが、助けを呼んでいて、それを救えるのは自分しかいないという思いが、リサの心をみるみるうちに支配していく。そのせいか、
「でも、あまり無理はしないでくださいね」
と言われても、耳に入ってこなかった。
(だからこそ、助けなくちゃ)
と、思った。どうなったとしても、後、少しだけの関わり合いだ。彼女が寂しさを感じているなら、寄り添ってあげたいと思った。
(あたしでよければ……。あたしが何か、できるなら)
けれど、あまり気持ちは晴れない。リサはその理由がわからなかった。わからないなりに頑張ろうと意気込むと、早速アリーチェのことを考え始めた。




