頁:68 その【一行】戦慄につき。
屋敷の主である彼が立ち去った後。
部屋の空気は重苦しく、誰も言葉を落とすことが叶わない。
ノアが何か口を開きかけるのだが、扉から聞こえてくるノックの音。
続けざまに伝えられた言葉は、入室を推し測ったような老齢の男声。
「――失礼致します。」
短い言葉の後に扉が開かれ、姿を現したのは、最初に会った老執事だ。
ピンと伸びた背すじに、乱れぬ所作で丁寧な一礼。
頭を下げたまま、柔らかな声で勇者たちへと語りかけた。
「当主さまよりお話はお伺っております。一先ずは……お屋敷の見学など。
私で宜しければ、当屋敷のご案内をさせていただきますが――」
執事からの提案に、勇者は後ろに控える全員へと視線を向ける。
小人族と騎士の二人は視線を聖女へと向け、二人は彼女の言葉を待っていた。
「えっ!? わ、私っ!? ええと……では、お言葉に甘えましょう。」
老執事の案内のもと、屋敷内を見学することとなった一同。
木の床を複数の足音が叩きつける音を響かせ、生活圏内を見て回った。
使用人たちの部屋に来賓部屋……広間や複数の客室と寝室。
何ら変哲もない、おかしな箇所がひとつもない、普通の屋敷。
が、一室だけ案内されていない部屋があり、老執事へ問いを投げる聖女。
「あの、あちらの扉の向こうのお部屋は……?」
「――嗚呼。あちらは当主さまの書斎兼、私室となっておりますれば……。
ご入室はくれぐれも、お控えくださいますように。」
「では――お次は一階部分をご案内致しましょうか?」
「では、その――」
口を開きかけた勇者だったが、彼の声が届けられる前に、止められた。
今度は、全員の耳に装着してある魔道具からの音声。
『スッ……スミマセヌッ! 大事な時にワタクシといえば眠っておりッ!
ええとッ!? 皆様は今どちらにいらっしゃるご様子でッ!?』
深いため息と共に『んなときに……』と懐を探り、片眼鏡を取り出したルル。
「はぁ……賢者ちゃん。 あたし、モノクルかけとるけぇ。
これで状況確認して。ちな、あたしら今ニヴェイシア子爵のお屋敷な。」
『なるほど――かしこまりましたぞッ!』
「で――今は屋敷の人に部屋案内してもらっとる感じ。」
『ふむ……でしたら、研究部屋……調剤室。もしくは薬品の保管庫――
そちらに赴いてみるのは、如何でしょうかッ?』
特に否定する要素もなく、老執事へと言葉を伝える小人族。
「畏まりました。 では、私めがご案内を仕りますゆえ……。」
◇ ◇ ◇
案内されてたどり着いた場所は――まさかの中庭の庭園。
屋敷は簡素ではあったが、庭園はとても広々としており、豪奢な作りだ。
視線を移せばガラス張りの部屋に、花壇――畑のような場所まで。
老執事が向かった先は、庭園の一角であるガラス張りの施設。
薄暮の光が天井のガラスを透かし――整然に生けられた植物たちが揺れる。
「な――すごく……素敵な場所ですねぇ……!」
胸の前で手を合わせ、うっとりとした表情で周囲を見渡す聖女。
彼女の藤色の瞳に映るのは、複数の翠の陰と様々な色の美しい花々。
心打たれている彼女に、老執事は『ホホ』と喉を鳴らして微笑を浮かべる。
「こちらは薬草園を兼ねた、当主さまの調剤室にございます。」
「育てられている植物は、いずれも貴重な種にございますゆえ……。
毒草も混ざっておりますれば、お手は触れられませぬように。」
「当主さま自ら、日々管理なさっておいでです。 管理育成等――
我々使用人ですら深く携わっておりませんゆえ。」
老執事は一歩下がり、なるべく全貌が把握できるようにと気を遣う。
「ちなみに――ご質問をいただきましても、私ではお答え出来かねますゆえ。
何か御用がありますれば、当主さまへ直接お尋ねいただければと存じます。」
使用人ですら、管理育成に携わっていないという老執事の言葉――
不審に思った勇者と騎士は、互いに視線を交わしあう。
(きっと、なにか隠してるに違いないよ……! 変な薬とか!)
(使用人に管理を任せてないってこたぁ……見られたくねぇモンがあんだろ。)
――若干、考えが噛み合っていない。
ガラス張りの植物管理室――その奥へと通された一同。
どうやら調剤室らしく、机の上に広がるのはビーカーや天秤。
乾燥棚に蒸留器など、調剤に必要な道具たちが並ぶような場所。
彼が薬学の造詣に深いという話は本当だったのかと、しみじみ感じさせる空間。
「ちょっ……コレ! ヒーリアじゃないですか……! 霊草なのですよ……?
この国ではすごく貴重な植物ですのに、こんなに葉がついてるだなんて――
育成方法は確立してないと……そう言われておりますのに……!」
(たしか……山脈の高い位置でしか自生しなかった植物のはずでは……?)
「おーっ! これ、うちの集落にアホほど咲いとるやつじゃ! なついぜー。」
霊草にはしゃぐ聖女――小人族の彼女もまた、興味を惹かれたように――
彼女は大輪の薔薇を指差し、懐かしそうに見つめ言葉を落とした。
「この薔薇さ……あたしらの集落では呼び方が違うんじゃけど――
煌陽国では『ブラディアローズ』って名前らしいんよ。」
「んで……この花の蜜、めっっちゃ甘くってちょー美味しいんよ。 でも――
一つだけ難点があってさ……あたしらは舐めても平気なんじゃけど……。」
何故か言い淀む小人族。どうにか言葉を探しているらしく、しばらく思案。
「これ舐めたら、血が元気になって活力みなぎる。 んー……。
夜に元気出したいときとか、そゆときに舐めたらええ感じ。」
「あの狂い咲きしてた薔薇だよね? そんな効果があったんだねぇ!
活力――なるほどっ! 僕が舐めたらもっと強くなれるかな?」
「あー……勇者ちゃんはそのままで強いけぇ、舐めんでええとおもう。」
とんでもない勇者の発言に肝が冷える聖女と騎士。
彼らは小人族の言っていた意味を『完全に理解』していた。
(ノアがそんな状態になったら誰が彼を止めるのでしょうか……。)
(……ったくよぉ~~~~~~ルル、てめぇ~~~~~~!!)
変な空気が流れていたが……何かを見つけたらしいルル。
彼女は『ねぇ、これ。』と、机の下から箱をずるずると引きずり出した。
箱の中身はびっしり並んだ小瓶の列。
薬の保管箱らしく、箱の中身の瓶一つ一つ、丁寧にラベリングされていた。
[傷薬(低品質)]
[傷薬(高品質)]
[霊気力回復薬]
[霊気力活性剤]
[魔力回復薬]
[魔力活性剤]
そして……ひときわ異彩を放つ小瓶――
[不浄の黒泥(見本)]
「こいつぁ……あの石の泥ちゅーことか? なんでんなモンがあんだよ……。」
「あの魔族の女の子……たしか子爵さんのお姉さんだったよね。
彼女が言っていなかったかな? ほら……確か――」
『リンの魔力と血液を吸って――』
そう言ってノアは小瓶を手に取り、中身をじっと観察。
黒の中に僅かに紫がかった靄のようなものが確認でき、蠢く様は悍ましい。
『ふむッ……なるほど、そちらが件の汚泥ですなッ?
ウゥム……申し訳ありませんが少々お時間を頂戴しますッ!』
ルルから届けられていた光景を見ていたのであろうバルタザール。
彼は声を届けた後に、すぐ「プツッ」と音を立て、以降は音を拾わなくなった。
しばらく眺めていた全員だったが、特段何か判明するわけでもない。
『む……この黒泥自体、魔族の童女が生み出した魔力であろうな。
瘴気を宿しているということは、魔族の血液が混ざっている――
あの魔族の童女の文面通りとみて、間違いないであろう……。』
『ふむふむ……なら、答えは一つだね――』
「このことは、直接子爵さんにお話を聞いたほうが、よさそうだね。」
勇者の言葉に全員の視線が交わり、頷き合う。
気がつけば外の景色は、橙色から群青色へ。夜の帳が静かに広がっていた。




