その【聖剣】相棒につき。
軽々しい音を響かせ、石瓦の屋根を悠々と跳躍を繰り返し、夜の空を舞う。
娼館街や先程の市場、職人街を飛び抜けるノア。
屋根から屋根へと、飛び移るように跳ね、中央へと進む。
少し下では、街燈の明かりが小さく揺れ、人々の笑い越えが交錯する。
ノアは下方には目もくれず、視線は自ずと上へと向けられていた。
もっと遠くへ、もっと高みへ――目的地はこの都市で一番高い建造物。
大図書館の時計塔まで軽い身のこなしで、上部へと登り詰める。
足場へたどり着くと、文字盤を背後に学術都市を見渡した。
「すごいねぇ…!高い場所からの景色が気になっちゃって――
こんな場所まで来てみたんだけど、圧巻…!」
膝を折り腰を下ろし「ふう」と一息零し、改めて景色を眺めるノア。
「こんな大きな時計の建物があったのに、気が付かなかっただなんてね。
僕って、もしかして視野が狭いのかなぁ……。」
驚嘆の吐息が夜風に消され、世界が淡い夕闇に呑まれる様子を目に収める。
夕日が沈み、徐々に夜の帳が降ろされ、美しい風景に息を呑んでいた。
光と影のコントラスト。家々から灯される明かりに、何処かから上がる煙。
日は沈み、僅かな音が時計塔へと届き、周囲から漂う生活の香り。
(世界って、広くって、綺麗で――すごいなぁ……。)
『これはまた随分と大胆な所業だな。そなたの心に変化が芽吹いたか?』
聖剣から響く冷たくも澄んだ女声が、ノアへと疑問を投げる。
そんな聖剣の質問に、ノアは苦笑を浮かべ溜息の後に、言葉を返した。
「いーやー? 変化ってほどでも無いんだよ? ただ……さ。
僕って、視野が狭いっていうかさ。 何ていうんだろう?」
「真っ直ぐしか見られていなかったのかなって、そう思ったんだ。
だから、もっと周りにも目を向けて――ちゃんと見ないとなって。
この国…ううん。 この国だけじゃなくってさ、世界って綺麗で……」
聖剣の柄に触れ、優しく朗らかな笑みを浮かべ、語りかけるノア。
「昔の…農民のままだったら絶対に気がつけなかった事だから。
今の僕だからこそ、気がつけたっていうかさ。」
ノアの眼差しは、遠く果てしない空の彼方へと向けられていた。
彼の碧灰の瞳には、様々な色が灯され、輝きを増していく。
美しい街並み。外壁の向こう側に広がる平原や森と、連なる山々。
空を見上げれば瞬き返す星たち――その全てが、彼の目には尊いものに映った。
自身の村だけでなく、この世界に芽吹く命を、自身の手で護らねば。
心の中でそう固く誓い、目を瞑り、余韻に浸るように空気に身を委ねた。
やがて夜が沈みこみ、完全な宵の闇が支配する時間帯へと移り変わる。
ノアはようやく、皆の待つであろう場所へと身体を向けさせた。
ひょいと、マントを翻し、飛び降りて大図書館の扉へと向かう。
「とっても長い間あの場所に居座っちゃった!えへへっ!
聖剣さん…改めて、今後とも僕とよろしくね! 僕を選んだ事――
絶対に後悔させないからさっ!【勇者】として、頑張るよっ!」
「だから…僕と一緒に、この世界を護ってね? ……聖剣さん。」
『そなたの無垢は真誠だ…。 我の目に狂いは無かったようだ。
こちらこそ、宜しく頼むぞ、相棒。』
そうして、夜風を受け優しい空気に包まれ、皆の元へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
ノアが禁書庫に辿り着いた頃には、すっかり外は夜一色。
彼は軽い足取りで皆の元へと駆けつけるのだが――しかし。
何やら違和感を覚え、急ぎ足で禁書庫の螺旋階段を飛ばして向かう。
(お肉の香ばしい匂いがする…。 禁書庫のはずなのに…なんでぇ?)
鼻をひくつかせ、賢者と皆が待っているであろう扉へと向かい、扉を鳴らす。
開けた先に広がる光景に、思わず絶句し、口をあんぐりと開けたまま硬直。
眼の前に飛び込んできた光景は、小さな机に積載された肉料理の山だった。
一体全体、この部屋で何が起こったのか?と、ノアは言葉を失うしか無かった。
一旦落ち着こうと、積載されている肉料理を尻目に周囲を見渡す。
ノアにはこの肉の宴の犯人が分かってはいたが、念のために視線を巡らせた。
肉料理の付近には大盾が立てかけられ、その側では騎士の姿。
寝台に青い顔で横たわる賢者。怪訝なジト目を騎士に向ける女子二人。
騎士の姿はその大きな背で見えないが、なにやら動きがあることは理解できた。
そっと背後から忍び寄ると、その全貌が明らかになり、ノアは目を疑う。
デカすぎるハンバーガーを片手に、もう片方の手には規格外のホットドック。
どのようにして食しているのか、理解に苦しむが――
彼は、骨付き肉を口で咥え、肉汁をそこら中に散らし、がっついていた。
「これは一体……どういうことかなぁ? 説明が、ほしいなぁ……?」
引きつった笑み。若干怒りを滲ませた震え声で疑問をぶつけるノア。
パルテオンがノアの存在に気がつくと、もごもごと咀嚼をし、驚愕。
彼はゆるりと背後へ視線を移すと、食物を呑み込んだ後、弁明の言葉を紡いだ。
「ちッ!チゲェんだッ!! 途中まで大真面目に武器とか探してたんだッ!
賢者が元気無いなってのを思い出して、それでなんだッ!」
「賢者に元気を出して貰おうってよッ! 意気込んじまったんだッ!
元気がない時には、ガッツリ肉だろッ!?」
「それで肉料理を片っ端から探して、持ってきたのは良かったんだが――
セラとルルが賢者はそんな食えんとッ!」
「だから、俺が責任持って肉を食ってただけなんだッ!! 本当だッ!」
まるで責任転嫁にも聞こえるパルテオンの言葉に、セラの眉が動く。
ルルはやれやれといった様子で項垂れ、大きなため息を付いていた。
ノアもまた、彼女らのリアクションに同意するように眉間に拳を当てる。
「ねぇパル。 それさ…自分が食べたかっただけなんじゃないの……?
言い訳にもならないよ? これだけのお肉を前にしてさ、もーっ……」
「それに、こんなに沢山……バルタザールが食べられるわけ無いって――
考えたら分かるよね…? これだとパルの食費で、旅が終わっちゃうよ?」
パルテオンははっと顔と身体をノアに向けると、必死に謝罪の言葉を紡ぐ。
「スマンッ!! だが聞いてくれッ! 俺はそのッ――
俺が体調悪ィ時にこうされたら嬉しいってのをだな……だが、ウム…。
考えが足りんかった事は謝罪する。 だ、だがなッ……!」
「筋肉は燃費がすこぶる悪いんだッ!大量の肉を食わねば俺は――
そう、死んでしまうッ!! だから許してくれッ! この通り!」
かなり必死の謝罪にルルとセラは苦笑いを浮かべ、ノアに視線を移す。
ノアはまだ少し納得のいっていない様子だったが、セラが言葉を落とした。
「体格も大きいことですし、許してあげませんか? それにです……
確かに物凄い量の肉料理ですが、パルテオンさんなりの気遣いですし…ね?」
「あたしらは身体小さいけ、そんな食べんけど、パルちゃんはな。
あたし四人分くらい食うもんな。 しゃーないっしょ?」
セラとルルの言葉にノアは溜息を付きつつ、パルテオンの肩をぽんと叩く。
朗らかだが若干、苦い微笑を浮かべながらも、彼を許すつもりで声を掛けた。
「ルルとセラがこう言ってるから良いけど……
でも本当に資金は無限じゃないんだからね? 食べた分はちゃーんと……
働いて稼いで貰うんだからっ! 今回だけは特別だよ?」
パルテオンはバツが悪そうに、側に控える肉の軍団に手を付ける。
肉をかじりながらも謝罪を述べ、結局彼は山盛りの肉を一人で平らげるのだった。
その後、パルテオンが食事を終えた後に、バルタザールが目を覚ました。
身体を起こし、何が起こったのか分からない様子で辺りを見回す。
「はて……ワタクシ、もしかして気絶しておりましたかなッ?」
セラは即答で「はい」と答え、ルルも同じようなタイミングで相槌を打つ。
彼女らの即答に、賢者は恥ずかしげに「すみませぬッ……」と謝罪。
額の汗を拭いながら、ノアに問いを投げるバルタザール。
「それでッ!現在の時刻はッ? 禁書庫は密室空間ゆえ、時間の感覚が――
時計も此処には置いておりませんゆえにッ!」
「そうだね、僕がここに来る時にはもう外は暗い時間だったよ?
丁度夕方から夜になるくらいの時間だったかな?」
バルタザールが「フーム」と唸り、若干気まずそうな表情で、語りかけた。
「白星刻頃でしょうかッ? でしたら宿に戻られたほうが賢明ですなッ……
ワタクシが不甲斐ないばかりに、時間を無駄にッ!
また翌日にでも、お話し合いを致しましょうぞッ!」
賢者の提案を受け、一同は軽く荷物を纏めた後、禁書庫を後にした。
宿へと向かい、疲れを癒すべく夜を過ごす。
固いベットで横になるが、セラは眠りにつくことができなかった。
そっと部屋から抜け出し、鍵を手に外へと繰り出す。
部屋の窓からの景色で理解はしていたが、周囲はやはり宵の闇。
それでも、少しでも気晴らしになるならと、周辺を散策するセラ。
(ニヴェイシア邸の寝台が恋しい…贅沢は敵…ですが、ですが――)
(貴族生活が長かった私にとって、良き寝台というのは離れがたい……!)
「ニヴェイシア閣下は…今頃何をしてらっしゃるのかしら…?」
上を見上げると、街明かりが少ない分とても明るく見える夜空が広がる。
ちらちらと瞬きを返してくれる星たちに瞳を細め、溜息を吐き出す。
夜風に当たりスッキリし、再び宿へと戻り、寝台に横に。
様々な気持ちを抱え、その日は就寝するセラだった。
◇ ◇ ◇
勇者一同が、学術都市に身を寄せていた同じような頃合い――
白金子爵こと――幽玄の白雪、アメトリクス。
彼は交易都市にて、様々な業務に追われ、奔走しているところだった。
冒険者ギルドからの定期的な魔物の調査の依頼、薬学ギルドからの提案書の確認。
彼には仕事が山程あり、息を付く暇もなく、溜息を洩らしながらも難なくこなす。
(ボクに丸投げし過ぎデショ。 ボクの事なんだって思ってんだか。)
書類仕事を終えると、次の仕事の為外套を羽織り、馬車に乗り込む。
調査報告の為、書類を鞄に詰め込み、次に向かう場所は冒険者ギルド。
ギルドマスターに呼ばれ、定刻通りに来たは良かったが――
すぐに対応できないとの事で、ギルドの一室にて待機中だった。
対談の為にわざわざ出向いた訳だったが、忙しいのだろうと判断。
同席している、リュシアン・クロイツ伯爵と共に、待ちぼうけを食らう。
彼は以前、勇者たちと共に近隣の迷宮の調査に赴いたのだという。
何があったかはアメトリクスに知る由は無いが、彼とは旧知の間柄。
特段仲が良いという訳でも無く、取り留めのない会話をぽつぽつと交わす。
時間だけが過ぎるが、唐突に乱雑に扉が開かれ、香ってくる煙の香り。
ギルドマスターは謝罪も無く、二人の前に音を立ててソファに腰掛ける。
無遠慮にも程がある横柄な態度で、煙草に火を灯し――吹かす。
ギルドマスターに促されるままに、リュシアンが先ず口を開いた。
彼は淡々と、これまでの出来事を共有し、報告。
「――と、言うことで、私からの報告は以上でございます。
勇者一行が例の黒い石を浄化して以降も――何度も調査に赴きました。
しかし、以降は特といった変化はみられませんでしたね。
さて、この事について、ニヴェイシア卿はどうみられますか?」
リュシアンの柔らかい口調に対し、アメトは丁寧な声色で返答を返す。
「そうですネ。 ボクとしても調査の段階であり、確定した情報は無く――
どういった経緯で石が発生したのか不明瞭な点も多く、さっぱりデス。
お役に立てず大変恐縮デス。」
「ただ、魔族が関与しているとの情報もあるようでして。
ボクでは少々……手に余る案件かと存じマス。 ボクは一介の“人間”……。
薬学に関してでしたら、多少はお役に立てる事かと思いマスが――」
傾聴していたギルドマスターは煙草を吹かし、煙を吐き出す。
ぶわりとした煙がアメトリクスへと向けられるが、彼は表情を変えない。
「例のその黒い泥の石なんだけどよー。 目撃地付近で――
ウチ所属の冒険者が複数人行方不明になってんだわなー?
ちゃーんと調査しねぇといけねぇよなぁ?」
「平和な交易都市として有名なヴァルメリアの名前に傷が付いちまう。
国からも調査依頼されてっし、そこんトコどう考えんだ?
クロイツさんにニヴェイシアさんよー。」
不遜な態度のギルドマスターは、彼らに煙と共に言葉を投げる。
しかし彼らは微笑を絶やすこと無く、二人で顔を見合わした。
「そうは言われましてもねぇ…このような事案に関わった事などありません。
我らとて動きにくいのが現状ですよ? おわかりでしょうが――
我々に全てを押し付けるのはお辞め下さい。 ねぇ? ニヴェイシア卿。」
「ええ。 我々としても尽くしていマス……それにデス。
定期的に回復薬は格安にて譲っておりマスので。 どうか勘弁願いたく。
ボクの方でもなるべく調査は行っておりマスゆえに。」
退屈な話し合いを終え、冒険者ギルドを後に、アメトリクスは馬車に乗り込む。
しかし向かう先は自身の屋敷ではなく、調査の為に迷宮へと赴いていた。
外套についた煙草の匂いに顔を顰め、深々と溜息を洩らす。
(貴族に丸投げする組合長とかどうなのサ。 ボク、便利屋ではないのに。)
(勇者サマたちも頑張ってるみたいだし、ボクも最低限のお仕事はしないとネ。)
「はー、怠……。」
アメトリクスという男はどこまでも孤独で、どこまでも多忙だった。




