その【離愁】しばしの間につき。
屋敷の主の部屋前まで辿り着いたセラ。
しかしどうしても暴れる心臓が邪魔をし、部屋前でウロキョロと旋回。
深く呼吸を繰り返し、早打ちする鼓動を押さえようやく決心。
緊張を押さえ軽く息を吐き出し、控えめに扉を叩き、扉越しに語り掛けるセラ。
「ニヴェイシア閣下。 セラフィーナです。 失礼しても?」
扉の向こうからは、緊張を崩すような「ドーゾ」と、拍子抜けする程軽い返答。
ドアノブを回し部屋へと入ると、屋敷の主はなにやら作業中の様子。
彼は机に向い羊皮紙に羽ペンを走らせ、複雑に絡み合う線と円を描いていた。
「昨晩の件です。 その、お疲れ様でした…。 その後の体調が心配で……。
魔族の方に浄化なんて、初めてする事でしたので……」
扉前で指を胸の前に組み、視線を逸らし語るセラ。
アメトは視線を羊皮紙に落としたまま、彼女へと返答を返す。
「ンー? 体調は平気だヨー。 結局あの後自己処理したってくらいだネ。
やー、欲を持て余してたいへぇん。 ヒヒッ!」
「まー、昨日キミが浄化をかけてくれなかったらもっと悲惨だったし。
感謝してるヨー。 またボクが媚薬盛られた時は浄化よろしくネー。」
羽ペンを動かし、胡散臭い微笑で茶化すように語る彼。
しかし、視線は羊皮紙に落とされたままで、セラの方向へは見向きもしない。
淡々と、飄々と、軽薄な調子を崩さず、まるで昨晩の事は無かったかのような姿。
セラはどうにも納得がいかず、なぜ、眼の前の男はこれ程まで平常通りなのか?
と、顔を顰め、視線を自身の足元へ向け唇を噛んでいた。
「ンデ? なぁに? ココに来る用事それダケ? 体調ならもう平気だヨー?
それともアレ? 半魔であるボクと身体を重ねちゃったコト、後悔してる?
なら忘れたら良い。 ボクとしては助かったことは事実だケド」
「忘れたいとか、後悔とかではないのですっ!
それにあれは……私が勝手にしたことです。 ですので、その――」
声は上ずり、反射的に身体がアメトへと引き寄せられ、視線を彼へ移す。
「とりあえずサ。 まず部屋の扉閉めてくれないカナ?
開けっ放し辞めてくれると、助かるヨ。」
セラは「はっ」と背後に視線を向けると、扉が開けっ放しだった事に驚愕。
そっと扉を閉め、半歩程アメトへと近づくが、それ以上は寄れなかった。
「キミが気にしているコトは、アレだけの事をしたのに――
ボクが平然としているから、釈然としない…そういった感情だネ。
じゃあ逆に聞くけれど、キミはボクにナニを求めてるのサ。」
自身は彼に何を求めているのか、という問いにセラは眉を寄せ、逡巡。
しかしいくら思考を回しても、自身の事がまるで理解できず、言葉に詰まる。
「私がっ……閣下に何かをして欲しいとか、そういう話ではなくって!
媚薬って、どんなものか知っていました。 ですのに……!
閣下の気持ちも考えずに、お膝の上にっ…! しつ、しつれいしてッ…!
だからその事をっ…えっと…。 謝罪も込めて……。」
アメトは大きく息を吸い込むと、比例するような溜息を洩らし、瞳を細める。
羽ペンを置き視線をセラに移すと、呆れたような眼差しを向け、口を開いた。
「あのサァ……キミ、チョットお人好しが過ぎるヨ?
ボク、自分で言うのもアレだケド、相当怪しいデショ?
ボクみたいな胡散臭いの、簡単に信用とか信頼しちゃダメ。 分かった?」
説教じみた口調で落とされた言葉は、確かに正論。
だが何故か胸にちくりとしたものを感じ、セラは視線を落とす。
眉を下げ、胸の前に両手を重ね、肩も視線も落とし俯いた。
「そ、そう…ですよね。 ごめんなさい……。 では、失礼しま――」
退出しようと踵を返すが、ふいにアメトの姿が、眼の前に現れた。
軽く肩を触れられて、距離の近さからか、彼の身体からふわりと漂う香り。
視線を上に向けようとしたが、額に柔らかい物が触れ、じわりと熱を生んだ。
(?? 額へ口づけ? な、何故?)
唐突の事態に大きく目を見開き、視線を上に向けるセラ。
しかし口づけを落とした本人も(なんで?)と言いたげに疑念の表情。
視線の先の彼は、どこか幼さを感じるような、驚愕の表情を浮かべている。
やがて取り繕うように薄ら笑いを浮かべ、セラの頭を撫で、語りかけた。
「小動物みたいに縮こまるキミを見てたら、可哀想過ぎてサー?
見てられなくって、つい手を出しちゃったヨー。 ヒヒッ!」
「ボク、もしかして聖女サマに手を出しちゃったから捕まっちゃうー?
ま、キミのコトだからそんなコト、しないだろうケドー。 ヒヒッ!」
何か返答を返そうとしたが、広間の方から朗らかな声が聞こえ――中断。
「ただいまぁー!」と、勇者ノアの声が、二人の耳にも届けられた。
「ええっと……突き出したりはしませんので、ご安心下さい、ませ……。」
眼の前に居る青年から距離を取るため、徐々に足を後ろに動かすセラ。
彼はにこりと胡散臭く微笑み、距離を縮めセラの耳元に顔を寄せた。
あまりにもわざとらしい、やたらと甘く色っぽい声を響かせて。
『キミ……少しボクに慣れた? 相変わらず“閣下”呼びだケドも。
もう作業も大詰めだしさ、それまでボクの側に居なヨ…ヒヒッ!』
「なっ…耳元で囁かないで下さいっ! 一体何なのですかっ……!
茶化してますか? もう…! た、確かに少しだけ慣れたかも、ですが…!」
「ってそうではなくッ!」
顔を真っ赤にさせ、ぷいとアメトから顔を背け、そのままソファの元に。
ぽすんと軽い音を立て腰を掛けると、腕を組み、何故かそのまま鎮座するセラ。
「ボクのコト、また監視でもする感じー? てかそのソファ…
昨晩の件もあるのに、よく簡単に腰掛けられるネェ? 恥ずかしくないの?
それともまた昨日みたいにシてくれるってコト? ヒヒッ!」
「ボクの膝の上がそぉんなに良かったのなら、いつでも乗っておいでヨー。
キミみたいな小さい子だと、猫と大差ないだろうし…ヒヒッ!」
どうにも何故か、彼の側が離れがたく、セラはソファに腰掛けたまま。
彼の口車にも乗らずセラは沈黙を貫き、椅子に根を張り不動の構え。
結局、作業が終わるまで彼の部屋から動くこと無く、無言で過ごすのだった。
◇ ◇ ◇
広間に戻ってきたノアとパルテオン。
彼らは借りた服を使用人に返却し、合流したルルと談義中だった。
ノアが購入した装備は、前回と色味は然程変わらない。
白いマントに、胸当てと肩当てがある、簡素な軽装。
実用的且つ、動きやすさを重視したような装備。
前の衣服は、国から支給された衣服だった故に“王子様”感が強かった。
今回の衣装は、朱色に橙色の刺繍が美しい、如何にも“勇者”といった装い。
「スライムの液体でも解けない特殊な糸で作られた布を使った装備だって!!
これでスライムにも安心して挑めるね! ちょっと値が張っちゃったけど!
でも、これならスライムを…けちょんけちょんにできるからっ…!」
【勇者】は相当お冠だったらしく、鼻を鳴らし決意の拳を握りしめていた。
一方で騎士はというと、彼は前と何処が違うのか、何が変わったのか不明。
間違い探しでもするかのような見た目の変化。
ちょっと小綺麗になった程度で、見た目だけでいうのなら、変更点は無い。
「俺は普通の軽鎧だ! 実用性第一に考えたらこれが一番だかんなッ!
ハッハー! 新品でピカピカだ! どうだ! カッコいいだろ!」
「おー、前のも良かったけど、今のめっちゃ似合っとる。
ノアちゃんちょー可愛いぜー?」
無表情のルルがノアを絶賛。彼女の腕には、何処から現れたのか――
久々にあの謎毛玉生物が抱きしめられていた。
ルルがノアだけを褒めていたことに不安を感じたパルテオン。
彼は不満と不服を顕に眉を寄せ、唇を尖らせ、年甲斐にもなく拗ねる。
和気あいあいと、装備の話に花を咲かせていると、扉を叩く音。
次いでアメトとセラの二人が広間へと姿を現した。
セラは何故か、機嫌が悪そうに頬を膨らませ、アメトはいつもの態度。
「ん? セラちゃん子爵ちゃんと一緒だったん?」
ルルが首を傾げキューもまた首を傾け、不思議そうに彼女たちに問いかける。
それに対してアメトが、まるで呼吸のような自然さで滑らかに嘘を紡ぐ。
「スクロール用意し終えたら、偶然廊下で聖女サマとすれ違っちゃって。
それで道中一緒に行く? って話になったのサー、それダケだヨー?」
アメトは羊皮紙を片手にひらひらと掲げ、丸めるとそれをルルに手渡すが――
「――ネェ。 誰も突っ込まないから、あえて突っ込むんだケドさ。
その角の生えた謎すぎる毛玉の生物なぁに?」
「たまに屋敷の廊下歩いてるんだケド……
ボクも知らない生き物で、どういった生態系なのかさっぱりなんだケド。」
今の今まで、誰も何も知らない、捻れた角に小さい身体。四足歩行の毛玉生物。
故郷で大量発生しているルルですら、小首をかしげ「しらん」と切り捨てた。
アメトは訝しむ様子で毛玉生物を見つめ、撫でようとするが威嚇をされ、断念。
「………。 嫌われてるネェー? ま、いいケドも。 ンジャー…
しばらくお別れダネー、勇者御一行サマー」
ルルがぶーたれ、キューを抱きしめ嘆くが、ノアとパルテオンは苦笑い。
「あーそうそう。 ココ、ボクのお屋敷だケド……
使用人たちには伝達してるし、宿代節約したいなら、好きに使うと良い。」
「壊さない限りキミたちの好きにすればいい。それと知ってると思うケド…
ボクは割と忙しい。 しょっちゅう屋敷に居るワケじゃないからサ。
何かあったら使用人長のおじいちゃんに声かけてネー。」
軽々しく、別れを惜しむ様子もなく、皆にそう伝え彼は掌をひらひらと振る。
寂しさを感じてしまったルルが、パタパタとアメトに擦り寄った。
「やーー。 あたしここから離れとーない。 ぶー!
子爵ちゃーん! お小遣いちょーだい! だめー?
あとキューちゃん、このお屋敷で飼っとってー!」
「キュ…キュー?」と片眉を上げ、溜息を吐き出したアメト。
彼はルルを引っ付けたままノアの元へと歩み、懐を漁り、革袋を取り出した。
中身を確認すること無く、ぽんとノアへと投げると、ルルを引き剥がす。
「キューって、あの謎生物のコト? なら好きにしたら良い、ハァ。
勇者サマ。 ソレ、ボクからの餞別。 そこのチビのお小遣いネ。」
「ありがとうアメトさんっ! 今までお世話になりましたっ!
また一緒に……絶対に、お風呂に入りましょうね! ……絶対ですよ?」
あまりにもにこやかな微笑。まるで陽光のような朗らかな笑顔の勇者。
彼の発言に、騎士と半魔の眉は寄せられ、勇者の顔をまじまじと見つめる。
一同は改め身支度を整え、準備を終わらせると、屋敷の主に別れを告げた。
ルルがスクロールを掲げ、手に火を灯し羊皮紙を燃やす。
勇者一同の四人は、ニヴェイシア子爵邸から姿を消したのだった。
◇ ◇ ◇
眩い光りに呑まれ、少しの不快感の後に、次に目を開けるとそこは草原。
遠くに確認できるのは、中央に大図書館を控える学術都市。
彼らは学術都市を目指し、草原を歩むが――ノアが皆に語りかける。
「こんな場所だったかなぁ? 前来た時と場所が違う…?
馬車で見た時と景色が違うから新鮮だねぇ……!」
「ちょいズレたんだろ。 あの子爵も“付近”に転送って言ってなかったか?」
パルテオンは草原を踏みしめ、遠くに見える都市を見据え、返答を返す。
その視線の先には整然とした城壁が見え、赤茶の屋根瓦が陽光を反射していた。
「ほら、あっちに見覚えがある街並みが見えてるし、大丈夫だろう!」
「ふーん、スクロールって万能じゃねーんだなー」
「でも街中に突然私たちの姿が現れたら、それはそれでまずいのでは…?
これで正解なんじゃないでしょうか…?」
ルルは両手を後ろに組み、浮き立つ足取りで歩み、言葉を落とす。
「んにしても、賢者ちゃん生きとん? 全然音沙汰無いけぇ不安じゃー…
久々に会うし、ちょー驚きそう。 まぁでもまず安否確認じゃねー」
ルルの尤もな発言に皆の表情が引き締まり、無意識に歩む足が早まった。
吹き抜ける風が一同を優しく撫で、草原の草を揺らし、心地よい音を響かせる。
――こうして彼らは、久方ぶりの再会に胸を高鳴らせ、歩き出したのだった。
しかし同じ空の下、彼らの知らないはるか上空に、不穏が渦巻く。
勇者たちが到着した草原の更にその上に、見据える小さな影。
「さーて…どーしよっかぁ? つまんないつまんなぁい…。
リン、大人しくしてるのつまんないよぅ……黒くて白い神様ぁー?」
「まだ、駄目ー? ぶぅーー! 仕方ないなぁ…
じゃーぁ、ぼくはぁ帰るねぇ…? またねぇ…メトぉ…いひっ!」
童女は泥を散らすこと無く、勇者たちを見下ろし、無邪気な笑みを浮かべる。
その笑みは誰の目にも止まること無く、泥のように消え去った。
◆第二章 了




