その【旅立】に祝福あらんことを。
修行も大詰めで、私は伯爵家と神殿を往復する日々に見舞われていた。
冷たくも温かい――そんな日常を繰り返していたのだが、しかし。
そんな日々にも、ついに終止符を打つ日がやってきてしまった。
「――勇者様が参られました!」
扉を開け放った侍女の声に、室内の空気は一瞬で張り詰める。
数日前から、勇者来訪の報せはしっかり耳に届いていた。
ちゃんと覚悟していた、そのつもりだったのだけれど――
実際にその瞬間が訪れてみれば、まるで夢の中のようで、現実味がない。
【勇者】がヴィオラ伯爵家に訪ねてくる理由なんて一つしか無い。
それは【聖女】である私だということは、言うまでもなく明確で。
それほどまでに、私の知らないところで【聖女】の名は轟いていたのだ。
曰く――“奇跡を呼ぶ聖女”だとか“慈愛の乙女”だとか。
そんな、耳が痛くなるような不名誉な二つ名が聞こえてくるわけでして。
修行中、がむしゃらに努力してきたのは事実だけれど、それはそれ。
名が知れ渡るほどに『こんな自分が』と心苦しくなるわけで。
屋敷の中ではどうにも落ち着けず、椅子に腰を掛けて、膝の上で指を組む。
血液の巡りが悪いのか、指先は冷え切っていて、心臓が跳ねるのを感じる。
鼓動の音が耳障りなほどに「ドクドク」と聞こえてくる有様。
今日のためにと、ヴィオラ夫妻や三姉妹……はたまた使用人たち――
つまるところ、屋敷の人たち総出で【勇者】のお出迎えというわけなのだ。
だけれど、分家の私は胃が痛くなるような思いで、その瞬間をただ待つのみ。
レイアお姉様は苛立ちを抑えきれない様子で、しかめっ面で椅子に腰掛ける。
マリアお姉様やドロシーは大人しく落ち着き払っているけれど――
彼女たちは一体、何を考えながらこの場にいるのだろう?
ヴィオラ家のいつもの客間のはず――それなのに。
家の人たち総出っていう状況に、緊張からか視界が若干歪むみたいで。
(私はずっと昔から、緊張に弱いのですよ……。)
周りの景色が全て、ぐにゃりと揺れているような幻覚すら覚えていて。
そんな緊張の最中……ノックの音と共に、侍女に案内され現れた姿――
軽鎧に身を包んだ筋肉質で長身の騎士と、隣には【勇者】の青年。
青年は淡い金色の短髪に、青空を切り取ったみたいな綺麗な碧灰の瞳。
まるで陽光みたいな微笑の、朗らかな笑顔の青年。
おとぎの国からそのまま飛び出してきた、王子様みたいな出で立ち。
(あの方が勇者様……? なんて朗らかな笑顔。 見た目が王子様……。)
(一般的な女子でしたらイチコロでしょうね。 笑顔が眩しい……。)
白色の清廉なマントを纏う姿は、見た目の良さも相まって気品すら感じる。
朱色に金糸の刺繍が美しい、仕立ての良い衣服を上品に着こなす姿。
白と朱のコントラストが、目を眩ませるほど映えている。
腰には、勇者の証である聖剣――鞘に収まっても尚、威厳を放っていた。
勇者の背後に控える騎士――
彼もまた、人目を引くような見た目をしていて、先ず目に入るのは巨大な盾。
腰にはメイスを携えている、軽鎧の騎士様だ。
茶色の短髪で、髪色と同じ色の瞳――筋骨隆々なのが、鎧越しにも伝わる。
寡黙そうな見た目。ややぶっきらぼうな表情で、青年の後ろに控えていた。
【勇者】の青年はヴィオラ伯爵夫妻に軽く頭を下げ、丁寧に挨拶を交わす。
その後、勇者の彼は私の姿を確認した後、真っ直ぐに迷いなく歩みを寄せて――
柔らかくて朗らかで、それでいて確信めいた微笑を浮かべて距離を縮める。
「――君が聖女さんかな? お噂はかねがね! 噂通りの……。
うん。 とーってもふんわりしてて可愛らしいねっ!」
優しくて穏やかな声音。
まるで花の蜜みたいな甘さだけど、碧灰の瞳はどこか鋭さを感じる。
(これは……! 俗に言う人誑しという属性の方ですね……!)
まるで透明なガラス玉みたいな、綺麗な青空の色なのに――
内側まで見透かされているような、そんな錯覚さえ覚える視線。
こんな瞳に見つめられては、普通なら、目を逸らさずにはいられないだろう。
「傷や病をたちどころに癒して……奇跡を呼ぶ聖女さん。
そんなすごい人が、今こうして僕の目の前に本当にいるんだねぇー!」
(すごいのは一体どちらなのですか……貴方は勇者様ですよ……。)
ツッコミを入れたい気持ちはあるけど、そんな野暮なこと出来るはずなど無く。
周りの視線が痛いほどに突き刺さってて、私は最低限の動きしか出来ない。
椅子から立ち上がり、何か返答せねば……と思考するのだけど――
息が詰まって、喉からは「ひゅ」という音が鳴るだけ。
緊張からか、何もかも精一杯で、頭が真っ白の私には限界だった。
(確かに私は【聖女】であることは間違いないのだけれど……!)
自分自身、それほど有名である自覚などあるはずがない。
故に【勇者】と対峙するという、あまりにもな事柄に身体が追いつかない。
胃への負担をキリキリと感じる中、それでも頑張って紡いだ言葉。
「は、はい。 はじめまして勇者様。 私はセラフィーナ……。
セラフィーナ・ヴァイオレットと申します。」
「長い名前で恐れ入りますが、どうぞ――差し支えなければ“セラ”と。
そう、お気軽にお呼びくださいませ。」
礼儀正しかったかどうか、緊張で死にそうな私には分からない。
笑顔も多分ぎこちなかっただろうし、声も震えていたかもしれない、けど。
これまであまり人と関わってこなかったのだし、許してほしい。
「あはは……そんなに畏まらないで? 僕はノア。 ただのノアだよ?
家名だなんて立派なものも無いしさっ! でね、こっちの大きいのが――」
「騎士だッ! パルテオン・ヴァルクレストと言うッ!
緊張するこたぁねぇぞッ! ヨロシクな、聖女の嬢ちゃんッ!」
勇者誕生の話は王都中を駆け巡っていて、大変な騒動になっていた。
勿論私だって、その事は耳にしていたのだけれど――
選定の剣に選ばれた“その人”がこうして目の前にいる。
現実感があるような、ないような――ほとほと参ってしまっていた。
そもそも、こういう責任重大みたいな出来事に、対応できるほど――
私という人間は強くないし、期待されればされるほど、精神を摩耗するわけで。
改めて、自身の置かれている状況に目眩を覚えそうになる。
態度に出したつもりはなかったが、青年は軽やかな足取りで近づいてきて……。
「あの……さっきからふらふらしてるけど、大丈夫?
もしかして緊張、しているのかなぁ……? 固くならないで? えへへ……。
それにさ、平気そうに見えるかもしれないけど、僕も緊張してるしっ!」
彼は気を遣っているのか、困ったような微笑で頬を掻いている。
人間らしい一面に少しだけ、緊張の糸が解けるみたいで。
「ええっとね、僕たちは今旅の途中なんだ。 この先――
きっと争い事は避けられない……と思う。 でも、それでも。」
「君の力があれば誰も傷つかずに……いいや。
誰も死なずに済むかもしれないんだ。」
純粋無垢な碧灰の瞳に射抜かれ、不安までもが不思議と消されていくみたいで。
そうだ、そうだった――
私自身、目まぐるしい日々に流されて、大事なことを忘れかけていた。
私は大勢を救う為、これまで辛い修行を耐えて耐えて、耐え抜いてきた。
呆然としている私に、軽鎧の騎士が一歩前へと出る。
背負っているのは盾だけではなく、恐らくは“責任”もあるのだろう。
地に足がついたような、頼もしくも低い声を響かせた。
「ノアはちょいと抜けてるように見えるところもあるかもしれん。
だが、言ってる意味は分かるだろ? 戦いには癒し手が必須。
んで、嬢ちゃんは【聖女】なわけだ。 理由はそれだけじゃ不足か?」
長女のマリアーナは、優しい眼差しをこちらに向け、声を掛ける。
「まぁ……貴女なら当然でしょう?」
冷たく感じるけれど、どこかで私を誇らしげに思っているような、そんな声色。
だけどそんな長女と違い、次女は勢い良く立ち上がり声を荒げる。
「ふざけないでよっ……! なんでアンタなのよ……!アンタなんかが……!」
両親に宥められ、なんとか平常心を保とうとしている、次女のレイアーレ。
ドロシーも立ち上がり、真っ直ぐに私の元へと歩みを寄せ、手を握りしめる。
ふんわりとした微笑みを浮かべ、ゆったりとした声で語り掛けてくれた。
「やっぱりセラは神様に遊ばれてるんだねっ? 勇者なんてその証拠っ!
大丈夫だよセラ……。 セラはずーっと光ってるから!」
みんなの言葉を受け、どんどん心拍数が上がっていくみたいで。
鼓動を抑えるように、強く拳を握り込む。
瞳を閉じ……深く息を吸い込むと、しっかり――勇者たち二人の姿を見据えた。
「まだ至らぬこともありますが、それでも私なんかがお役に立てるのなら。
どんな微力なことでも、皆様のお役に立たせていただきたいと存じます。」
精一杯の言葉で気持ちを伝え、差し出された勇者の手を取る。
私には人を救う力が備わっていて、その力を求める人が目の前にいる。
それに、とっくの昔に決めていたじゃない。
人々を守るため、この力を振るうって。
【加護】を授かった十歳のあの日から、こうなる運命にあった……って。
勇者は瞳を細めて、私の手に手を重ねて微笑みを返してくれた。
「ありがとう、聖女セラさんっ! 君がいてくれるなら――
きっと、僕たちは戦い抜けるよっ!」
胸の奥で燃えていた小さな決意の灯火が、強く燃え上がった気がした。
それが奇跡の力なのか、はたまた運命なのかは、私にもまだ分からない。
◇ ◇ ◇
勇者と騎士の訪問から数日が経過。
旅立ちが正式に決まり、旅支度や、神殿や国への申請で日々を慌ただしく過ごす。
旅立ちに備え、日々動き回るがしかし、何故かそれでも実感は湧かない。
ただ、流されるままに行動をしているような……そんな気がして。
だけれど、それでも――時折、自分に課せられた責任の重さを自覚するわけで。
その度に、心臓がきゅっと締め付けられるみたいで、胸が痛くなって。
勇者の仲間となり、彼らを助けて、人々や――世界を救うのだろうか?
果たして、自分なんかが共に歩んでいけるのだろうか?
考えても仕方のないことばかりが、思考の大半を占めるみたいで。
恐らく――それが私に与えられた宿命とか、使命だとかそんなもの。
お世話になったヴィオラ伯爵家では、粛々と、準備が進められていた。
夫妻は相変わらず不干渉で冷たいけれど、最後に言葉を一つ、残してくれた。
「……お役目を果たしなさいな。」
少々冷たすぎる気もするが、それが彼らなりの餞別なのだろう。
三姉妹はそれぞれ、各人各様の“お見送り”をしてくれた。
マリアお姉様は、人の目があると相変わらず冷たい視線だけれど――
二人きりの廊下の陰で、私を呼び止めると、普段とは違う声で言葉を投げる。
「ねえ、セラフィーナ。 ちょっと、良いかしら……? お伝えしたくって。
そ、その……体調には気をつけなさい? 貴女……身体が弱いでしょう?
油断したらすぐに体調を崩すんですもの……。」
淡く染まる頬――視線は逸らしたままだけれど、恐らく心配してくれている。
やっぱり彼女は最初からツンデレだったのかな?
口角が上がりそうになるが、必死に堪えて、彼女の次の言葉を待った。
「それと、貴女。 頑張りすぎるのはよしなさい。 わたくし心配なんですの。
しっかりと周りの方々に頼って自分をもっと大事になさいな? それだけよ。」
終始視線は私に向けられることはなかった。
ぶっきらぼうで、やや拙く感じる彼女なりの叱咤。
それでも、声の震えを隠しきれていない彼女の優しさが、胸に馴染むようで。
「――マリアお姉様。」
「ずっと……私を気にかけてくださっていたこと、私……知ってます。
陰で私のことを見守ってくださって、本当に感謝しておりますの……」
精一杯の笑顔のつもりだったけれど、少しだけ泣きそうだった。
彼女の手を取り優しく握れば、とても驚いた表情をされた。
やっと、視線を私に向けてくれて――そっと抱きしめてくれて……。
(この温かさを、優しさを忘れないようにしないとですね……。)
三女ドロシー。
私が慌ただしく旅の準備をする中、彼女は私の側から離れなかった。
時折泣きそうな表情を見せるけれど、それでも笑顔を崩さず手伝ってくれた。
その間、次女は私の前に姿を現すことは無かった。
此れ見よがしに動く私の事を、ずっと疎ましく思っているのだろう。
それも彼女なりの気持ちだろうし、次期聖女だと周りから期待されたのに――
その期待を裏切られて、その上唐突に分家から【聖女】だなんて。
そりゃ、簡単に切り離すだなんてきっとできない。
悔しさとか嫉妬とか、そういう負の感情って、割り切るのが難しいのだから。
だから私は、そんな彼女の想いを汲み取ることしか出来ない。
私は彼女の前にはなるべく行かず、結局旅立ち直前まで距離を置いた。
――いよいよ出立の日。
大きな荷物と神殿から預けられた神具を手に、外へと繰り出す。
不思議なことに、この神具は普段は首飾りとして持ち運びが便利な錫杖だ。
勇者たちはすでに門の外に控えているのだという。
門へと向かう途中――後ろから聞こえてくる小さな足音。
ドロシーが泣きながら駆け出して、躓きながらも私に抱きついた。
「やだ!やだよ、セラっ……! もっと、もっとセラと一緒にお祈りして――
神様たちの笑顔に囲まれていたかったのに……うぅ……。」
小さな手で私の法衣をぎゅっと握りしめていて、彼女のその必死さ――
思わず胸を締め付けられるけど、私にはもう……進むしか出来ないから。
「ごめんねドロシー……。 でも安心して? また必ず、帰ってきますからっ!」
涙目のドロシーにつられて、思わず涙が溢れてくる。
袖で拭い微笑みを向けると、彼女もしゃくりあげて笑顔を返してくれた。
「セラはきっと帰ってくるよ? だって神様がそう言っているのだものっ!」
最後まで不思議なドロシーの言葉。
一体、彼女の目から見えている世界は、どんな色をしているのだろうか?
長いようで短かった五年という修行の期間を終え、私は屋敷を後にした。
過去を振り返れば、最初は不満とか不安ばかりで、冷たいと感じていた日々。
だけれど、いつの間にか暖かく感じられるほど、成長したのかな。
振り返って視線を屋敷へと向ける。
五年過ごしたヴィオラの屋敷は、清々しい早朝の光に包まれていて。
例え辛くって、冷たかった――そんな日々だったかもしれないけど。
でも、胸を張って言える――ここは確かに、私の居場所だったって。
「ヴィオラ伯爵家夫妻。 使用人の皆様……及び神官の方々。
みな私の為に時間を割いてくださいまして、ありがとうございました。」
「それでは【聖女】セラフィーナ。 行ってまいります。」
誰にも聞こえていないような小さな呟き。
私は屋敷を背にし、勇者と騎士の待つ場所へと歩き出した。
早朝の冷たくて優しい風が、身体を抱きしめてくれているみたいで。
まるで、これからの旅路を祝福してくれてるようで。
――どうか、この旅が、この軌跡が、誰かを救うものになりますように。
7/13 大幅加筆修正。主にPCブラウザで見やすいように調整致しました。
また、誤字脱字修正の念話、感謝感激です。




