頁:47 その【魔物】衣類キラーにつき。
先程の戦闘の余韻を僅かに残す中、慎重に道なき道を進む一同。
勇者たちの最後尾にいるアメトは、警戒を怠らずに歩みを寄せていた。
だが彼は唐突に足を止め、周囲の気配を探るように瞳を細める。
周囲の森は葉擦れの音を響かせるだけで、特段変わった様子は見られない。
しかし彼は「止まって」と一言だけ告げ、皆の足を止める。
全員が立ち止まると、アメトは全員の前へと歩み出た。
『付いて来い』と言うように、手招きのジェスチャーで皆を誘導する。
怪しさを纏わせていたが、皆は訝しむ様子で無言のまま彼について歩く。
先導され、誘われるように進んで歩き、辿り着いた場所は木々の影。
身を忍ばせ目を凝らし、視界の先のモノを見るために物陰に隠れる。
視界が開けた先の、植物の生い茂らない岩場。
そんな空間に一匹の飛竜が鎮座し、翼を畳み静かに佇んでいた。
まるで、その場所の番人であるかのように黙し、微動だにしない飛竜。
飛竜の頭部に目を向けると、その頭部は闇に覆われ虚空が広がっていた。
ひと目見て異形と分かる姿。頭部の虚空からは、どろりと黒い汚泥が滴る。
飛竜の周辺には、転々と泥溜まりが悍ましくも広がっていた。
汚泥溜まりからは「ぶくぶく」という不快な音と、嫌な匂いを放ち――
黒い瘴気の霧が立ち込め、岩場すらも腐食させる凄惨な光景。
勇者たちの角度からは見えにくかったが、その先。
飛竜が身を挺して守っていたのは、例のあの不気味な黒紫色の石。
ただし、以前の時とは違い、石から泥が溢れ落ちる様子は見られない。
アメトは眉を僅かに寄せると、なるべく小声で一同に語りかける。
「嫌な予感してたんだよネ。 コレ、ボクが持ち込んだモノじゃない。
恐らくは別の魔族だろうネェー。 悪いのだけれど……
魔族関連に関しては、ボクはキミたちに手助けは出来ない。」
アメトは瞳を細めじっと石と汚泥を観察し、小さく溜息を吐き出した。
「瘴気が濃いネー。 近づいたり触ったりしないでネ。
特に騎士様とチビっ子チャン。 キミたちは生身の人族だから余計にだヨ。」
「……ふう。 くれぐれも気を付けてネー? 聖女サマ、キミが要だヨ?」
言葉を伝えると、彼は黒紫の霧を残し、ふわりと姿を消してしまった。
『ボクは姿を視えなくさせるケド。 最低限の援護はするヨ。』
姿無き声が彷徨い、皆が顔を見合わせ頷き合い、武器に手を掛ける。
聖剣の柄に触れるノア。飛竜は一同の様子にはまだ気が付いていない。
「さて、どうしよっか皆。 向こうはまだ、僕たちに気が付いていないみたい。
でも、それも時間の問題だよね。 空を飛ぶ相手……厄介だねぇ。
ルル、さっきの雷の魔法は使えるかな?」
ノアの言葉に、ルルは紅い瞳を細め、じっと飛竜を観察。
やがて首を横に振り「使えるけど…」と頭言葉に続き、言葉を繋げた。
「やってみんと分からんけど、多分龍鱗に阻まれると思う。
飛竜じゃったら、多分あたしの魔法は通用せんと思う……やってはみる。」
「そっか…僕もだけど、パルも多分足手まといになるとおも――」
ノアは言葉途中で違和感を覚え、視線を後ろに向ける。
どうやら皆の殺気に勘付いた飛竜型の異形が、咆哮を上げ、比翼を広げた。
「《防護の祈り》はまだ続いてますっ! 《肉体強化の祈り》を祈りますっ!
それと、この距離では浄化は不可能です――っ!」
セラは錫杖を胸の前で握りしめ、呼吸を整え《祈り》の言葉を紡いだ。
彼女の言葉と共に、錫杖から淡い光が奔り、全員を包み込む。
光が身に纏ったのを確認したノアは、聖剣を抜き放ち、飛竜へと向かった。
しかしノアが辿り着く前に、飛竜は広げた比翼を羽ばたかせ、跳躍――
飛竜は咆哮のような音を上げ、汚泥を散らし、巨体を揺らし空へと舞う。
木々を揺らし葉を散らし、舞い上がった飛竜。
飛竜の飛び立った影響で、周囲には突風が吹きすさび、つむじ風が視界を襲う。
「結局飛ばれてしもうとんじゃんッ! たいぎい……あんなたけートコ……!
魔法届く気がせんのじゃけど!! でもやる!ヤケクソじゃ!」
ルルは短杖を掲げ、くるくると回し、詠唱の声を上げた。
「蒼穹の天……八重雲を糧とし、神さぶる怒号を招かんッ!
導は此処に、万物を裁く指先が今、汝の心魂を貫かん――
《テンペスタ・フルグロール》!」
ルルが唱え終わると、暗雲が立ち込め、雲間から雷光が飛竜目掛け落下。
轟音を立て、巨体に穿たれるのだが――しかし、その体躯と外皮に拒まれる。
飛竜は嘲り笑うように、悠然と旋回し、首を降る度に汚泥を散らし、森を穢す。
瞳に迷いがあったものの、セラが皆の前に出て、声を張り上げた。
「皆さんッ!! なるべく顔を伏せて、目を瞑るか覆うかしてくださいッ!
――《ディ・イルミナ》!」
錫杖を掲げ言葉を紡いだ瞬間、セラの瞳には、黄金の聖光を宿す。
彼女から白金色の粒子が溢れ、光りの粒は錫杖に収束された。
音すら通さないような眩い光に包まれ、視界が焼き解けるような――
周囲の色彩や形、すべてを飲み込むような聖光が爆ぜた。
まるで世界をも包み込むような、白金の聖光。
【聖女】の最も得意とする――否、彼女自身は“呪い”の力と感じているソレ。
遺憾無く発揮された、世界すら包み込む光は、飛竜の感覚を鈍らせる。
飛竜は羽ばたいてはいるが、真っ直ぐに飛ぶことが出来ず、空中をふらつく。
徐々にだが、その高度を落とし、それに合わせ、ノアが身を翻す。
『勇者特権……今度こそ使わせて頂くね、聖剣さん。』
『――勇者特権・起動……使用を承認――』
勇者の胸中にのみ響く、冷たく澄んだ女性の声を受け、ノアは聖剣を掲げる。
「光審一裁――…!」
聖剣を振り下ろした瞬間――天から黄金の光の円柱が飛竜へ伸び、巨体を包む。
飛竜の虚空の闇や滴る泥……その巨体総てが、光の柱に吸われ、浄化。
後に残されるのは、飛竜の残滓とも言える、灰色の煙と僅かな光りの粒。
時間の経過と共に、光の柱は次第に淡くなり、やがて空に溶け消え――
取り残されたのは、未だに瘴気を纏う不浄の黒紫石と、周囲の静寂。
黒い靄を漂わせ、不穏な空気を放つが、それでも先程の脅威は見られない。
セラが躊躇いなく石の付近まで歩みを寄せ、錫杖を掲げた。
「天にあらす我らが主よ、不浄、穢れ……
あらゆる醜穢を星の巡りの元、慈愛を以て還し給う――《ピュリタス》」
浄化の光が石を包み込むと、たちまち石はボロボロと崩れ落ちる。
形すら残さず、光の粒子となり消滅していった。
石が消滅したところで、不意に黒紫の霧を纏わせた姿が皆の前へと現れる。
今まで姿を消し、身を潜めていたアメトが、飄々とした態度で言葉を落とした。
「さっすがー。 判断が早くって助かるヨ。 これで一安心だネ。
あ、周囲は一応、ボクが探索しておいたヨー?」
「ココ以外に怪しいトコは無かったケド……
信じられないなら探索を続けたら良い。決めるのはキミたちだしネ。」
勇者ノアたちは互いに顔を見合わせ、一旦は脅威が去ったことに安堵。
「アメトさんの事は、すっごく怪しいけど、とりあえずは信じてみるよ。
でも、もう少しだけ探索してもいいかな? 結局魔物が変だって――
これだけじゃないのかもしれないしさっ!」
ノアの提案に、アメトは特に否定する様子もなく、軽い調子で了承。
念のためにと、もう少しだけ探索する為、再び森の中を歩みだした。
一同は《防護の祈り》の効果が切れているにも関わらず、警戒心を解いた。
そのまま、無防備な状態で足を進めていたのだが――彼らは、知らない。
そう――木々の上には、数匹のスライムという名の恐怖が待ち構えていることに。
◇ ◇ ◇
先頭を歩くアメトは口元を手で隠し、なにやら考え込んでいる様子。
時折ぶつぶつと独り言をつぶやき、足を動かし森を散策していた。
その背後では、先程の飛竜との戦闘が頭から抜けないのか――
こういう時に限り、全員が下を向いて歩き、周囲の警戒を解きながら歩く。
スライムが控える木の下を通り抜けようとした、その時だった。
呟きながら歩んでいるノアの肩にふと……液体がポタリと落ちてきたのだ。
「なっ――なにッ!!」
ノアが慌てて周囲を見渡し、ルルは咄嗟に視線を上に移すと、そこに、居た。
それは淡く赤色に輝く透明度が高い、周りの景色を通すような煌めきを放つ――
木の上で獲物をじっと待っていた、数匹のスライム。
「やべぇーーっ!! 木の上におる!!
服とか繊維を秒で溶かす激ヤバスライム!!」
だが後衛に居る女性陣には、残念ながらまるで被害が及んでいない。
彼女らは勇者たちから距離があり、その脅威は男性陣が請け負う事となった。
脅威のスライム体液を、なんとか払おうと暴れまわる【勇者】
彼が暴れると同時に、スライム体液は巻き散らかされ、被害を被るアメト。
一方すぐ側では、スライムの猛攻を果敢にも大盾で防ごうと画策する騎士。
だが、ノアの抵抗虚しく、騎士の大盾も無意味に等しかった。
アメトはただ、呆然と立ち尽くし、混沌と言う名の惨状をただ目に収める。
スライムの殺意は、男性陣の着用している衣類へと集中していた。
スライム体液は、彼らの纏う布という布を、軽々と溶かしていく。
「ちょっ…ちょっと!! お願い! お願いだから! 上はいいから!
上は許してあげる! だからお願いだから……下はやめてっ……!
ズボンを溶かすのは、おねがいっ……やめてぇっ……!」
最初こそ、必死に抵抗していた【勇者】ノア。しかし――
スライムは勇者という脅威を知ってか知らずか、否……知っていた。
彼の衣類に向け、体液を集中砲火――否。集中放水といった方が正確だろう。
数匹で寄ってたかって、勇者に体液を浴びせ、ノアは情けなく身を屈める。
自身を守るように、ノアは必死に身体を抱きかかえるが……。
【勇者】としての威厳と尊厳は失われ、滑稽で情けない姿を晒していた。
――しかし、スライムは容赦など無く、彼らは無慈悲な衣類の狩人だ。
勇者や騎士の可愛げのある抵抗など、脅威の前では無意味で無駄。
大盾でスライムの体液を耐え抜こうとした、騎士・パルテオン。
上半身の鎧の隙間から、弱い箇所が溶かされ、ガラガラという音を立て――
軽鎧が無惨にも地面に転がり、見る影も無く皮部分は消え失せた。
結果としては、彼の筋骨隆々な上半身が剥き出し。
おまけにスライムの液体を受け、あまりに神々しい、輝くマッチョが完成。
半魔であり、貴族でもあるアメトの服は、所々が溶けて無くなっていた。
まだかろうじて衣類という形を保っており、被害こそは少ない。
彼は一見微笑を湛えてはいたが、若干肩を震えさせ瞳には怒気が宿る。
「あのサァ。」と小さくつぶやき、手をスライムめがけて振りかざす。
「こういうのは、女性陣に――ヤってくんないカナァー……ッ!」
振りかざした腕から突風を巻き上げ、元凶をどこか遠くへとすっ飛ばした。
やがて訪れた静寂という名の混沌は、ルルの内心を踊らせるような光景。
勇者一行の衣類への被害は、あまりにも甚大だったのだ。
これでは探索も望めそうにない程で、まさに修羅場。
勇者は集中放水を食らってしまったが故、上裸であるのは勿論のこと――
下も危ういという、なんとも情けなくも哀愁漂う可哀想な状態。
騎士は下半身こそ被害は無かったものの――
上半身を剥き出しにされた上、スライム液でその身体はテッカテカ。
アメトは仕立ての良い外套だったがゆえに、その被害総額は考えたくもない。
彼はノアが暴れた時に、撒き散らかされたスライム液の被害に遭っていた。
それほどでもないが、ノアが暴れさえしなければ、彼の外套は無事だったのだ。
しかし覆水盆に返らず――外套、シャツ共に悲惨な被害で、上半身が終了。
「ヒヒッ!! コレ、まずいねー??
どうすんのサ、コレ……収拾つかないヨ? イーッヒッヒ!」
彼は衣類の被害よりもこの状況の混沌さに、お腹を抱えて笑う始末。
「ヒヒッ」と声を上げ笑い、被害のないセラやルルに尋ねる。
あまりにも心躍る混沌な光景に、ルルは目を輝かせ口元を抑えて発言。
「しらん。 ぷぷ。だって、あたしら具体的な被害ねぇもん。
っぷっぷ……クッソおもれぇ……ぐへへ。」
「大丈夫ですよ皆さん!! 私、見ておりませんから!! ほら!!」
ルルは無表情ながらも、瞳に隠しきれない愉悦を宿し、全身全霊で楽しむ。
一方セラはそっぽを向き、必死に赤くなった顔を隠していた。
可愛いほどに震え上がっており、見ていない事をこれでもかとアピール。
アメトはため息まじりに笑い、外套をノアへばさりと投げる。
ボロになったシャツを大胆にも脱ぎ、腰に巻き――何故か上裸を晒した。
「はぁー。 コレじゃ散策できないヨー? どうすんのサー?
あのスライムなぁに? 長年視察してきたケドさー……
あぁんなに、衣類に対する敵意を向けられたコトなんて無かったヨ?」
「ほら……しっかりご覧ヨ。 聖女サマ、チビっ子チャンも。
勇者サマすっごいヨ? ほぼ丸裸。 こりゃ相当……ネェ?? ヒヒッ!
騎士サマも謎に身体が輝いてるし、ボクの服もコレ。 あーあ。」
「ハァ……。 ホンット……酷いや。」
アメトの言葉に、ノアが彼の外套を握りしめる。
真っ赤に染まった顔で、どうにか抗議の声を振り絞った。
「や、やめてくださいよっ! ほ、本当に恥ずかしいんだからぁ……!」
「あたし、子爵ちゃんから貰ったスクロール持っとるしさ。
コレで一旦戻ろうぜ? なっ?」
「ああ!今すぐそうしてくれ! 俺の上半身がぬめりできもちわりい!!」
ルルの提案に騎士は耐えられなかったのか、食い気味に声を上げる。
彼女は羊皮紙を取り出すと、指先に火を灯しスクロールを燃やす。
またたく間に周囲は眩い光りに覆われ、五人の身体は宙を漂い――
気がつけばニヴェイシア邸の庭園へと、転送された。
「トホホ……まだ散策途中だったのに…ごめんねぇ…みんなぁ……。」
ノアは小さく頭を下げ、外套で全身を隠し皆に謝罪。が、なんとも頼りない。
「トホホって死語じゃね?」というルルの呟きが聞えた気がしたが……。
きっと気のせいだろう。




