頁:42 その【少年】雇われにつき。
※注意喚起
本エピソードでは、物語の演出上、拉致・拘束、等。
一部不快感を与える可能性のある言動が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
子どもに『こっち!』と、導かれるままに街中を駆ける聖女。
確かに切羽詰まったように見えていた子どもの背中のはず。
(なぜ……嫌な予感が……でも、目の前で困っている幼子を放っては――)
裾をたくし上げて必死に背中を追いかけ、石畳の路地を抜ける。
何度も、何度も――どれだけ走っても似たような景色が繰り返される。
どのくらい走っていたか、セラには知りようがない。
しかし『母親がいる』という目的地とやらは、どこなのだろうか。
終わりの見えない追いかけっこに疲れ果て、足は次第に鈍く重く沈んで――
「あの……ぼく……? おかあさん……。 どこ、かしら……?」
肩で呼吸を繰り返し、胸元を抑え子どもへと語りかける。
走っていた足は完全に止まり――少年を見つめる瞳には怪訝の色。
振り返った子どもの瞳に灯されるのは――罪悪感の火。
『――ごめんなさい……聖女さま……。』
耳に届いた言葉を最後に――視界は薄れ、ぐにゃりと歪む景色。
甲高い耳鳴りが頭に残響して、身体に冷水を浴びせられたような感覚。
(あれ――わた、し。)
膝が崩れ落ち……意識が深い闇へと堕ちていった。
――
――――……
あれ……私は一体何をしていたのでしょうか。視界が不明瞭で――
全身に感じるのは、冷たい空気と身体の重たさ。
石の床に転がされているからなのか、全身がひどく冷えている。
それに――埃っぽくて湿ったような嫌な空気。
自身が監禁されていることは、手足の自由が利かないことから察せる。
後ろに回された腕。恐らく縄のようなもので固定されて――
足首も同様にきつく縛られ、身じろぎしようがどうにも……。
口は――動く。だけれど、喉が枯れているみたいに声が……。
動かない身体に、声すら出せない……どうしたら――
私を拐かす理由が見えなくて、ただひたすら怖くって、寒くって。
凍えるような外気の温度。全身を包む倦怠感。呼吸することすらままならない。
どうにか耐えていたが、どこからか、古い扉が開かれたような軋む音。
ただ扉が開かれただけ、それだけのはずだったのに。
まるで空気が変わるような――そんな錯覚。
コツ、コツ……と、軽やかな足音が近づいて、背後に感じる気配。
「おやおやー?お目覚めカナ?気分はどーお? んー……。
ボクの魔法が効きすぎちゃってる感じだネー?良い気分じゃなさそ。」
届いた声音だけで、脳裏に冷たくも鮮明に――彼の姿が浮かぶような。
銀白金色の彼――件の怪しい貴族の青年『白金子爵』こと、ニヴェイシア。
姿を目に収めることすら恐ろしく、ただ震える聖女。
そんな彼女の前に、わざとらしく屈んで――覗き込む青年。
彼は両手をぱっと掲げて見せ、無害を装っているが……かえって不気味だった。
鉛のような身体をどうにか動かして、声を出そうと藻掻くのだが――
喉から出てくる音は声にならず、掠れたような空気の音が鳴るだけ。
「ああ……状況が状況だものネ。安心してヨ……キミに危害は加えない。」
にこやかで親しげな微笑のはずなのに――どうしてこうも。
(感情が、温度が……なにも、ないのですか――?)
「ちょっとネー?キミとだけ“お話”がしたくってネー?ああ――
こぉんな強引な手段を使っちゃって悪いネェ……?」
「キミってば、なかなか一人にならないからサー。」
理解不能だった。
普通に接してくれればよいものの、なぜこんな回りくどい真似を?
貴族であれば、普通にコンタクトを取ればよかったのでは?と。
考えれば考えるほどに理解に苦しみ、喉の奥から『ひゅ』と音が漏れる。
恐怖心で思考も呼吸も乱れ、重い身体をどうにか引きずり――
青年との距離を取ろうと身じろぎを繰り返した。
しかし青年との距離は離れるどころか、近づいていくばかり。
彼はやれやれと言いたげに、聖女の身体をそっと起こした。
「――さ、さわら……な……ッ!」
「ふう、危害を加えないと言っても、無駄みたいだネェ?」
彼は懐から小さな小瓶を取り出し、聖女の口を強引に開き――
薬液を無理矢理流し込んだ。
手で口を覆われ、吐き出そうにも叶わない。抵抗を試みるが、無駄。
「毒じゃない。ほらぁ……飲んで?ただの心を落ち着かせるおくすりだから。
飲んでくれないと……口移ししかなくなるケド?……イヤ、デショ?」
嚥下するほかなく――諦めたように液体を流し込んだ聖女。
が――薬液が喉を通り過ぎると、不思議と恐怖心が薄まり、呼吸は落ち着いた。
「まぁ……キミが望むならぁ?口移しでもなんでも、ヤってあげるケド。」
「いくらでも相手したげるし、ボクこうみえて結構モテるしぃ?
なんなら今ココで、最後までヤっちゃってあげてもいいヨォ? ヒヒッ!」
「ボクと身体を重ねられるだなんてぇ……とっても名誉なコトらしいしぃ?
あの『幽玄の白雪』と床を共にしたって……『箔』がつくんじゃなぁい?」
左手で輪を作り、右手の人差し指で抜き差し――下劣で下品……醜悪な動作。
声の調子や表情は確かに軽薄なはず。なのに、なぜ――?
(どうして、彼からは……感情というものが感じられませんの……?)
それはそう――まるで『芝居』めいた『作られた人格』のような。
「さいあく、ですっ……!わ、わたしは聖女なのですよ……っ!!」
「あなたのような、品のない冗談を……仰るような方にはッ……!
触れられたくも、ありません――あなたは、なんなのですか――ッ!?」
ぐいと近づいてくる顔。それでも感情を感じることはできない。
彼は両手をぱっと開き、手のひらをひらひらと振り――
幼子を宥めるような手つきで、セラの頭を優しく撫でた。
「ボクがなんなのか――だケド。それにはお答えするコトは出来ないネ。」
「で――ああいう軽口でも言わないと、キミはいつまでも怖がっていた。
ちがぁう?ボク……ホントは善良な貴族なんだけどネー?」
彼の言葉が、どこまで嘘か本当か。また、本気か本気ではないのか。
「それじゃあ……本題をお話するネ。」
そう言って青年は立ち上がり、片腕を後ろに回し――
もう片方は人差し指を立て、まるで秘密でも打ち明けるような仕草。
「この前……つい先日のお話だケド――
迷宮でキミたちにちょっかいをかけた怖い童女、覚えているカナ。」
「あの童女――アレ、ボクの姉サマなんだよネ。」
鼓動が一層激しく動き、動悸が止まらず視界が霞むような感覚。
(……なぜ?彼は人間、あの少女は『魔族』……どういう、こと……?)
「その怖ーい童女が恐らくキミを狙っててネ?心当たり……なぁい?
キミを貫きかけたあの短刀――覚えている、デショ?」
確かに、覚えている。油断していたこともあり――
脳裏に焼き付いて離れない、あのときの恐怖が支配する感覚。
しかし、それでも理由は理解できない。
いつ、どこで――自身があの童女の恨みを買ったというのか?
セラとの距離を縮め、再び腰を落とした青年。彼の掌には銀色の輪飾り。
彼は後ろに回り込むと、背中の方で「カチャカチャ」と音を立て――
聖女の手首に腕輪をはめ、ため息を吐き出して立ち上がった。
「ふー。これでとりあえず大丈夫……ボクにも効果の真偽は分からないケド。
ま、とりあえずは『安心』カナー?」
「ボクからキミに言えるのは、キミはもっと周囲に気を配りなネってコト。」
彼は指を鳴らし、拘束していた麻縄をあっさりと解いた。
「まったく……意味がわかりませんッ……!」
「どうして、私なのですか?それとこの腕輪は何なのですかッ!?
あなたは、なんなのですか!?なんであのとき、路地裏で私たちを――」
思い浮かんだ疑問を言葉として投げ、目の前の青年を睨む。
青年は瞳を細め――親しげな表情で顔をぐっと寄せた。
「そんなのサァ……考えてわからなぁい……?簡単、だヨ……」
吐息が掛かるほど顔を近づけられ――蠱惑的な指先で顎をなぞる。
「キミにはまだ死なれてほしくない。ボクが困るから……それダケ。」
軽薄さを残しているが、どこか真剣さを滲ませたような囁き。
彼の赤紫色の瞳からは……なぜか、悲哀も滲んでいるように感じた。
「それと、暴漢に襲われそうになっているの、黙って見てるのはネ。
貴族の紳士として、あるまじき行為……デショ?」
「それとも、ボクの手助けは不必要だったカナ?」
「もしあのままキミが襲われでもしたら――キミは心を壊しちゃうデショ?
それはボクにとってよくないコトなの。つまり利害の一致ってヤツー。」
「キミの気にしているだろう子どもだケド、ボクが雇ったダケ。
母親のコトも嘘。もう安全な場所に帰してるし、安心してネー?」
立ち上がり部屋の隅まで行くと、彼は人差し指で自身の唇を押さえ――
『ボクのコト――気になる、デショ……? ボクは待ってるから……ヒヒッ!』
と、言葉を落とし――最後まで崩さなかった、まるで道化のような微笑。
気がつけば周囲の景色の輪郭が歪み、瞬きをすれば――
そこに広がっていたのは、先ほどまでいた教会。
教会の裏庭に腰を下ろし、呆然と空を見上げて思考する聖女。
先ほどの出来事は、夢?そう錯覚するほど、清々しい空気が周囲を包む。
清潔に干された白い布。どこからともなく聞こえてくる正午を伝える鐘の音。
手首や足に縄の痕跡は見られない。だがその手首には腕輪が残っていて。
外そうとしても、まるで縫い付けられたように手首から離れない。
呼吸を整え、教会へ戻り、神父へと事情を説明し――
教会を離れ、足早に中央街を走り抜け、目指す場所は仲間のいる場所。
「はぁっ……! はぁ……っ!」




