頁:39 その【聖剣】面食いにつき。
都市の喧騒が遠くに感じる郊外。街の外れへと足を向けた勇者。
石畳の道を背に、彼が訪れたのは作物が広がる農耕地帯。
豊かな土の香りに耳触りのよい心地の良い草の音色。
彼は久方ぶりに、農夫に戻ったような気分になっていた。
目の前に広がる畑を眺め、物思いに耽るように静かに視線を落とす。
大きなため息を吐き出して『勇者とはなにか』という答えのない問を投げる。
――つい……畑まで来ちゃったけれど。
「はぁーっ……勇者。勇者、勇者……?いさましいひと?」
どうして、僕みたいな人間が【勇者】っていうものに選ばれたんだろう?
他にもっと……自分以外にも相応しい人がいたんじゃないかなって。
……『短絡的』『自殺と同義』――分かってるよ。
あの時、魔族の男の人から言われた言葉が、頭の中でぐるぐるしてて。
僕の背中に重くのしかかっているのは、称号からくる責任。
こんな僕なんかが――似つかわしくないのでは?と。
僕自身に問いかけたところで、意味もない言葉が浮かんでは沈んでいって。
胸の中で溢れてくる気持ちとか疑問は、自分自身と聖剣に対するもの。
僕は周りから『朗らかで穏やか』『能天気』『考えなし』って……。
そう言われることが多い。酷いよねぇ……?考えなしだなんて。
僕が考えてないだなんて、誰が言ったんだろうね?
僕だって色々考えていて。皆の前では理想の【勇者】像……。
僕なりに頑張ってやっているつもりだけど――わからない。
勇者のいつもの『朗らかさ』は、今は息を潜め――
曇り空のような陰りがあった。
何気なく農耕地帯を重い足取りで歩き、物思いに耽る勇者。
『顔が曇っているぞノア。 またなにか……心配事か?』
脳内で語りかけてくる冷たく澄んだ女性の声音。
「ねぇ――聖剣さんはどうして僕なんか『選定』したの?ぼくなんてさ――
何も持っていなくて、ただの農民なんだよ?」
「自分に与えられた【加護】ですらちゃんと分かっていないのに。」
聖剣の鞘に触れ、誰にも聞かせないような本音を吐露する。
僅かな沈黙が流れ――爽やかな風が農作物と勇者の間を通り抜ける。
『顔が……実に顔が良か――ゴホン。』
『我は魂を見る。 ノア……そなたの魂は実に清く、穢れがなかった。
ゆえに我はそなた――ノアに導かれたのだ。……無論顔がよかったのもある。』
清らか――確かに、言葉だけ聞けばとても聞こえが良いものだろう。
しかしノアの心には響かず、ただ自嘲気味の微笑を浮かべ、歩みを止めた。
「それってさ――“頭が悪い”の間違いじゃなあい?」
「それに僕ってさ、大勢の人とか世界を救うみたいな。そんな器じゃないよ。
自分の村を護らなきゃって。それで精一杯だったんだよ?それに、さ――」
「皆の前でいつでも笑って、僕が皆を引っ張って――って。
……もちろん僕だって頑張ってはいる……つもりだよ?でもやっぱり――」
『――僕には、荷が重たいんだよ……聖剣さん。』
最後の言葉は声にならず、ただ胸の奥で留め、再び嘆息を漏らした。
『安堵せよ。そなたの内に宿る気宇は、そなたが思うより遥かに強靭だ。』
『無謀な傲慢より……煩悶と怯弱の中にこそ、人は誠実さを宿すというもの。
自己を疑い続けるそなたの魂……それは誠の清廉さを示す証明となろう。』
勇者の弱音を受け止めるように、静かに優しく告げる聖剣。
聖剣は『それにだ……』と言葉を続けた。
『真なる悪とは――自らを正義と信じ、それを無闇に振りかざす……。
悪を自覚できぬほどの愚者を指す。そういう輩ほど実に始末が悪い。
イケメンであれば、我も多少は目を瞑ろう。』
『――そう。 イケメンであれば。』
立ち止まった道……ノアの視界に広がるのは石畳。
そっと視線を上へ投げれば、天には碧く広大な景色が広がっていた。
彼の碧灰の瞳には、同じ色の透き通る空色を宿し、三度目の吐息を漏らす。
「なんだか――やたらと顔のことが多かったねぇ……?」
「僕には聖剣さんの喋っている内容、ほとんど分からなかったよ。
……あははっ! 僕は学がないからねぇー?」
少しの間を置いて――『……ふ。』と、笑うような声音。
『勇者とは単純に剣を振るう“勇ましい者”を指し示した言葉ではない。
心で――否。魂で人を導く者を指し示す。我はそなたと共に歩もう。』
『この先――どれほどの困難が待ち受けていようとも……。』
聖剣の言葉に勇者は短く『そうだね。』とだけ応え――再び足を動かす。
胸の奥に大事にしまい込んで、仲間たちには見せなかった彼の『弱さ』――
重荷に感じていた【勇者】としての責務や使命。
のしかかった重さは少しだけ軽くなったような。
そんな気持ちで歩き出し――踵を返し街の方角へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
大図書館――その一角の小部屋。
その小部屋では、山のように積み上げられた新聞資料や歴史書が塔を成し――
塔の付近には二つの影。一つは黒ローブの青年。もう一つは道化師服の少女。
長期に渡り、空気に晒された結果、くすんでしまった書物や書類。
それらに囲まれた男――賢者バルタザール。
幾冊もの書物や資料を宙へ漂わせ、眼鏡を光らせ凝視。
活字を貪るように睨む姿は、まるで土地に縛られた亡霊。
彼の文字を追う速度は尋常ならざるもので――次から次へと書物を読み漁る。
「これは当時の時事録を纏めた資料にこちらは一体なんなのですッ?
稲作を食い荒らす小さな悪魔の群れ……なぜこんな資料が紛れ込んでッ――
おおッ!こちらは王歴六百五十年頃の記事ではありませぬかッ――?
ニヴェイシア子爵現当主は三代目ゆえ初代が活躍していた時期の記事――
ふむ――フムフムッ!!これはッ!ああッ!!何もわかりませぬ――ッ!!」
勇者たちに語る際よりも断然声は落とされていた。
しかしそれでもとにかく喋る喋る。
興奮冷めやらぬ様子で椅子を軋ませ――捲られていく紙束。
そんな彼の傍ら――賢者とは対照的にとても落ち着いている小人族。
彼女は机にカップと瓶を並べ、何やら作業に没頭していた。
彼女が作っていたのは、温かく落ち着けるような飲み物。
木のカップに注ぎ入れる乳白色のそれ――新鮮な瓶入りのミルク。
瓶の中身は沸騰しない程度に魔法で温められ、とぽとぽと木の器に注がれた。
次いで黄金色に輝く小瓶を取り出し、温めたミルクに数滴ほど垂らす。
彼女が作っていたのは、ただの温かいハニーミルク。
「賢者ちゃーん、今皆出払っておらんじゃん?じゃけぇ――
今日はあたしが助手やったげる。んでもってこれ……はい。」
無愛想な無表情で賢者へとハニーミルクを渡す小人族。
賢者はカップの中身をマジマジと見つめ『これは?』と怪訝な瞳。
「これハニーミルク。ついでに軽食も持ってきたぜー?ほいこれ。
パッサパサパンのサラダサンド。 あたし、気が利くじゃろー?」
「……??ええっとッ……皆様が不在なのは理解しておりますが――
ですがその、失礼ですがアナタのような幼子が……そのぉ――ッ」
「ワタクシがやっていることはおままごとではないのですが……ッ!
というかなぜ、ワタクシが空腹であると知って――ッ」
バルタザールの言葉は、ルルにとって水を差すようなものだった。
彼女は頬を膨らませ、彼の腰へ弱すぎる拳を立てる。
「ほんまに超失礼なやっちゃのー……あたしこうみえて二十三歳じゃけど?」
彼女の言葉に驚愕した賢者――大図書館に響く絶叫をあげてしまった。
小部屋から確認できる窓から、学生や教員……一般客の視線まで刺さる。
「おいバカタレ……こういう場所で大声出すんはご法度じゃろうが……。
ったく、賢者の名が泣きよるよ?ほら、ええけえ資料纏めんちゃい。」
「あと、あたしの名前は『ルルリカ・ルリカ』名乗りが遅れてめんご。
ルルちゃんでいいぜー?よろしくな、バルタザールちゃんよ。」
「ほれ、あたしが作ったハニーミルク、受け取りんちゃい。
ミルクだけに“見る苦”……てな。っふへ……。」
(は……はて……?ミルク……??見る苦しみということですかな……???)
賢者は一瞬眉間にしわを寄せたが――考えることを放棄。
「す、すみませぬッ……てっきりワタクシ、人族の子かと勘違いを――ッ!
となると、ルルリカ嬢は亜人種……小人族ということですなッ?」
「名前、ルルでええよ?ルルリカってなんか他人行儀じゃん?
んで――資料はこれ?ふんふん、なるほどぉ――」
一通り机に並べられた資料に目を通していった小人族の彼女。
が――読み終えたと思えば、衝撃的すぎる言葉を落とした。
「わりー、全部読めんわ。」




