その【勇者】天然につき。
ルルが魔導スクロールを呆気なく燃やしてしまったその後――
時既に完全に遅く、魔導スクロールは一瞬で灰となり、空間を漂い、灰は光の粒へ。
その粒子が集まり、やがて輪郭を描き出したかと思うと、徐々に人の形に。
そうしてそこに現れたのは、ニヴェイシア子爵本人。
片腕を天へ突き出し、腰をひねりあげる妙過ぎる姿勢――
まるで舞踏の一瞬を切り取ったような、あまりに滑稽な格好。
「――ハァ。 人が大事な視察中にサァー…。 空気読めないのキミら。
まさか、こんっっっっっなに早く喚ばれるとは、思ってもみなかったヨ。」
腕を首に回し、ポキポキと鳴らす仕草は、なんとも人間らしい姿。
ノア、パルテオン、セラは大変申し訳なさそうな顔で、眼の前の青年を眺める。
だがこの混沌を招いた本人、小人族のルル。
彼女は帽子からキューを取り出し、実にあっけらかん。
あまりに飄々とした態度に、逆に清々しさを覚えるほどの豪胆さ。
「ハァー……ンデ? 何? ボクを急いで喚びつける程の用事デショ。
――あぁ、エルドリック。 キミは席を外していい、どーもネ。」
片眉が歪んでおり、赤紫の瞳には僅かに苛立ちを宿す。
アメトリクスに退室を促され、老執事は一礼した後に、静かに去っていった。
ノアは丁寧に謝罪の言葉を伝えると、言葉を紡ぐ。
「突然、お呼び立てしてごめんなさい。 ですが、訊きたい事がありまして。
あの…薬草園にあった黒い泥について、お伺いしたくって。」
「あー、アレのことネー? ウチの姉サマが絡んでるのは分かりきってたからサ。
だから、色々思う所あって、有効性を調べてたってワケでネー?」
口調は相変わらず軽い調子なのに、どこか冷たく刺さるような声色。
彼は手のひらをひらひらと動かし、どさりと椅子に腰掛ける。
「したらサー、聖水が一番効果あったワケ。
それでも、完全な浄化には至らなくってサー。」
「ホンット、困っちゃうよネー? で、処理に困ってたからサー?
あのまま、一番の安全策を取って、瓶詰めにしてたってトコ。」
アメトリクスが椅子に腰を掛けながらも、じろりと全員を見つめ、口角を上げる。
「前にボクが石を運んだって話サ、覚えてるカナ? オブスクルーエ……
学術都市・トラメリア近郊の迷宮にあったあの泥石ー」
「あの泥を採取したモノってコトだヨー。」
彼は口元に薄く笑みを浮かべ、皆の表情を眺めながら淡々と言葉を落とす。
どことなく困ったような表情のセラ。彼女は数瞬の思考の後、視線を落とす。
彼の瞳をじっと見つめると、恐る恐る、疑問に思った事を投げた。
「も、もしかして…命令違反をした場合って、その、ニヴェイシア閣下は……」
「概ね想像通りだヨー。 消されるまでは行かなくとも――
それに準ずるコトはされるネ。 具体的には教えらんないケドー。 ヒヒッ!
まーともかくさー、ボクもまだ調べてる最中ってトコなんだヨ、結局。」
どこまでも軽い口調で、自身の命すら軽んじるような言動に、セラの心が軋む。
アメトリクスはというと、じっと――セラを含めた全員を見つめ、軽く息を付く。
「ボクの名前サー。 アメトリクス・フォン・ニヴェイシアって長すぎデショ?
敬称もいらないしサー? 気軽に“アメト”って呼んでくれて構わないヨー?
ほーら、とぉーっても呼びやすいデショ?」
柔らかい口調で、胡散臭い笑みを浮かべながらの発言に、一同皆困惑。
ルルは耐えきれず、毛玉生物キューを抱え「え…こわっ…」とひそかに呟く。
「ふう。それでー? 他に訊きたいコトある? 遠慮しなくてもいいヨー?」
皆が顔を見合わせると、ノアがちょいちょいと皆を招集。
アメトに聞こえるか聞えないかの小声で、皆に声を落とした。
「どうする?他になにか訊きたいことって、ああは言ってるけど…」
「ですが…まだ調べてる最中って仰っておりましたし…」
皆でウーンと唸っていると、アメトは「ぱん」と手を叩き、全員の視線を浴びる。
「取敢えずサ、良い時間なんだし、今日はボクのお屋敷に泊まったら良いヨー。
ボクが直々に案内するからサー? 付いておいでヨ? ネー?」
悪戯っぽい微笑みを浮かべ、軽やかに椅子から立ち上がるアメトリクス。
彼はまるで従者のような立ち振る舞いで、一同を空き部屋へと案内。
二階の一角に到着し、踵を返し全員に向き直ると、微笑を浮かべ、両手を広げた。
どこか楽しそうに周囲を歩き回り、一同に目を移しながらも、言葉を落とす。
「泊まるなら、ここの部屋たちを使ったらいいヨー? あんまり使ってないケド。
ま、使用人たちが定期的に清掃はしてる。 安心して良いヨー?」
「勿論、ボクの屋敷が不安なら、別の宿に泊まってくれても構わない。
ボクは止めもしないし、選ぶのはキミたちだからネー。」
至れり尽くせりとはまさにこの事で、全員は顔を見合わせた。
どうにも、胡散臭すぎる眼の前の青年の言葉に、疑心暗鬼になっていたのだ。
「――言い忘れてたケド、一階の一角に、大浴場があるヨー。
お湯も出るように調節してるしー。 使いたければ好きに使ってネー
男女共用だから、女性陣は入るならちゃぁんと、分かるようにしてヨー?」
「仮に鉢合わせしたとして、ボクは責任取らないからサ。 それじゃ――」
アメトはそれだけ伝え、立ち去ろうと足を動かそうとした――その時だった。
セラは跳ねるように、アメトへと駆け寄り、彼の肩を掴み上げ、何故か揺らす。
煌めく瞳に、声も今までにない程、張り上げていた。
「大浴場ですって!!!! 今、大浴場と言いましたかッ!!??」
肩を掴まれた彼は、一瞬だけ目を丸くし、状況が判断出来ない。
アメトリクスは「ン?」と小さく鳴いた後に、眉を潜める。
眼の前の、あまりに凄んでいる【聖女】に若干引き、どうにか返答を返す。
「ウ、ウン。 大浴場…あるヨ…。 さすがは聖女サマだネェ…?
綺麗好きなんだネ…。 よ、良かったら使用人に案内させるケド…」
その光景はまさに【聖女】というより完全に“勢女”の構図。
セラは満面の笑みを浮かべ、屋敷の主の肩をガクガクと揺さぶり続けていた。
――彼からしたら、かなりの恐怖映像だが、彼女はその事を知らない。
その様子を、マジマジと見ていたルルとパルテオンは、肩を揺らし笑っていた。
「ちょいおもれーな、これ。」
「ハッハッハ! さすがはうちの聖女様だなッ! ガハハ!」
一方ノアはというと、何故か赤面。頭を掻きながらも、ゆっくりと口を開いた。
「あの、ニヴェイ…ううん。アメト、さん…。
その…僕も、お風呂って…入っていいの、かなぁ…?」
控えめなノアの発言。アメトはここぞと言わんばかりに、セラから距離を取る。
口角を上げ、距離を縮め【勇者】の顔を覗き込むように、屈み込む。
蠱惑的な指先で、彼の頬に手を触れさせると、顔をぐっと寄せた。
「勇者サマと親睦を深める意味も込めて…ボクと一緒に浴場行っちゃう?
――きっとキミと入るのは面白い…だろうネ? ヒヒヒッ!」
ノアは一瞬だけ驚いたような表情を見せるが、まんざらでも無さそうに頷いた。
「えへへっ! それっ!すっごく良い提案かもっ!
僕、魔族さんの事……違うね。 あなたの事、知りたかったからさっ!」
セラは吹き出さないよう、必死に手で口を覆い隠し、なんとか笑いを耐える。
ルルとパルテオンは耐えきれなかったのか、肩を震わせ嗤っていた。
だが、言い出しっぺの彼はというと――人知れず冷や汗を流していた。
まさか“冗談のつもりだった”などと言えるはずもない。
彼はただただ、天然という光の前に、生唾を飲み込むしか、出来なかった。
◇ ◇ ◇
――【勇者】と半魔族の男二人は、何故か共に脱衣所にいた。
日常という名の鎧を外し、一糸纏わぬ姿がマナーな“非日常空間”の戦場。
勇者ノアは脱衣所に到着早々、衣類を剥ぎ取り、タオル一枚を巻いて万全の体制。
一方、隣に立つ半魔族の男、アメトはというと「本気?」と言いたげに躊躇。
「ニヴェイシアさんは服を着たまま身体を洗うのかな? どうして脱がないの?」
ノアの純粋な言葉に促されるまま、丁寧に衣類を剥ぎ取り、丁寧に畳み――
彼もまた衣類という鎧を剥ぎ取り、代わりに防御力皆無のタオルを纏う。
「いやあのサ。 悪いんだケド、本気で、ホントに、真面目に――
これからボクと一緒に浴場行くの? もう脱いじゃったけどサ……。」
タオル一枚を腰に巻いた二人。彼らは服の上からでは気が付けないが、しかし。
なかなかに素晴らしい、均整のとれた身体つきの二人。
彼らが布一枚で立ち並ぶ姿は――何故か妙に絵になっていた。
ノアが衣類を整え聖剣を立てかけ、朗らかに笑みを湛え視線を送る。
アメトはもう、苦笑いを浮かべるしか無く、不安そうにため息を吐き出す。
「もしかして……勇者サマさ。」と、不安そうな頭言葉。
「ボクをこれを機に……暗殺しようとかサ。 企てたりしてなぁい…?」
ちらりと、視線を聖剣を持っていないノアへと注ぐアメト。
しかし視線を向けられたノアは、小首を傾げ、あまりに輝く笑顔を返した。
「やだなぁ! あなたをどうこうしたいって訳じゃないよ?
この間、いきなり斬りつけたこと、謝りたかったんだぁ…。」
だからこうしてさっ! 一緒に入ってもらおうって!
ほらっ! 裸の付き合いって……言うでしょ?」
勇者ノア……彼はタオル一枚で、朗らかすぎる笑みを浮かべていた。
眩しい笑顔と、後光を射したような光りと共に、アメトに手を差し伸べる。
差し出された手を見つめ、アメトは恐る恐る手を取ると――
諦めたようにがっくりと肩を落とし、盛大なため息を吐き出していた。
かくして、二人は湯場へと歩みを進め、アメトは逃げるように洗い場の隅へ。
だがしかし、ノアは真隣に腰を掛け、にこやかに隣へと視線を向ける。
「あ、ああ……そうだネ。 これの使い方は――」
アメトから丁寧に、魔道具の使い方を教わったノア。
彼は無邪気にお湯を浴び、まるで子供の様に「きゃっきゃ」とはしゃぐ。
一旦は時間稼ぎが出来たことに、アメトは安堵の息を洩らす。
湯遊びに夢中のノアの隣で、丁寧に石鹸を泡立てる。
石鹸を濃密なほど滑らかに泡たて、その泡で全身隈無く洗い込む。
しかしそんな最中――ふと背中に触れられる、指先の感覚。
「な、何…? 距離近くなぁい…? なんで真後ろに居るのサ…?
やっぱり、暗殺企ててなぁい…? ボクちょっと…おっかないんだケド。」
「お背中を流そうと思いまして! 謝罪の意味も込めて! …だめかなぁ?」
アメトは諦めたようにノアに石鹸を渡し、項垂れるように肩を下げた。
その後……それはもう丁寧に、半魔族の背中を洗い上げる【勇者】
だが、洗われている方は気が気ではなく、青白い顔を浮かべ、じっと耐え抜く。
「謝罪っていうのが、ボクには分からないんだケドさ。
キミは何も間違えて無いヨ?」
「あの場面で、ボクに斬りかかるのって当然っていうかサ。
だからサ――ホンッット。 気にしなくて良いから、ネ??」
アメトは身体を強張らせながらも、背中の方に居るノアに声を掛ける。
「……てかいつまで洗ってるのサ…」
ぼそりと呟くが、それでもノアの手は止まらなかった。
それはもう丁寧に――まるで掌に載せるが如く、彼の背を撫で続ける。
「実はね、あの時の僕、無意識に身体が動いちゃってて…情けないねぇ。
それでね? 僕…こういう裸の付き合いっていうやつさっ!
パル以外の人とも、やってみたかったんだ!」
「あの、失礼なんですが、あなたって本当に魔族なんです? なんだかその――
あの魔族の少女みたいな感じがしないっ…ていうかさ…?」
ノアはアメトの背中で申し訳なさそうに語り、その瞳には後悔の色味が帯びていた。
アメトは「ヒヒッ」と小さく喉を鳴らし笑うと、顔をノアへと向け、笑う。
「キミはそれでいい。 今は認識阻害使ってるから、人間にみえるダケ。
本来の姿は、昼間見せた――…これが、ボクのホントの姿だヨー?」
彼はそう言うと、認識阻害を解き、本来の半魔族の姿へと容姿を変える。
肌色と目の色が変化し、こめかみには小さな黒い角が覗くその姿。
ノアは彼の姿をまじまじと見つめ、何故か二の腕や背中、脇腹を撫でる。
アメトは身を竦めつつ「え?無言でナニ?」と声を掛けるが、ノアは無視。
「魔族さんの筋肉の付き方って……すっごく綺麗ですね!! うん…良い筋肉!」
「ン?ウン…?有難う。 勇者サマもとっても良い筋肉だと思うヨ、ウン。
特に大胸筋とか、外腹斜筋とか、すごく立派、ウン。」
謎に筋肉を褒めちぎる会話に転じ、アメトは内心大混乱、ノアは笑顔。
どこかで空気のバランスが狂ってしまっていた。
しかし、ツッコミ不在の混沌とした現場で、誰もツッコまない。
アメトの身体をひとしきり味わったノアは、自身の身体も磨くと二人で湯船へ。
漸く訪れた静寂に、アメトは静かに目を閉じ、湯に身を委ねた。
ノアもまた、静かに湯に浸かり、安寧と平穏の時間が訪れる。
「お湯に浸かるのって、こんなに気持ちいいんだねぇー…すごいやぁー…
全身の疲れがお湯に溶け出していくみたいだよぉー…ふうー…」
「この湯、ボクの調合した疲労軽減効果のある薬を使った、薬湯だからネ。
従業員が少ないからサ。 こういう所で疲れを癒やさないとネー、ヒヒッ」
アメトは得意げに声を出し、再び静寂が訪れた――と思っていた。
「アメトさん……す、すっごく立派ですね!ソレ!」
ノアの目線の先は、アメトの男性の象徴……と見せかけて――
腸骨筋から大腿直筋にかけての、際どいが過ぎる筋肉を、まじまじと凝視。
――だが、見られている本人は、その事実を知る由もない。
「ちょ、チョット…?? ボクたち、ほぼ初対面だよネ?
昼間に“初めまして”の挨拶を交わしたばかりだよネ?」
「ジロジロ見るのは失礼じゃなぁい…?? さすがに恥ずかしいヨ???」
下半身を両手で慌てて隠し、内股になりながら湯に沈み込む半魔族。
実に滑稽で実に情けなく、乙女さながらな姿を晒す彼の尊厳は、彼方へ。
おそらく数百年生きてきて、初めて取るであろう、羞恥のポーズ。
ノアは無邪気に朗らかに、呑気に――なんの邪気もなく、微笑みを湛える。
「え? でもパルと水浴びしたときもさ、立派だねってお話をしたよ?」
筋肉の話――そう、あくまで筋肉の話。
だが、ノアの主語は完全に抜け落ち、アメトには伝わらない。
また、ノアの視線は相変わらず彼の下半身に落とされており、状況は最悪だった。
アメトは「ン…ウン……ンン…。」と低く唸り、頭を抱える他、なかった。
その場に漂うのは、薬湯の香りと、湯気――そして男二人の謎の距離感。
アメトはただただ、湯に身を委ね、この天然すぎる勇者に翻弄されていた。
(もしかして、ボク――とんでも無いお客人を招いちゃった…?)




