その【貴族】苦労人につき。
ニヴェイシア家当主、アメトリクスが薄気味悪い笑みを残し、立ち去った後。
残された空気は、息をすることすら憚られる程、重く淀んでいた。
ノアが口を開こうとしたタイミングで「コンコン」と、静かなノック音が響く。
続けて老齢の男声が響き「――失礼致します」という言葉が、室内へ届けられた。
扉を開き、現れたのは、先程の老執事。ピンとした姿勢、乱れぬ所作で丁寧な一礼。
頭を下げたまま、柔らかく耳心地の良い声で、一同へと語りかける。
「旦那様より、お話は伺っております。 一先ずは、お屋敷の見学など――
私でよろしければ、当屋敷のご案内をさせて頂きますゆえ。」
老執事からの提案に、ノアは後ろにいる全員へと、視線を落とす。
ルル、パルテオンの二人は視線をセラへと向け、二人は聖女の言葉を待つ姿勢。
「わっ、私ですかっ!? ええっと、ではお言葉に甘えて、お屋敷の見学を…」
そうして老執事の案内のもと、屋敷を散策する事になった一同。
木の床を、コツコツという複数の靴音を周囲に響かせ、生活圏内を見て回る。
使用人が使っている部屋、来賓室、広間、複数の客間に寝室――
何ら変哲もない、おかしな所が一つもない、普通の屋敷に皆拍子抜け。
しかし一室だけ、案内されてない部屋があり、セラが老執事に質問を投げる。
「あの、あちらの扉の向こうのお部屋は…?」
「あちらでございますか? あちらは、旦那様の書斎兼私室となっております。
ご入室はお控えくださいますよう。 では、次は一階をご案内致しましょうか?」
老執事に一階部分を案内してもらおうと、ノアが口を開くが――また止められた。
今度は耳に装着した魔道具。賢者との遠距離での会話が可能な耳飾り。
その魔道具から「プツッ」と音が聞こえたかと思うと、間の抜けた声が響く。
『――ス、スミマセヌッ!!! 大事な時に、眠っておりましたッ!!
ええと、今はどちらにいらっしゃいますか皆さまッッ!!』
パルテオンの肩が、がくりと落ち、彼は「お前な…」と呆れたように呟く。
ルルがジト目で「寝とったんかよ…」と、ため息を落とし、さり気なく懐を弄る。
バルタザールから預けられた片眼鏡を、そっと鼻に掛けた。
「賢者ちゃんー、あたし、モノクル掛けてっから、なんかあったらよろー。」
禁書庫内で声を張り上げているのか、賢者の『お任せあれッ!』という言葉が響く。
続けて、ノアが困ったような引き攣った笑みを浮かべ、経緯を賢者へと説明。
すると耳飾り越しから、とても威勢のいい、元気いっぱいの声が返ってきた。
『でしたらッ!! 研究部屋、調剤部屋、薬品の保管庫等ッ!!!
そちらをお調べになっては、如何でしょうかッ!!』
「ええっと、研究部屋、もしくは薬品の保管庫とかはあるんでしょうか?」
バルタザールに指示されるままに、老執事に伝えるノア。
老執事は「畏まりました」と一言だけ伝え、滑らかな動作で背を向ける。
長い廊下を抜け、階段を下り、しばらく歩き、裏庭に続く扉を開けた。
老執事に案内されるがままに、付いて歩く一同。
裏庭は、規模はそう大きくない。しかし、さすがは貴族の屋敷と言った様相。
そうして、案内され辿り着いたのは、全面ガラス張りの植物園。
薄暮の光が天井のガラスを透かし、整然に活けられた草花がゆるやかに揺れる。
「す、すごく綺麗な場所ですねっ…!」
セラが胸の前で手を合わせ、うっとりとした目で、周囲を見渡す。
瞳に映るのは複数の緑の陰、様々な色の美しい花々――
「ホホホ。こちらは薬草園を兼ねました、旦那様ご自身の調剤室にございます。
育てられております草花は、いずれも貴重な品にございますゆえ。
どうか、お手は触れられませぬよう。」
「旦那様自ら、日々管理なさっておいでです。
ここまで育て上げられた品々にございますれば、我ら使用人ですら――」
「育成には深く携わっておりません。」
老執事は一同に気を遣い、なるべく全貌が把握できるように、一歩ニ歩と下がる。
周囲を見渡し、安心させるような穏やかな声色で、言葉を繋げた。
「ご質問を頂きましても、私では答え兼ねますゆえ……。
何か御用がお有りでしたら、旦那様へ直接お尋ね頂ければと、存じます。」
使用人ですら、育成と管理には携わっていない。
その老執事の言葉に、思わずノアの眉が僅かに動く。
不審に思ったのは、ノアだけではなく、パルテオンも同じ思いだった。
彼らは途端に怪訝な表情を浮かべ、視線を交わし、目線だけで思いを伝え合う。
ガラス張りの植物園の奥へ通されると、そこは小さな空間。どうやら調剤室らしい。
机の上にはビーカーや天秤、乾燥棚や蒸留器など、様々な道具が並ぶ。
彼が薬学の造詣に深いというのは、本当だったのかと、染み染み感じさせる空間。
「ちょっ…これ! ヒーリアじゃないですかっ! 霊草なのですよ……?
この国では、すごく貴重なのですっ! こんなに葉がついてるなんて……!
ありえませんっ……! ここ、どうなっているのですかっ……?」
「おーー! これ、うちの集落にアホほど咲いとるやつ! なつかしーぜ。」
セラとルルは、二人して嬉しそうに草花を眺め「きゃっきゃ」と楽しそうにはしゃぐ。
ルルは集落にあるという、大輪の深紅の薔薇を指差し、懐かしそうに見つめていた。
「ああー! あの、狂い咲きしてた薔薇だねぇ?
でも、どうしてこんな所にあるんだろう…? 薬の材料…?」
「この薔薇なー。 ブラディアローズちゅーんだぜ。
花の蜜がめっっっちゃ甘くって。 ちょー美味ーの。
でも、一つ難点があってよー…あたしらは平気なんだけど――」
ルルは少しだけ言い淀み、どうにか言葉を探している様子で、しばらく思案。
唸った後に出した言葉は、かなり濁した言葉で、なんとか一同に伝えた。
「これ舐めたら、血が元気になっちまうんだよな。
すげー色んな意味で活力漲るんだぜー。 まぁ、とにかく、元気になる。」
ルルの説明を受けても、ノアは意味が理解が出来なかったらしい。
「元気になるなら良いのでは?」という空気で、その薔薇をじっくりと観察。
しかし、パルテオン、セラの二人は、完全にその“意味”を理解してしまった。
ノアは感心し、ルルの言うブラディアローズなるものを見つめ、顔を近づける。
どうやら匂いを嗅いでいる様子で、その様子を二人は、不安そうに見つめていた。
「――なぁ、これ。」
というルルの声と共に彼女が机の下から、箱をずるずると皆の前へ引きずり出した。
箱の中身は、びっしりと並んだ小瓶の列。どうやら薬の保管場所らしい。
瓶一つ一つに、丁寧にラベルが貼られており、ひと目見て分かるようになっていた。
[傷薬(低品質)]
[傷薬(高品質)]
[氣力回復薬]
[氣力活性剤]
[魔力回復薬]
[魔力活性剤]
そして、ひときわ異彩を放つ小瓶――[不浄の黒泥(見本)]
ルルがその小瓶を机に出すと、一瞬で空気が凍り付くような、冷え込むような錯覚。
セラは小さく肩を震わせ、パルテオンが低く唸り、ノアが視線を落とす。
「こいつぁ、あの石の泥ちゅーことか…? なんでんなもんこんな所に…ッ!」
「あのさ、あの魔族の女の子、えっと子爵さんのお姉さんだっけ?
彼女が言っていなかったかな? ほらさ…?」
「確か…“リンの魔力と血液を吸って”……って。」
ノアはそう言うと、小瓶を手に取り、中身をじっと観察。
黒の中に紫がかった靄が、まるで生き物のように、瓶の中で蠢いていた。
『ふむッ、そちらが例の黒泥ですなッ…? ウゥム、少々をお時間を頂きますッ』
どうやら、ルルの掛けていたモノクル越しに、その光景を見ていたであろう賢者。
耳飾り越しに彼の声が聞えてきたが、すぐに「プツリ」と音を立て――
禁書庫からの音声は、音を拾わなくなったのか、何も聞こえなくなった。
しばらく眺めていたノアだったが、特に何か判明するわけでもない。
すると腰に下げていた聖剣から、澄んだ冷たい女声がノアの脳内に響き渡る。
『この黒泥事態が、魔族の少女が生み出した魔力であろうな。 瘴気は――
そうさな、魔族特有の血液が由来……と見て間違いないであろう。』
「これは、直接子爵さんにお話を聞いたほうが、良さそうだね。」
ノアのその言葉に、全員の視線が交わされ、気がつけばいつの間にやら――
外は橙色から群青へ、夜の帳が静かに彼らの背に落とされていた。
◇ ◇ ◇
老執事に案内され、一先ずは一旦、屋敷の広間へと集まった一同。
豪華な絨毯に重厚なカーテン、淡く揺れるランプの光が部屋を優しく照らす。
ノアが老執事に一言断り、控えめに口を開きつつ、質問を投げた。
「あの、お尋ねしたいのですが……。子爵さんは今、どちらに……?」
「旦那様は現在、交易都市近郊にて、魔物の調査へ赴かれている頃かと存じます。
ですが、急ぎの御用がございました際には――
こちらを燃やすようにと、仰せつかっております。」
老執事は落ち着いた様子でノアの質問へ回答し、彼に一枚の羊皮紙を手渡す。
差し出された羊皮紙を見つめると、なにやら複雑怪奇な魔法陣が描かれていた。
「あの、これは、一体――」
ノアが羊皮紙を不思議そうに見つめ、再び老執事へと質問を投げる。
老執事は「おっと、失礼」と一言落とし、質問に応えるように、言葉を続けた。
「こちらは、“魔導スクロール”と呼ばれる代物にございます。
燃やすことで発動し、魔術が行使される……と、旦那様より伺っております。」
「不安に思われるようでしたら、無理にお使い頂かずとも結構にございます。」
老執事の言葉に、ノアが「どうする?」と皆に顔を向け、判断を仰ぐ。
「流石に勝手に燃やしちまうのはなぁ… しかも効果分からねぇんだろ?
困ったら燃やせって…何が起こるか分かったもんじゃねぇってのがなぁ…」
「そうですね…。 とりあえず、ニヴェイシア閣下がお戻りになるまで……
こちらで、お屋敷の様子を探りながら、お待ちしたほうが――」
セラが皆に待ったをかけ、パルテオンがノアの手元を見る。
確かに、ノアの手に握られていたはずの羊皮紙……だったが。
まるで暗殺者が如く、素早い手つきで、ルルの手に羊皮紙が握られており――
「ソイヤー!」
謎の掛け声と共に、彼女はあまりにもあっさり、自身の特技である魔法を行使。
手にした羊皮紙を、とても呆気なく、燃やしてしまったのだった。
「「ちょおおおおおおおおっ!?」」
ノアとパルテオンは、二人同時に絶叫し倒し、あたふたと暴れる。
そんな仲間の様子に、セラは一歩後退り、情報量の多さに硬直。
流れるような混沌の光景を、ただ見つめることしか、出来ないでいた。
「考えてもみんさい。 急ぎの用があれば、燃やせって話じゃろ?
つまりってーとあの紙は、子爵ちゃんを呼びつけるって事だぜー?」
ルルの考察は完全に正解を引いていたのたが、皆は慌てふためくばかり。
彼女の言葉など聞こえていない様子で、部屋の内部をバタバタと暴れ周る。
老執事はというと、穏やかな眼差しで「ホッホッホ」と静かに見守る。
アメトリクスの最初のお願い“屋敷は壊さないで”が、早速反故にされかけていた。




