その【少年】雇われにつき。
※注意喚起
本エピソードでは、物語の演出上、拉致・拘束、等。
一部不快感を与える可能性のある言動が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
「こっちだよ」と少年に導かれるままに、セラは街中をひた走る。
切羽詰まったように見えた少年の背中は、どこか誘われているようにも感じられる。
裾をたくし上げ、必死に少年を追いかけ、石畳の路地を抜け、小路を渡り――
また同じような石畳の道に戻り、走っても走っても、似たような景色が繰り返されるばかり。
どの位そうしていたか分からないが、母親が居るという目的地とやらは、まるで見えてこない。
終わりの見えない追いかけっこに疲れ果て、セラの足は次第に鈍く重く、沈み込んでいった。
「あの、おかあさんは、どこ……かなっ…?」
胸中を駆け巡る、言いようのない不安感が襲い、肩で呼吸をするセラ。
走っていた足は完全に制止し、少年を眺める瞳には、怪訝の色が宿る。
少年が振り返り、セラを真っ直ぐに見据えるが、その瞳には罪悪感の火。
「――ごめんなさい、聖女さま…。」
その一言を最後に、セラの視界は黒く塗りつぶされ、視界がぐにゃりと歪んだ。
甲高い耳鳴りが頭に響き、身体に冷水を浴びせられたような嫌な感覚。
膝が崩れ落ち、意識が深い闇へと落ちていった。
――
――――……
しばらくしてから目を覚ますと、全身に伝わるのは、冷たい空気と身体の重さ。
石床のひやりとした感覚。埃っぽく湿った嫌な空気。
腕は後ろに回され、縄のような物で固定され、自由に動かせない。
足首も同様にきつく縛られており、身動ぎするがどうにもならなかった。
だが幸いなことに、口には何もされておらず、声は出せる状況。
しかしながら、身体がまるで鉛が如く、動かそうにも動かず、声も出せない。
(な、なに、これ…鎮静の魔術…? それか薬…でしょうか…倦怠感が…)
動けず、声も出せず、浅く呼吸を繰り返し、必死に自身を落ち着かせる。
するとどこからか軋む音を響かせ、扉が開く音が聞えてきた。
扉が開かれただけだというのに、空気が変わるような錯覚を覚える。
軽やかな足音だが、部屋の空気を支配するような、奇妙な圧力。
「おやおやー? お目覚めカナ? 気分はどーお、聖女サマー?
んー…ボクの魔法、効きすぎてるネェ? いい気分って感じじゃ無さそ。」
銀白金を後ろに一つに束ねた長髪。
怪しく光る赤紫の瞳、例のあの怪しい貴族の男。
アメトリクス・フォン・ニヴェイシア。
彼は両手をぱっと掲げ、一見無害を装うが、その不気味な笑顔はかえって恐怖を煽った。
セラは鉛のような身体を動かし、どうにか声を出そうと藻掻くが、掠れた音が鳴るのみ。
「あー。 状況が状況だものネ。 安心して、危害を加えるつもりは毛頭ないヨ?
――ちょっとネー? キミとだけ“お話”がしたくってサ。 強引でごめんネェー?
キミが一人になる瞬間を、ずっと見計らってたって訳だヨー? ヒヒッ!」
セラの喉が「ひゅっ」と鳴り、恐怖心からか呼吸が乱れていく。
アメトリクスはセラの付近まで身を寄せ、彼女の身体をそっと起こす。
「――さっ、さわら、な…」
なんとか言葉を絞り出したが、彼はまるで何も気にしていない様子。
眉を下げ、軽く肩を持ち上げ、困ったような笑みを浮かべた。
「やれやれー」と、面倒そうな声を出したと思えば、セラの前に屈み込む。
懐から小さな瓶を取り出し、蓋を開け強引にセラの口を開かせ、薬液を流し込んだ。
吐き出したかったが、口を手で覆われ、思わず首を振り抵抗を試みるが――
「毒じゃない。 ほら、飲んで。 ただの心を落ち着かせる薬。
飲んでくれないと、口移ししかなくなるケド? ――嫌デショ?」
無理やりに嚥下させられたが、喉を通り過ぎる頃には、不思議と恐怖心が薄まった。
彼は一息付くと小瓶を懐に戻し、胡散臭い笑顔を湛え、言葉を続ける。
「――まぁ、キミが望むならぁ? 口移しでもなんでも、ヤってあげるヨォ?
いくらでも相手したげるし、ボクこうみえて結構モテるしぃー?
なんなら今ココで、最後までヤっちゃってあげても良いヨォ? ィヒヒッ!」
「ボクと身体を重ねられるだなんて、とーっても、名誉なコトだしネェ? ヒヒッ!
あの幽玄の白雪と床を共にしたって…――“箔”が付くんじゃなぁい?」
左手で輪を作り、右手の人差し指で、抜き差し――下劣で醜悪で下品な動作。
だが、それでも感情というものが、まるで乗せられていない薄ら笑い。
言葉もそうだが、表情からも何も感じ取ることが出来ない調子。
どこか“芝居めいた不気味さ”を感じる仕草に言葉。下品であるはずなのに――
彼がやることで、それ以上の恐怖心を植え付けられるようで、セラの身体は自然と震える。
恐怖心は確かにあったが、これだけは伝えなければと、口を開き声を出す。
「――最悪です…! わ、わたしは…聖女なのですよっ!!
あなたのような…品のない冗談を言う方には、触れられたくもありませんっ……!」
彼は顔をぐいと近づけ「ヒヒッ」と小さく笑うと、表情を改め両手をぱっと開く。
掌をひらひらと振り、誂うようにセラの頭を優しく撫でた。
「ごめんネー? でもさぁ、ああいう軽口でも言わないと、キミ……
いつまでも怖がってたデショー? ボク、ホントは善良な貴族なんだけどネー?
それじゃ、本題にはいろっかー」
軽薄な声色。何処までが本気で、何処までが本気ではないのか、まるで読めない。
彼は立ち上がり、片手を後ろに回し、もう片方の手で人差し指を立てる。
まるで秘密でも打ち明けるように、くすくすと笑いながら、声を落としていく。
「この前サー、迷宮でキミたちにちょっかいかけた、怖ーい童女…覚えてる?
あの童女サー…アレ、ボクの姉サマなんだよネー。」
鼓動が一層激しく動き、動悸が止まらず、視界が霞んでいく。
「あの怖ーい童女がネ、多分キミを狙っててサ。 心当たり、なぁい?
キミに向けられた、あのナイフ。 覚えてるデショー?」
確かに、ナイフを投げられたことは覚えてはいる、いるのだが――
セラは全く理解できず、自分があの童女に一体何をしたというのか?と自問自答。
アメトリクスはゆるりとセラに近寄り、再び腰を落とす。
掌に小さな銀の輪飾りを転がして見せると、にこりと胡散臭く微笑んだ。
彼は彼女の後ろに回ると背中の方で、なにやらカチャカチャと音を立て――
セラの手首に腕輪をはめ、ため息を付き再び立ち上がる。
「ウーン。 多分これでいいケド。 ボクにも効果の真偽わかんないからネー。
とりあえずは“安心”できると思うヨー。 まーでも、ホントわからないや。
ボクから言えるのはサー? もっと周囲に気を配りなネってコト。」
彼は、指を軽やかに鳴らすと、麻縄が音もなく解け、はらりと床に散らばった。
「全く、意味がわかりません…! ど、どうして私に…っ? …それと――
この腕輪は何なのですかっ? それに、あの時――路地裏で…
どうして、私たちを助けたのですかっ!」
思ったことを言葉として投げ、眼の前の青年――アメトリクスを睨む。
青年は目を細め、笑っているような顔を浮かべ、膝をつき、顔を近づける。
「――理由? そんなのサー、考えてわからなぁい? 簡単だヨ?」
吐息が掛かるほど顔を近づけられ、蠱惑的な指先で、聖女の顎をなぞる。
「キミには、まだ死なれて欲しくない。 ボクが困るからサァ…それダケ。
あーそれと、暴漢に襲われそうになってるの、黙って見てるのはチョットねー
“貴族の紳士”としてあるまじき行為デショー? それとも、手出し不要だったカナ?」
軽薄さを残しつつも、どこか真剣さを滲ませた声色で、囁きを落とす。
何も言えず意味もわからず、セラはただただ、固まるばかりだった。
「もしあのまま、キミが襲われでもしたら……キミの心、壊れちゃうデショー?
それはボクにとっても良くないし? 利害の一致ってヤツー。」
彼は背すじを伸ばし、人差し指で自身の唇を押さえつつ、再び胡散臭く微笑む。
「キミの気にしている子供だケド、ボクが雇ったダケ。 母親の事も嘘。
もう安全な場所に返してるし安心していいヨー? ボクに逢いたいならサ――
いつでも歓迎だヨー? じゃ、待ってるネェ…? イヒヒッ!」
ひらひらと手を振り、最後まで軽薄さを振りまき――また世界が揺らいだ。
空気が波打つような、不快感に輪郭が揺らいでいき、視界がぼやける。
瞬きをすると、そこに広がる光景は、何事もなかったかのように、先程まで居た教会。
その裏庭に、腰を下ろし、呆然と空を見上げ思考する。
――先程の出来事は、夢だったのだろうか。
そう、錯覚するほどの清々しい空気が周囲を包む。
清潔に干された白い布が風に揺られ、何処からともなく、聞えてくる鐘の音。
手首や足に縄の痕跡などはなかったが、その腕には金属の腕輪がはめられたまま。
外そうと試みるが、まるで縫い付けられたように手首から離れない。
胸に手を押し当て、必死に呼吸を整えながら教会へ戻る。
神父に体調が悪いことを伝え、教会を離れ、足早に中央街――
皆の待つであろう、大図書館へと駆け出して行く。
「はぁっ…!はぁ…っ…!」
冷たく光る腕輪が、かすかに脈打ち、まるで先程の彼の視線が絡みつくような悪寒。
その余韻が残っているかのように、手首に纏わりついていた。




