頁:20 その【青年】胡乱の微笑につき。
おかしいと言われていた場所まで、急ぎ足で向かっていた僕たち。
森に向かうでもなく――道中から感じる嫌な空気。
周りの空気が淀んでいるみたいに重くって……嫌な予感がする。
原因はすぐに分かった。
足元の草が黒く濁って変色していて、腐っているみたいな……。
熟れた大地から、黒くて紫色の靄がじわじわ溢れてて。
その原因となっているのは、目の前で蠢いて群れている虫のような――
(あの虫たちから泥が落ちてて、地を汚してる……ッ!)
――細々とした八足を器用に操り、鉤爪のような爪で大地を抉る。
さながら、獲物を求め彷徨い歩く、飢えた怪異そのものの『蜘蛛』
頭部は穿たれたように虚空が広がり、闇からは涎のように垂れる何か。
何かが滴ると同時、大地が腐食し、この悍ましい地獄を作り上げていた。
「デケェ蜘蛛型の魔物の群れだな。んでもって昨日のヤツと同じだ。」
「顔が無いけ、騎士ちゃんが持っとる石と関連性があるじゃろうね。」
パルたちは戦闘態勢に入っているみたいだけど……。
聖女さん……様子がおかしい?顔色が――どうして?何が原因……?
何かブツブツと呟いているみたいだけど……僕には音が届かない……ッ!
「セラッ!!どうしたのっ!しっかりし――」
「――ッ……!こっちに、来ないでッッ!」
瞬間――僕の目に映ったのは、彼女から放たれた強烈な閃光。
僕には一体、何が起こったのか理解できなかった。
◆ ◆ ◆
皆さんが……戦いに移ろうとしてらっしゃる、それなのに――
聖女である私が、動かずにどうするというのですか……ッ!
胸の中では硬く決意しているはずですのに、どうして、身体が……!
息が苦しい。空気を取り込もうとしているはずですのに、足りません。
ひどい動悸。胸の奥では疼くみたいに痛みが奔っていて。
それでも、癒し手である【聖女】の私が、わたしがやらないでどうするの?
私を送り出してくれた司祭や神官の皆様に、顔向けができません。
たかが、蜘蛛――それだけですのに。どうして、どうして?
なんで……なんで私は、あれを克服できませんの――
視界は霞んでいて、目を背けてはいけないと、目を開くのに。
でも――現実はそう甘くありませんでした。
全身からは血の気が引いていって、意識が後ろへ引っ張られるみたいな。
理性では今は恐れている場合ではないと、分かっておりますのに。
ですが……このときの私は、思考が恐怖で染まっていて。
冷静な判断が下せなかったのです。
『セラッ!!どうしたのっ!しっかりし――』
誰かが叫んでいるお声が聞こえてますが……私を呼びかけてらっしゃるの?
今すぐ、この場を、どうにか――どうにか、いたしませんと。
「……て、天にあら、すッ……わ、我らが、しゅよ……ほ、ほしッ……!」
呼吸が乱れて、まともに《祈り》すら紡げない私には、無謀な試みでした。
嘲笑うように八足を動かす蜘蛛――じわりじわりとにじり寄る『恐怖』
「――ッ……!こっちに、来ないでッッ!」
刹那――彼女の身体からは虹色の粒子が爆ぜ、聖光が視界を奪った。
漂白されていくような、鮮烈な金色の衝撃が世界に奔る。
しかしその聖光は一瞬だけの儚い光。
やがて「どさり」という音とともに、力なく倒れる聖女の姿。
意識を手放してしまった彼女の付近には、無惨にも錫杖が転がっていた。
彼女の放った《浄化》の力は――
黒い靄を纏い、腐食していた土地や、蜘蛛型の魔物たち。
それら全てを無に還すほどの凄まじい力。
彼女の発した力によって、空気は清浄と化し、虹色の粒子を漂う空間。
清々しい空気が広がる中――聖女の力に戦慄する勇者たち。
呆然と立ち尽くしていた彼らの耳に届けられる音――
『――ぱち……ぱち……』
と、一定の間隔で鳴らされる音に、全員が振り返った。
振り返った先に居たのは、銀白金の長髪を後ろで束ねた青年。
陽光を受け、毛髪は金色に揺らめき、まるで幽玄を体現したかのような姿。
微笑を湛えているはずだが、温度を感じない凍りついた笑み。
「イヤァ……すっごいネー?此度のヴィオラの【聖女】サマ。」
軽薄な調子のはず――それなのに、だ。
感情が乗っているようで乗っていない不気味な声音。
「面倒な魔物と不浄の黒石――処分してくれてどーもアリガトー。
処理したのはそちらの【聖女】サマだネ?」
「助かったケド、同時にざんねぇん。」
「だってコレじゃぁ、石のコト、なぁんも分からないよネェー? ヒヒッ!」
銀白金色の青年は親しげに軽く語りかけるのだが――
軽い声とは裏腹に、言葉はどこか、一同の精神に重くのしかかる。
誰しもが異質な青年に対し、言葉を出すことが出来ずに黙していた。
「おめェは……あんときの胡散臭ェ貴族の――ア、アモ……ッ」
「ニヴェイシアだなッ!何しにここまで来やがった……ッ!
一体おめぇは何を知ってやがる……ッ! どうして石の存在を――」
「大盾の騎士サマぁ……?」
「吠えるのもイイケド。 キミの持ってる石、ソッチも――
綺麗さっぱり、浄化されてるみたいだヨ?気づいてたぁ?」
「ヒヒッ……!安心安心一安心……だネ? イヒヒッ……!」
異質な青年の存在に、一同は動くことすら許されない。
青年から放たれる静謐と言う名の『圧力』の前では、何も出来なかった。
全員が青年へと視線を流すが、彼は気にすることなく草原を歩く。
やがて――ふと立ち止まり『そうそう。』と切り出した青年。
「言いそびれていたケド、あの黒い泥の石。 被害を抑えるなら浄化だヨ。
そこの倒れてる彼女が起き上がったら、伝えておいてネ?それじゃ。」
「ボクは――これにて……ヒヒッ!」
その言葉を最後に、彼の姿はまるで蜃気楼のように黒紫の霧を残し――
跡形もなく消え失せた。
『ボクのコトさぁ……気になるのなら直接訪ねておいでヨ?ヒヒッ……!』
明るい仕草、明るい声色、明るい表情のはずだった。
しかし彼の得体のしれない独特の空気。
彼が消えてもなお――皆の心には凍るような温度を残していた。




