頁:84 ネリアノクティリス
ドタバタした翌日――
早朝の広間では、賢者がとある書物の解析を進めているところだ。
そんな広間に最初に姿を表したのは、聖女であるセラフィーナ。
「おはようございます、バルタザール様。 今朝もお早いですね。」
柔らかな声で挨拶の言葉を落とし、賢者は念動で浮かせていた書物を落とす。
机に整然と並べ立て、メガネを掛け直し、顔を聖女へと向き直した。
「朝のご挨拶を申し上げますぞッ! 聖女殿ッ!
それで――お聞きしたいのですがッ……昨晩なにやらッ……。」
「凄まじい音が聞こえてきていたのですがッ……?
まるで幼児の癇癪のようなッ……凄まじい鳴き声が――」
返答に詰まったセラ。彼女は唇に指を当てて思考するが……。
やがて『見てもらったほうが早い』と結論づけ、首を横に振った。
「そう、ですね。 恐らく今日中には理由が分かります。 詳しくは……。
ニヴェイシア閣下から話があるかと……。」
どこか遠くへと視線を投げ、セラはそれ以上の説明をやめた。
が――その時は唐突に訪れた。
燃えるような赤髪が美しい女性を、荷物のように抱えた屋敷の主――
彼が無言で黒紫の霧を纏い広間へと出現し、ソファへ女性の身体を投げた。
賢者は何事かと、投げられた女性と、屋敷の主を交互に見つめる。
メガネを外して丁寧に拭き、もう一度女性を凝視し、首を傾げた。
「アー……。 賢者サマ。 気になるデショ……ウン……。
後でしっかりボクからお話する、からサ……。」
屋敷の主の目元にはうっすらと隈が滲み、どこかぎこちない笑顔。
声の調子もいつもより重く彼の顔には『心労』の二文字が浮かんでいた。
やがて時間の経過とともに、勇者一行の面々が広間へと集まったが――
ノアは『どなた?』と赤髪の女性を見つめ、パルテオンは無言で眉を寄せる。
が――ルルだけは違った。
彼女は魔力を体内に内包しているためか……。
ソファに横たわるこの女性の力を、肌で感じ取っていたのだ。
露骨に瞳には恐怖の色が滲み、無表情ではあるが、どことなくぎこちない。
「あ、あのさ――このヒト……ヒトじゃねーよな??? 魔族、じゃろ?
魔力の、質が……違うんじゃけど……なんなんよこれ……。」
「メーちゃんとも、あたしの魔力の質とも違うんじゃけど……!」
全員が部屋に集まったことを確認し、ため息をひとつ零すアメト。
「勇者の皆サマ方、お揃いデスネ。 ……大変よろしい。
こちらの、ソファで爆睡をかましてらっしゃる方デスが――……。」
「ごくり」と、喉を鳴らす音がどこからともなく響き、しばしの静寂。
「めっっっちゃ強い人。 ――以上。」
「は??? いや、その説明で分かる人おるん?? おらんじゃろ……?
やべーぞ?? どうしたんよメーちゃん、頭打った?」
あまりにも適当な屋敷の主の言葉。ルルが即座にツッコミを入れた。
が、指摘を受けてもなお、彼は視線を明後日に向けたまま。
「あー……ウン。 ゴメンゴメン、意識がちょっと、朦朧としててネ。
ちゃぁんと説明すると、まずこちらのお方は魔族だヨ。」
「『ネリアノクティリス』と仰る方で、魔族領では高い序列に君臨されている方。
魔族の中でも、特別上位者にしか与えられない『二つ名』持ちの方でネ。
で……強さの割りには、かなーーり穏やかな魔族……だヨ……。」
「で、彼女は魔族でも数少ない穏健派の筆頭。 人間をどちらかといえば――
支持シてる希有な方で……珍しい思考をもった魔族だケド……。
ウン……まぁとにかくサ……彼女が起きたら分かるヨ……ウン。」
一呼吸置いた後、どこか諦念の色を孕んだ瞳で、勇者の元へと歩む彼。
彼の肩を「ぽんぽん」と叩いた後、苦笑まじりの微笑を向け――語りかけた。
「しばらくボクのお屋敷に滞在するみたいでサ。 ボクには――
彼女を止めるコトが出来なかった。 勇者サマ……あとはキミに託すヨ。
ニヴェイシアのお屋敷の未来を――キミに任せた、からサ……ヒヒッ……。」
乾いた笑顔を浮かべ、あまりにも調子が狂うような彼の様子。
全員で『大丈夫かコイツ?』と顔を見合わせるが、ノアは朗らかに笑ってみせた。
「なるほどっ! よく分からないけど、とにかくこの……ネリアさん?
って方が僕に用事ってことだねっ! 僕頑張るよっ!」
「ところで、この姿は認識阻害なのかな? 僕の目には人間にしか――」
勇者の言葉を遮るように、アメトは小さく呟くように言葉を返した。
「見てからの、お楽しみだヨ。」
広間の扉が小さく鳴らされ、現れたのは老執事のエルドリック。
勇者たち一行を食堂へと促す老執事。珍しく、屋敷の主も一緒らしい。
アメトの肩には、ネリアが『荷物』のように抱えられている。
混沌な光景が広がっているが……誰も口を挟むことはできなかった。
それもそのはず『荷物』自身――意に介すことはなく――
彼の肩に抱えられたまま、静かにうめき声を漏らすだけ。
壊滅的なほどに目覚めが悪いらしいのか、彼女はアメトの肩で愚痴ひとつ。
「やーなのよ……。 アタイ、あと十億年寝てるの……。」
「単位デカすぎじゃろ……。 こえーよ……。」
彼女の寝ぼけ言葉に対し、ルルは割りと真面目に返す。
どうやらルルはこの魔族が怖いらしく、かなり距離があった。
食堂に近づくにつれ――芳しい香りが鼻腔を刺激してくるのだが……。
「食べ物の匂いなのよ!!! わぁぁぁあああいなの!!!」
そう叫んだかと思えば、アメトの肩からひょいと飛び降り――
素直に大人しく、全員の後ろをついて歩く。
あまりにも異様な光景。怪訝な瞳でアメトの側まで身を寄せるパルテオン。
『お、おいっ……! あの人……本当に魔族なのか? そのよぉ……。
魔族領の『おえらいさん』……なんだろ……?』
「凄いデショ、彼女。 まぁ……ウン。 魔族の中でも“どうかしてる”筆頭。
間違いなく頭のネジが全部外れてるおヒトだヨ。 はぁ…………。」
食堂へ到着すると――そこには圧倒的な光景が広がっていた。
テーブルには、見事な料理が所狭しと並んでおり、一同は驚愕。
老執事が全員をテーブルへと促し、優雅な微笑を浮かべ、料理の経緯を説明。
どうやら食事係、メイド、屋敷の主の三人で夜通し作ったものらしい。
勇者一行はあまりの料理の多さに、テーブルを凝視。
賢者は顔を青ざめさせ『食べられませぬッ……。』と、絶望していた。
勇者や聖女ですら絶句していたのだが、彼ら……騎士と魔族の彼女だけは違った。
「わーーーーーーーーーーーー!!すっごいの!! すっごい!!
たあぁぁーーーーくさんあるの!! これ、メトちゃも作ったの!?」
「あーーーー!! すき!! メトちゃーーー!! 大好きなのーーーッ!」
歓声を上げ、アメトに飛びつくネリア――
感極まったらしく、彼女は彼の頬にキスの雨を浴びせていた。
騎士もまた筋肉から喜びの熱をあげ、全身で歓喜を体現している。
「なッ……なぁ子爵さんよぉッ……コレ、食っていいのか!?
いやッ!!食わねば勿体ねぇッ!!! 俺は、食うぞッ!!!」
「あー、ドウゾ。 お召し上がり、下サイ。 作りすぎて予備もアルヨ。」
屋敷の主といえば、半ば諦めた様子で、静かに食事前の祈りを捧げる。
それに倣い、セラやバルタザールたちも祈りを捧げるが――
ネリアの怒声にも近しい『たべまぁす!』という言葉。
パルテオンも負けじと『頂くぞッ!』と声を張り上げ――
『食事』という名の戦いが、幕を開けた。
彼らは爆発的な速度で、次から次へと、料理に食らいつき始め――
彼らの前に並べられた食事は、尋常ならざる速度で消えていく。
賢者は早々に気絶し戦線を離脱。屋敷の主はこっそり転送を使用し食事を退避。
他の面々は自身の食事を死守。彼らの圧巻の光景に、ドン引きしていた。
◇ ◇ ◇
数十分後――
山のように並べられた豪華な朝食は、跡形もなく消えた。
原因は間違いなく、魔族の彼女と、人間である騎士の彼だ。
魔族はまだしもだった。しかし、騎士は人間であるにも関わらず――
魔族と引けを取らない食事量。完全に、バケモノである。
彼らはまるで闘技場にでも行ったのか?と錯覚するほど、満足げな表情。
質量を無視するほど、腹部を膨らませる姿を見せつけていた。
そんな彼らを心配そうに見つめる勇者たち。
「たべたのよーーー!!! まんまん、まんぞくっ!! なの!!」
「勝負あったな――これは……残念だが、引き分けだッ!!」
勝ち負けの定義が、どこにあったのか……誰にも分からない。
分かるわけがないし、そもそも理解したくない勝敗の行方。
しかし二人だけは、とてもすがすがしい笑みを浮かべていた。
戦場を共にした友人のような――青春の笑みを浮かべ、拳を合わせる二人。
食事の残骸は、颯爽と屋敷の従業員である女中たちに片付けられた。
使用人たちが立ち去ったことを確認したネリア。
彼女は、如何にもな仰々しい空気を纏い、大きく息を吸い込んだ。
「ワッハッハ! 我はー! 悠久の時を刻む魔族なりー!
闇を統括せし、偉大なるネリア――……」
言いかけた彼女の頭上に降り注ぐゲンコツ。
次いで『ネリア様。』と、真面目な顔で言葉を続けるアメト。
「全く……どんな自己紹介デスか……。 頼みますので……。
どうか、いつもの調子に戻って、自己紹介をお願いしマス。」
とても優しいゲンコツではあったのだが……。
それでもノリが悪いアメトに対し、ネリアは頬を膨らませていた。
『ぶー!おばかー!』と、まるで子どものような罵声を浴びせる。
「アタイ! 純粋な魔族のネリア! ネリアノクティリスって名前なの!」
「ノクティリスはえーと……なんて言ったらいいの?『二つ名』みたいな?
そんな感じなのよ! メトちゃと違って混血じゃないのよ!」
「年齢は――おとめの秘密なのっ! でもでもっ!えーと……?」
考えるように小首を傾げて視線を上へと投げる彼女。
「煌陽国が名前を変えちゃう前から、世界に存在してるのよーっ!
アタイの『固有能力』は、心の深いとこに干渉……しちゃうの!
『感情の増幅』だって、えっちな同胞が言ってたの!」
(いま……『えっちな同胞』って言っとらんかった?)
(言ってたな……多分『偉い人』って言いたかったんだろ。)
(なるほど……! 僕なんのことかと思っちゃった!)
勇者一同の彼らは、この時だけ――なぜか心を通わせていた。謎である。
「そいでなの! 魔族の能力のことは、あんまり喋っちゃだめなの!
だからアタイから教えられるのはここまでなの!」
「続きは“ゆーリょーこんてんつ”なの!」
彼女の言葉を聞き終えた勇者一行。しかし、セラとアメトは顔をしかめる。
彼らは『昨晩の出来事』で、何か心当たりがあったようだ。
二人して同時に『あの時の気分の高揚はコイツか。』と項垂れる。
「アタイ、魔力漏れちゃうことが、よくあるみたいなの! てへっ!
過去に関わってきた人間さんたちに、影響があったみたいで――
かるーい修羅場もあったりしたの!!『てへぺろ☆』なのよ☆」
「あーそれとなの……アタイの魔力、魔族にもばっちり効果あるの!
メトちゃもその……ごめんなの! 許して欲しいの! ちゅっ☆」
彼女が投げた、謎の投げキッスが食事場を飛び交い――どこかに墜落。
一体誰に向けて投げられたキスなのか、誰も知らない。
本人にももちろん、分かっていない。つまるところ適当だ。
一日はまだ、始まったばかりではあったが――既に疲労困憊のアメト。
一同はこの魔族の女性『ネリアノクティリス』の驚異の一端――
……まだ、知ったばかりなのだった。




