その【青年】胡散臭い笑みにつき。
身体が浮遊するような、重力を感じない感覚がしばらく続き――そして。
気がつけば、迷う前の森にノア、セラ、パルテオン、ルルの四人は立っていた。
「エ、エルフの皆さん…怖かった……。 私、怖くて一言も喋れませんでした…。」
泣き言のように漏らすセラに、パルテオンも同意するように頷いた。
二人で「大変だった…」と、話す隣で、なにやらノアが「あっ…!」と驚いたように声を上げた。
その声に驚いた全員が、ノアの方向へ顔を向けると――
ノアの腕に抱かれていたのは、小さな毛玉の生物――そう、連れてきてしまっていた。
「ど、どうしよ…コレ…。 この子、こんな所まで、ついてきちゃったみたい…
もう、いっそのこと、名前つけちゃおっか?」
困ったように頬を掻きながらも、毛玉を肩に乗せるノア。
パルテオンが「ガハハ!」と豪快に笑い、謎毛玉生物をゴツい手でワシャワシャと撫でる。
撫でられた毛玉生物はというと、嬉しそうに目を瞑り「キュッ!」と声をあげた。
ルルが無表情で見つめ、セラも呆然とノアの肩に乗る生物を眺める。
「きんぴら…とかどうよ? 可愛げあるっしょ。」
ルルの名付けの提案に、全員がしかめっ面をし却下の流れ。
一同は森を進みつつ、捻れた角の、丸くてふかふかな小さな生物――
名称すら分からない、その謎生物の名付け論争を繰り広げながら木々の合間を歩く。
和やかな雰囲気で森を進み、やがて木々の切れ間に差し掛かった頃合い。
なにやら、森の様子が変であることに気がついたのはルル。
「音が、聞こえんのじゃけど。 動物たちの声が聞こえんくね?」
彼女の言う通り来た時には、鳥の囀りや、獣の足音が響いていたはず。
だが今は、それら全てが途絶えており、代わりに響くのは葉擦れの音によるざわめき。
周囲に目を向けると、木の根元で震えるように怯える耳が垂れた小さな兎。
枝の上には、小型の大人しい魔鳥が羽毛を逆立て、何かに対して威嚇するように呻く。
どうやらパルテオンに対して敵意を向けているようにも感じられる野生動物の姿。
「あの、黒い石…瘴気を纏っていましたから、それでこんなことに…?」
セラが首から下げられた飾り、小型化した錫杖に手を掛け、小さく祈るように息を詰める。
胸の奥で言いしれない不安が押し寄せ、何か悪いことが起きるような、そんな予感――
「ぜってー昨日の変な石のせいっしょ、こりゃもう早いとこ処理したほうがええんじゃね?
瘴気かなんかしらんけど。 そんな危なそうなモン持っとったら当然ちゅーか…」
ルルは大きめの帽子を目深に被り、露骨に嫌悪を態度に現していた。
ノアはルルやセラを宥めるように眉を下げつつも、朗らかに笑顔を向ける。
「ごめんね、でも怪しいからこそ、ちゃんと調べてもらうのが良いって思うんだ。
きっとこれのせいで、この間の魔物も変化したんだろうしさ…」
ノアの言葉に賛同するように、パルテオンも革袋を叩きながら声を上げる。
「研究機関か、国に見てもらうほうが、俺もいいと思う。魔物の変化、ただ事じゃねえ。
それによ、もしかしたら、もう既に研究されてるかもしれんだろう?」
そういって彼はセラとルルを落ち着かせるように、豪快に「ハッハ!」と笑った。
暗い顔をする二人のために向けられた、精一杯の気遣いと思いやり。
そうして森を抜けた一同は、前見た景色であることに安堵しつつ、歩く。
行き先は依頼をしてきた、あの困りごとを抱えていた村――
村へ戻ると、出迎えてくれた村人たちが一斉に一同の元へと駆け寄った。
「勇者様!聖女様! 騎士様…と道化師…? ともかくご無事でなによりですっ…!
心配しておりましたよ! なんせ、三日もお戻りになられなかったので…!」
村人の言葉に困惑する一同“三日”という数字に覚えがなく、顔を見合わせる。
確かに、一晩泊まった記憶はある。しかし、寝たのはその一晩だけ。
三日ともなると、時の流れの辻褄が合わず、驚きを隠せないでいた。
するとルルが何かを察したように、村人に補足するように説明をし始めた。
「あーえっとな。 勇者さんたち、森で迷子になっちまって、それで――斯々然々」
村人が納得したように安堵の息を洩らすが、しかし……その顔は未だに浮かばれない。
ノアが朗らかに微笑みを浮かべながら、村人に優しく尋ねる。
「あの、魔物さんは多分退治したし…森も安全だとは思うんだけど…
もしかして、まだなにかお困りごとが、あったりするのかなぁ……?」
ノアの笑顔を向けられた村人は、一人の老人へと視線を注いだ。
視線の先の老人が一歩前へ出ると、ぽつりぽつりと語り始める。
「そう、ですな……。 勇者様が立たれてすぐに、暴れていた動物は沈静化しました。
ですが…しばらくしてから…なのですじゃ…」
「勇者様が出立して二日目、つまり、昨日からまた森の方角の様子がおかしく…
まるで、木々そのものが怯えているように感じ…可笑しな話なのですが…」
ノア、セラ、パルテオンの三人が顔を見合わせる。
そう――異変はまだ終わってなどおらず、始まったばかりなのだと。
「木々が、怯える…パルテオンさんの持ってきた石…と関連があるかも、ですね。」
「んだなぁ…これ一個だけってのは、考えにくいしよ、複数あんだろうな。」
セラは小さく肩を震わせながら、これから一体どうなるのかと、不安に駆られている様子。
パルテオンはどしりと構えつつも、強張っているのが軽鎧越しに伝わった。
すると別の村人が、何かを思い出したように、話に割って入った。
「その変な気配なんだけど、あんたらが数日前に行った場所じゃないんだべさ。
もっと東のほうだった、東の方から、変な気配がすんだべ。
オイラは怖くて近寄れんかった…んだけども、ぜってぇ変だったべー」
皆の顔をじっと傍観していたルルだったが、目を細め頷いた後に声を出す。
「とりまさー、もう行くしか無いんじゃね? 行ってみて、何があるか確かめようぜ。
また昨日みたいな、変な石あったら、周りにぜってぇ影響及ぶだろーしよ。」
ルルの言葉を受け、皆は頷き合い村人たちに声を掛け――
ノアの肩に乗った毛玉生物を一度村に預ける。
まだ日の明るいうちに済ませようと、急ぎ足でその場に向かう事となった。
◇ ◇ ◇
一同は足早に現地へと向かい、森に向かう道中で、段々と怪しい気配が流れる。
周囲は淀んでいて、嫌な空気が肺にまでまとわりつくようで、息苦しい。
やがてその原因が次第に明らかになり、足元の草は黒く濁り変色。
変色した地面からは黒い霧のような靄が立ち込め、至る所に黒い汚泥溜まりが点在。
そこはよもや“草原”ではなく、まるで地獄を体現したかのような、悍ましい光景。
その中心部で蠢く虫のような“何か”――それは、巨大な白い蜘蛛の群れ。
細々とした八足を操り、鉤爪のような爪で地を抉りつつ、蠢き群れる様子は――
さながら獲物を求め彷徨い歩く、飢えた怪物そのもの。
その蜘蛛の頭部には、顔というものが無く、変わりにぽっかり空いた闇が広がる。
その闇から、よだれのような黒泥が滴り落ちていた。
落ちた黒泥はたちまち地を焦がし、ぶくぶくと音を立て、土を腐食させ瘴気が立ち込める。
「デケェ…蜘蛛型の魔物、だな。 んでもってこないだのクマと同じだ。」
「顔がないちゅーことは…あの黒い石関係つーことっしょ。」
パルテオンは冷静に大盾を構え、戦闘態勢をとり、ルルもまた、短杖を構える。
ノアの顔からも朗らかな笑顔は消え、真剣な眼差しで周囲を見渡す。
聖剣に手を掛け抜き放つノアだったが、その後方では、足が震え竦み、セラが動けずにいた。
皆が戦いに入ろうとしているのに、自分が動かないでどうすると、心では葛藤する、が――
呼吸は乱れ、空気を必死に取り込もうとするが足りず、苦しさに胸を抑える。
動悸も酷く、乱れた呼吸に合わせ、胸の奥深くで疼く痛みに顔を歪める。
(みなさんが、戦おうと、してらっしゃる、のに、癒やし手の…聖女の、私がっ…!)
(だめ…蜘蛛は、だめなのです……あれだけは、克服、できなかった…怖い…こわい…)
視界が霞み、必死に目を開くが……全身から血の気が引くようで、意識が遠のく。
理性では今は恐れている場合ではないと分かってはいた。
だが、それ以上に恐怖という感情が勝る現状では、冷静な判断が下せない。
「……セラ!! どうしたの!大丈夫!? いったい、なにが――」
振り返ったノアの必死な声が飛ぶが、もうセラには彼の声は届いていない。
彼女は祈るように胸元に手をやり錫杖を構えるが、しかし、その手は震えていた。
この状況を必死に打破しようと、口を開き祈りの言葉を紡ぐが――
「――て、天にあら…す。 わ、我らが、主…よ、ほし…ッ…!」
祈りの言葉は言葉にならず、呼吸もまともに出来ない彼女では、無謀だった。
蜘蛛は、嘲笑うように、ぎこちなく八足を動かし、セラへ狙いを定める。
「――こっちに来ないでっっ!!!!」
刹那――セラの身体からは、虹色の粒子と淡い金色の聖光が溢れ、爆ぜる。
その粒子と眩しい聖光は瞬く間に衝撃波となり、一帯を呑み込んでしまった。
世界が光りに包まれたような錯覚を覚えるほどの、まばゆい光だったが、そう長くは続かなかった。
「どさり」という音と共にセラは力なく倒れ込み、その場で意識を手放す。
周囲はセラの凄まじい力で、確かに浄化はされており、黒霧纏う汚泥も蜘蛛も――
何もかもが“無かったこと”のように、清浄な空気へと戻されていたのだった。
あまりに清々しい空気の中【聖女】の力を目の当たりにし、誰もが戦慄していた。
しばらく呆然と立ち尽くす三人だったが、背後から聞えてくる、場違いな程軽薄な調子で手を叩く音。
ぱち、ぱちと……一定の感覚で、拍手のような音が響き、全員が振り返る。
振り返った先に居たのは、銀白金に輝く長髪。
陽光を受け、銀白金は金色に揺らめき、まるで幽玄を体現したような姿。
「――あの面倒な魔物、それと不浄の黒石、処分してくれてドーモ。
処理したのはそちらの【聖女】サマ…だネェー? やー、すっごいネー、彼女。
でも、これじゃ石のコト…なーんも、分からないネェー? ざんねーん、ヒヒッ!」
軽薄であるはずだが、感情が乗っているようで乗っていない、不気味な声色。
軽い声とは裏腹に、言葉はどこか重くのしかかるようで、全員が声を出せずに居た。
青年は微笑を湛えているはずなのに、温度を感じなく、まるで凍りついた微笑み。
最初に口を開いたのは、大盾を構え、警戒を解かない騎士、パルテオン。
「お前さんは…あんときの胡散臭ぇ貴族の…ア、アモ…アマ…――
フォン・ニヴェイシア…だなッ?! 何しに此処まできやがった。
お前さんは何を知ってやがるッ?! どうして石の存在を知ってんだ…!」
ノアは聖剣を握ったまま、視線を銀白金の彼へ向け離さない。
しかし、視線の先の彼は、そんな皆の様子をまるで気にすること無い。
異質な笑顔を浮かべたまま、長い髪を風に揺らめかせ、優雅に一礼。
「大盾の騎士サマ。 キミの持ってる石。 ソッチも浄化されてるヨ?
やー、安心安心一安心。 だネェー? イヒッ!」
彼はパルテオンの問いに応えることはなく、何事も無かったかのように歩く。
そして一同に背を向け、ふと振り返ると、不気味なほどに優しい声を落とした。
「そうそう…言い忘れてたヨ。 あの黒い石だケドさー。
聖女サマの浄化で破壊できるヨー。 彼女が起きたら、伝えておいてネェ?
それじゃぁネー? 気になったのなら、ボクを直接尋ねておいでヨ……」
その言葉を最後に、彼の姿は蜃気楼のように、ふわりと黒紫の霧と共に消え失せた。
どこまでも明るい仕草に、明るい声色、明るい表情のはずだったのに――
あまりにも、得体も底もしれない彼の雰囲気に、心が僅かに凍るような温度を残した。
ルルは、短杖を握り込み、僅かに震える身体を抑えるように、身体を竦める。
(アイツ、なんなん…? なんで、アイツの心…なんも見えんかった…?)
(心の断片、記憶もなんも――存在しない、からっぽの、存在…?)
彼女の恐怖は、彼女自身の身体に刻まれた“呪い”により、面には出ない。
ただ、その無表情の裏側で、彼女の身体に、確かに恐怖は刻まれた。




