第32話 世界中の誰よりも
パシェイソン家の広間は城のそれと比べても見劣りしなかった。
「緊張しちゃうわ、ギュスター」
と、やわらかい草色のドレスをまとったユーティアは彼とつないだ手に力を込める。
「俺だって緊張してるよ、ユーティア」
と、ギュスターもやや挙動不審になりながら返した。
さすがに公爵家は顔が広いらしく、見たこともないような数の人々が集まっていた。ユーティアもギュスターもしっかりお洒落をしてきたはずだが、すっかりかすんでしまっている。
「とりあえず、シルフたちが来るのを待とう」
「ええ、そうね」
豪勢な料理が並び、いい匂いが漂ってくる。隣のダンスホールには音楽隊が本番に備えて準備をしていた。
会場の隅で待っていた二人は、ふいに玄関の方がざわめいていることに気がついた。誰かすごい客でもやってきたのかと思った時、広間へ入ってきたのは見慣れた男女だった。
「ごきげんよう、ミスター・オード」
と、声をかけられたシルフィネスはにこっと紳士の笑みを見せる。
「ごきげんよう、ミスター・フェネロス」
こういった場に慣れているのだろう、シルフの様子はいつもどおりだ。しかしその隣にいたイズンはかちこちに固まっていた。
「そちらのお嬢様はどなたですか? 初めて見るお顔ですが」
「ああ、ご紹介します。私の婚約者のイズン・ノッド・セアーズ嬢です」
相手の貴族がそれぞれにイズンへ挨拶をし、びくびくしながらも挨拶を返すイズン。
「お、お初にお目にかかります……っ」
と、シルフを見上げる。こちらは場慣れしていないのが丸分かりだったが、その可愛らしい姿に女性たちはさらに声を潜めていた。ドレスと化粧がばっちり施されているだけでなく、イズン特有の少女っぽさが彼女自身を引き立てているのだ。
挨拶を終えたところで、シルフはギュスターとユーティアに気づいて寄ってきた。
「ごきげんよう、ミスター・ファールバード」
「ご、ごきげんよう、ミスター・オード」
と、ギュスターは普段と違う彼の態度に苦笑いしそうになった。
それを察したのか、シルフは他の貴族たちに見られないよう、柱の陰へ移動した。
「ちゃんとエスコートできてるか? ギュスター」
「ユーティアには悪いが、まったく自信がない」
「そうだろうな。こういったパーティーは、最初だけ参加すればどうにでもなるから覚えておけ。今回はダリウスたちへの挨拶があるから、そう上手く抜けられないと思うが」
ユーティアはイズンの姿をまじまじとながめていた。シルフの言葉など耳に入っていないだろう。
「パシェイソン邸にはいくつもバルコニーがあるから、そこで一休みするのもいいな。特にユーティアは、人ごみは苦手だろう?」
「え? あ、は、はいっ」
と、慌てて返事をするユーティア。
シルフはくすっと笑ってから、イズンに視線を向けた。
「お前もあまり無理するなよ。気分が悪くなったらすぐに言ってくれ」
「う、うん……分かってるよ」
と、イズンはまた彼を見上げた。パーティーの間は極力そうならないよう、シルフを見ていることにしたのだ。それを言い出したのは彼の方だったため、イズンはさっそく実行させてもらっていた。
「それと、いい機会だから教えてやる。知り合いがいないなら知り合いを作れ。ファールバードの名を出せば、そこそこ食いついてくる者もいるだろう。ギュスター、お前も貴族を名乗るなら、それくらいやって見せろよ?」
そしてシルフは背を向けた。
「さあ、行こう」
と、イズンとともに広間の中心へ向かっていく。するとまた誰かに声をかけられて、幾度目かになる挨拶を彼らは繰り返すのだった。
その後、ギュスターとユーティアがどのようにパーティーを楽しんだのかは分からない。
バルコニーへ出たイズンは、疲れた顔を一切見せない彼に問いかけた。
「ずっと聞きたかったんだけど……あたしはいつ、あんたの婚約者になったわけ?」
シルフはすると、心を読まれる前にイズンの前へ片膝をついた。びくっとするイズンの手をとって、まっすぐに彼女を見つめる。
「結婚を前提に付き合ってくれないか?」
「……やっぱりそうなるのか」
と、イズンは顔をそらしてため息をついた。
「何だよ、やっぱりって。気づいてたのか?」
「あんたのいとこに予言されてたんだよ。あんたが最終的に選ぶのはあたしだって」
立ち上がったシルフは首をかしげた。
「そうだったのか? でも、あいつはそんなこと――」
「あの子にとっては最悪の展開なんだよ。あの子自身がよく理解してないから気づかないのも無理ないけど、ちょっとは自覚しなさいよ」
と、イズンは口をとがらせた。
広間へ目を向けたシルフは少し考えて、イズンを見下ろした。
「お前こそ、自分が可愛いってこと、少しは自覚した方がいいぞ」
「!!」
イズンが顔を真っ赤にすると、シルフは楽しそうに笑い声を上げた。
「ダリウス……あたし、疲れたわ」
「ああ、オレも疲れた」
「何であんたが疲れるのよ、貴族のくせに」
メイリアスが思わず憎まれ口を叩くと、ダリウスはむっとした。
「これだけ人の集まるパーティーは久しぶりだったんだ。仕方ないだろ」
すべての参加者が広間から出て行き、帰っていく頃だった。
廊下の窓から人々を見送りながら、メイリアスは隣に立つ彼へ言った。
「まだメイドを辞めるつもりはないわ。だけど、今度あなたが大怪我をしたら……ちょっとだけ、考えてあげる」
と、ダリウスの様子をうかがう。
「ありがとう、メイリアス」
二人の時にしか見せないやわらかな表情を浮かべて、ダリウスはそっと彼女の肩に手を置いた。
両目を閉じたメイリアスの唇に、触れるだけのキスを贈る。――誰よりも、世界中の誰よりも幸せだと思った。
唇を離して目を開ければ、ほんのりと頬を赤らめた彼女が見えた。
「メイリアス、愛してる」
彼女は少しうるんだ瞳で、こくりと確かにうなずいた。




