第26話 兄と弟
町外れにある教会の前で馬車を降りたノーアは、すぐに人影があることに気がついた。
「……」
弟のティースが腕組みをして、扉の前にある柱にもたれかかっていた。
こちらに気づいたティースは何も言わず、さっさと教会の扉を開けた。薄闇の中に赤い光が差し、ノーアは彼の格好が見慣れないものであることを認める。諜報部であることの証明なのだろう、初めて目にする紫紺のジャケットを彼は羽織っていた。
「アルバライト」
名前を呼ぶだけで、その人物は意図に気づいた。
後から入ってきた銀髪の青年を見て、にやりと微笑む。
「よく来たな、サジェスライト=ノーア」
やる気に沸いていた信者たちは一転し、再びざわめきだした。
人々が空けた道を通って、ノーアはアルバライトの前へと進んでいく。
「お久しぶりです、アルバライト=オーフェ」
眼鏡の奥の瞳は笑っていない。
――あの時と同じだと、兄は笑った。
目が覚めると薄暗い倉庫の中にいた。
先ほどまで、家の庭で下級精霊たちと遊んでいたはずなのに……思い出して、サジェスライト=ノーアははっとした。庭でお茶をしていた兄たちに呼び出され、紅茶を一口飲まされたのだ。「このお茶、すごく美味しいんだぜ」と、幼かった頃のように笑う彼を、ちっとも疑わなかったのが間違いだった。
「……また、か」
睡眠薬を飲ませられたのはこれが二度目だった。前回は庭の隅にある木に縛りつけられ、長い時間放置されていた。自力で脱出したものの、そのことを兄に問うと、知らない振りをしてはぐらかされた。
しかし、今回はどうだ? 倉庫に連行された上に両手を縛られ、完全に身動きが取れない状態だ。
ふいに物音がしてそちらを見ると、兄が小さな弟を連れてやってきた。
「目が覚めたか、サジェスライト」
「兄さん……今度は何をするつもりなの?」
自分がよく思われていないことは知っていた。だからと言って、こんなことが許されるわけもない。
思わず反抗的な目つきで相手をにらんでしまうと、兄に鼻で笑われた。
「ふん、にらんだって無駄だ。お前には、ここで死んでもらうからな」
と、冷めた目で見下ろす。
思いがけない言葉に背筋がぞくっとしたが、サジェスライトは抵抗せずに隙を見計らった。
「何だよ、何も言わないのか? それとも俺を馬鹿にしてるのか? そんなこと出来るわけがないって」
兄はすると、ポケットから小型のナイフを取り出した。
それを容姿端麗な弟の鼻先に突きつけ、問いかける。
「怖くないのか?」
「……うん。だって僕には精霊たちがついてる。そんなものでおどしたって、魔法には勝てないよ」
淡々と答える弟に腹が立ち、アルバライトは怒鳴った。
「調子に乗ってるんじゃねぇよ! 俺にだって魔法くらい使える! お前がいくら優秀でも、この俺に逆らうなんて許さない!」
「知ってる。兄さんが僕のことを嫌いだっていうことくらい、前から知ってるよ」
「だから何だよ!? 目障りなんだ、お前のせいで俺は落ちこぼれ扱いされてるんだぞ!? お前さえいなければ、こんなことにはならなかったはずだ!」
オークライト=ティースはびくびくしていた。まだ幼い彼に目を向けて、サジェスライトは言う。
「でもティースは関係ない。どうしてここに連れてきたの?」
アルバライトはナイフを引かずに言い返す。
「お前を殺すためだ」
意味が分からなかった。どうしたらそうなるのだろうと考えている間に兄が弟へ言いつける。
「ティース、すぐに父上と母上をここへ連れて来い。できれば執事や、他の使用人たちも」
「う、うんっ」
ティースはすぐに倉庫から出て行き、そこでサジェスライトは合点がいった。
すると、思ったとおりに兄は縛っていた縄を解いた。
「さあ、これでやりやすくなる。何か壊さない限り、魔法は跡を残さないからな」
罠だった。兄に危害を加えても加えなくても、サジェスライトは悪者になる。ここでサジェスライトが死んだとしても、アルバライトは正当防衛を認められるだろう。
逃げ場のない罠から逃げる術だけを考えるサジェスライト。
すると、アルバライトが数歩うしろに下がってナイフを下ろした。
「……やれよ、サジェスライト」
兄はこれまでになく寂しそうな表情をしていた。初めて見る顔にドキッとして、サジェスライトは妙な考えに行き着いてしまう。
「もしかして……僕に、殺せって言ってるの?」
アルバライトは両目を細め、優しげに微笑むだけだった。
サジェスライトは迷った。兄の本当の狙いがそれであるなら、自分は魔法を使えない。しかし、これまでの兄の行動を思うと演技じゃないかと疑ってしまう。……いや、きっと演技だ。
「エオー」
相手の腕を狙って風を巻き起こすと、アルバライトはすぐさまそれを避けて弟へナイフを振りかざす。
「!」
身体をひねって避けようとするが、左腕にちりちりとした痛みが生まれた。大した傷ではないが切られていた。
今度こそ急所を狙ってナイフを振り上げるアルバライト。
とっさに本能が働いて、サジェスライトは叫んでしまった。
「ギューフ・リントヴルム!」
現われた炎の下級精霊が目の前にいたアルバライトへ襲いかかる。
「うわぁっ!!」
リントヴルムは彼の頭に噛みついた。
炎の熱さが痛みを増幅させ、アルバライトはナイフを手放し床へと落ちる。
直後に倉庫の扉が開き、母親の悲鳴が響きわたった。
「きゃあああ!」
「何をしてるんだ、お前たち!?」
中へ入ってきた父親がアルバライトを抱き、信じられない様子でサジェスライトを見つめる。
「サジェスライト、お前がやったのか? いったい、どうしてこんなことを?」
「ち、違う……僕は、僕は……――」
はっとしたサジェスライトはその場にへたり込んだ。顔の左半分を押さえて痛みに悶える兄が、にやりと口角をつり上げた気がした。




