第20話 幸せいっぱい
ノーアはため息をついてから、そっと両目を伏せた。曖昧にばら撒いた記憶の欠片が集まって、嫌な出来事を繰り返す。始まりの一言や、その後のこと、兄に味わわされた最悪の裏切りを……イメージの中だけで燃やし尽くす。
「でもね、僕……これだけは正しかったと思えることがあるんだ。あの日、僕のしたことだけは」
その言葉で彼が敵か味方か、分からなくなる。結果的にノーアを救ったのは彼だったが、それを正しい判断だと言いきれる結末であったのか、ノーアにはまだ分からない。
「あれがあったから、今があるんだもの。ねぇ、兄さん?」
と、同意を求める弟に、ノーアはたえかねて質問をした。
「……あなたは一体、何を考えているのですか」
するとティースは少し意外そうな顔をして、何度も口にした言葉を、もう一度声にした。
「何って……さっきから言ってるじゃない。僕はただ、アルバライトと話をして仲直りして欲しい、って」
気分が悪かった。ベッドに横になって塞ぎこんでしまいたい。二度と目覚めなくていいから、これ以上何も考えないで済むようにしてほしい。名前も顔も全部忘れて、ようやく手に入れた幸福に溶けてしまいたい。
「俺より落ち込んでるみたいですね、ノーア」
ふいに声をかけられて、ノーアは顔を上げた。いつの間にか机のそばによって来ていたシルフィネスが、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「いえ、大丈夫ですよ」
と、言ったそばからため息がこぼれてしまう。
すると、その様子を離れたところで見ていたダリウスが口を開いた。
「何かあったんじゃないですか? オレでよければ、相談に乗りますけど……」
「ありがとうございます。そうですね、シルフのように現実逃避が出来たらいいのでしょうが、私にはそんな無責任なことは出来ません」
と、ノーアは少し頬をゆるめた。
シルフは気まずそうに視線をそらし、小さく息をつく。
その様子にダリウスがにやりとし、ノーアもくすりと笑った。
言い返したくても言い返せずに悔しい思いをしていたシルフだが、ふと本来の用事を思い出して真面目な顔を作る。
「以前、エノータ派の起こした事件で魔宝石が押収されたことはご存知ですよね?」
「ええ、儀式に必要なものだったとか」
「杞憂ならいいのですが……その魔宝石はとても珍しくて、使い方によっては闇を増幅させるものなんです。そのため、一部の研究者にしか保管場所は知らされていません」
「まさか、それをエノータ派が欲していると?」
「はい。その可能性について、意見をいただきたいのです。場合によっては、俺たちの管理下に置くべきかと」
ノーアは小さくうなった。
相手が何かしらの行動を起こす可能性は十分にあったが、それに魔宝石が必要とされるかどうかは怪しい。その儀式とやらについて詳しく調べてから決断するべきことだろう。
「シルフは、その魔宝石のありかを知っているのですか?」
ノーアがそうたずねると、シルフはこくりとうなずいた。
「はい、知っています。というより……」
今日もまた、イズンは部屋へ連れてこられていた。
夏の日差しを思わせる淡い橙色のワンピースに身を包んだユーティアが、踊るような軽やかさでイズンへ近づいてきた。
「イズンさん、今日は何をして過ごしましょう?」
「……幸せいっぱい、って感じだね。メイドが嫉妬してるよ」
あいかわらず冷めた調子でイズンが言うと、ユーティアはお茶の準備をしているメイリアスを振り返った。
「あ……そう、ですよね」
と、落ち着くユーティア。
メイリアスはまだ、ダリウスと仲直りができていなかった。数日経った今では平気そうに見えるが、実際どう思っているのかは分からない。
ユーティアはイズンの隣へ腰を下ろすと、小さな声でたずねた。
「メイリアスが何を考えてるのか、分かりますか?」
「分かるよ」
「じゃあ、何を考えてますか?」
イズンは横目にユーティアを見て、てきぱきと仕事をしているメイリアスに顔を向けた。
「たまには自分もゆっくりお茶をしたいって。でもそれをするにはオードが邪魔だし、出来るならミス・セアードとも話を……」
メイリアスがふとこちらを見た。目が合って、互いにドキッとする。
唯一の男性、シルフィネスは部屋の隅で魔宝石をいじっていた。また何かひらめいたらしく、時折ユーティアの方を見ては作業に没頭するのを繰り返している。
「メイリアス、ちょっとこっちに来て」
と、ユーティアは彼女の願いを叶えようと手招きをした。
すぐに作業を終えたメイドは、イズンを気にしながら歩み寄ってくる。
ユーティアの意図を知っていながら、イズンもどこかそわそわとしてメイリアスを見られない。
「どうしたの、ユーティア」
「あのね、イズンさんがメイリアスとお話ししたいみたいなの。仕事があるのは分かるけど、ちょっとだけ話してみない?」
メイリアスはすぐにシルフの方を見た。彼があまり気にしていない様子を見て取ると、あらためてイズンへ向き合う。
「あ、えっと……ごきげんよう」
と、挨拶をしたメイリアスにイズンは問いかける。
「あんた、早く仲直りした方がいいんじゃない?」
「は?」
と、ドキッとするメイリアスへイズンはかまわずに続けた。
「玉の輿に乗るチャンスでしょ? 母親の病状もよくなってないらしいし、プライドだの身分だのを気にしてる場合じゃないよ。そりゃあ、パシェイソンは自分勝手でわがままだと思うけど、それでも彼が好きなんだろう?」
メイリアスは頬を少し紅潮させたまま、その場に立ちつくしていた。
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