第5話 そばにいて
ダリウスははっとして、自分が口をすべらせたことに気づき、冷や汗する。
「あー、その……あいつ、ただでさえ忙しいだろ? だから家に帰ってないだけで帰りたくないとか、そういうことじゃないと思うんだけど――」
「やっぱり帰ってないんですね。それなら、メイリアスの言うとおり兄弟仲だっていいはずがない……」
と、再びため息をつくユーティア。
ダリウスは外の様子に耳を澄ましてから、落ち着いた声で話を始めた。
「よし、本当のことを話そう。ノーアとアルバライトの仲は確かによくない。ノーアの弟であるオークライト=ティースも軍属してるけど、それはアルバライトからしたら敵対行為になる。だから、家族関係に緊張が走ってるのは今も同じだと思うよ」
「……」
「しかもアルバライトはエノータ派と協力関係にあるから、ユーティアを守る立場にあるノーアとは完全に敵同士だ。ただ……アルバライトは抜け目ない人だから、オレたちのこともすでに知られてる気がしてならないんだよな」
と、ダリウスは息をついた。
「オレの家は何もうしろめたいことがないから大丈夫だけど、悪事に手を染めた貴族に声をかけては取り込んでるって噂まであるし……。
あいつ、地道に権力を得るため暗躍してるみたいなんだ。さすがに、エノータ派の件は目立ったけどな」
「なるほど、そうなんですか。でも、何のために?」
すると、ダリウスはにやりと悪い顔をした。
「ノーアを負かせるためだよ」
その晩、青い廊下を一人で歩いていた。窓の外は暗闇に包まれ、見下ろすと街灯がぽつぽつ見える。
静かな夜だった。
慣れた部屋の前まで来ると、室内から声が聞こえた。はっとして伸ばしかけた手を引くと、扉が開いた。
「あ、ノーア!」
短い金髪を揺らしながら、少女がぱっとこちらを見上げる。
「ぼく、ちょうど会いに行こうと思ってたの」
「そうでしたか」
ノーアはにこっと微笑みを返し、クランベリーに手を引かれるまま室内へ入った。
数人のメイドが二人を見ている。王女が家庭教師を贔屓にしていることは目に明らかだったが、夜間に彼が来ることは初めてだった。
「もう下がっていいよ」
と、クランベリーが指示すると、すぐにメイドたちは部屋を後にした。
ふかふかのソファへ腰を下ろしたクランベリーが問う。
「それで、今日はどうしたの? 何か悩んでるみたいだよ?」
不安そうにくもるあどけない顔。
ノーアは彼女の隣へ座ると、他の人には決して見せない姿をさらす。
「少し、昔のことを思い出してしまって……もう、忘れたはずなんですけどね」
と、自嘲するかのように口の端を吊り上げる。
「ノーア……」
「しかも、今の状況を考えると、何が起こるか想像も出来ない。いえ、想像したくないんです」
クランベリーは彼の肩にそっと手を伸ばした。優しく抱きしめるように腕を回す。
「早ければ近いうちに……いえ、遅くても数年の間に、彼は行動を起こすでしょう。目的は分かりきっていますが、そのためにあなたや他の人を巻き込みたくはありません」
「うん……」
大人しく両目を伏せるクランベリー。彼の心に余裕がなくなっていることを知って、何も言えなかった。
「しかし、背後に組織がいるとなると避けられそうにはない。私は……いったい、どうしたらいいのでしょう?」
賢くて聡明な彼だが、元は他の人々と変わりない。完璧に見える一級魔法使いでも――天才でも――、悩み苦しむことがある。
何回かまばたきをしてから、クランベリーはノーアを見上げた。
「そばにいて。ぼくのそばに、ずっといて」
ノーアは彼女を見てきょとんとした。
「それだけでいいから、ノーアは余計なことを考えないで。ぼくが、いつだって受け止めるから」
「……その言葉を聞くのは、これで二度目ですね」
と、張り詰めていた表情をゆるませる。
「本当に、あなたには何度感謝してもしきれません……」
ぎゅっと優しく抱きしめて、ノーアは少女の耳元へささやいた。
「ありがとうございます」
「うん」
クランベリーの想いは、いつだってまっすぐにノーアの心へ響く。しかし、それだけでは越えられない壁もあった。
「でもね、ノーア」
「何ですか?」
「ぼくの方から、離れちゃうかもしれない」
「……ええ」
お互いに分かっていることを口にするのは辛かった。
「ぼくは、ずっとノーアのそばにいたい」
「はい」
だからこそ、大人であるノーアには出来ることが限られていた。
うすうす気づいているクランベリーもまた、大人になっていく道から踏み外せないでいる。生まれを呪うつもりはなかったが、環境を呪わずにはいられないのが本音だった。




